第4話 秘密の花園

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 風の地方。それは一面に牧草地の広がる閑静な村で、点在する民家の傍で、放牧された牛や山羊がのんびりと草を食んでいる。静穏な風が時折草花を揺らし、村は長閑な空気に包まれている。


 そんな村のとある診療所にある2人組の姿があった。1人は10歳くらいの少年で、木のベンチに腰掛け、そわそわと身体を動かしながら廊下をきょろきょろと見回している。その隣に座るのはいかめしい顔をした老人で、目を瞑って唇を引き結び、膝頭に両手を乗せて微動だにしない姿は修行僧のようだ。

 並んで座っている様子からしてこの2人は孫と祖父で、少年の方が怪我か病気をして診療所へ連れて来られたように思えるが、少年は見るからに元気そうだ。それでも2人は何かを待っていた。会話もなく、緊張感を漂わせながら、一心に何かを待ち続けていた。


 そうして20分ばかり時間が過ぎた後、1人の男性医師が2人の前に現れた。少年が弾かれたように立ち上がる。


「なぁ、先生!? お袋は大丈夫なのかよ!?」


 少年が医師の白衣の裾を握り締めながら尋ねた。その表情は真剣そのもので、彼がどれほど医師の登場を心待ちにしていたかがよくわかる。


「これ、松宮まつみや! 先生に向かってその口の聞き方はなんじゃ! 目上の者には敬語を使えといつも言っておろうが!」


 そう叱責したのは老人だった。ベンチからすっくと立ち上がり、少年に向かって咎めるような視線を向ける。


「だってよぉ……しょうがねぇじゃねぇか。お袋が死んじまうかもって思ったら俺、じっとしてられなくて……」


 松宮と呼ばれた少年が唇を尖らせた。そんな2人の様子を見て、医師がふっと笑みを漏らした。


棟巌とうがんさん、松宮君を怒らないであげてください。こんな経験は初めてでしょうから、お母さんが心配になるのも無理はありません」


 医師が穏やかに言った。棟巌と呼ばれた老人が、ばつが悪そうな顔で顎髭をいじり始める。


「まぁ、それはそうじゃが……して、かおるさんの様子はどうなのじゃ?」


 棟巌が尋ねた。松宮が不安げな視線を医師に向ける。医師は真面目な顔になって数秒黙った後、穏やかな笑みを浮かべて言った。


「母体に影響はありません。赤ちゃんも産声を上げています。元気な女の子ですよ」




 医師に連れられ、松宮と棟巌は病室へと向かっていた。引き戸を開けて室内に入ると、奥の寝台に横たわる女性と、その傍らで屈み込んでいる男性の姿が目に入った。男性は女性の手を握り、穏やかな顔で彼女に労りの言葉をかけている。女性の方は顔中に汗と疲労を滲ませ、額に髪の毛を張りつけてぐったりとしていたが、それでも顔には笑みを浮かべ、傍らの男性に向かって何度も頷いている。


「薫さん、紫芭しばさん、ご家族が来られましたよ」


 医師が2人に呼びかけた。薫と呼ばれた女性が松宮達の方に顔を向ける。


「あぁ、松宮……。先生から聞いた? 女の子ですって。あなた、お兄ちゃんになったのよ」


 薫は弱々しく笑みを浮かべて言うと、傍らに視線を移した。松宮もその方に視線をやる。台車のついた透明な寝台の上に赤ん坊が横たわっている。裸の身体を布でくるまれ、すやすやと眠っている。


「どうだ? 可愛いだろう?目 がくりっとしててお人形みたいでなぁ。将来は母さんに似て美人になるぞ」紫芭と呼ばれた男性の方が破顔して言った。


「もう、あなたったら。そんな先の話を今からしてどうするのよ」薫が苦笑した。


「なぁに、子どもが大きくなるのはあっという間だよ。松宮だってこの前産まれたと思ったら、もうこんなに大きくなってるんだからな」紫芭が松宮の頭に手を置いた。


「それもそうね。松宮みたいに、この子も元気に育ってくれるといいんだけれど」


「なぁに、この村の上手い空気を吸って、草原の中で走り回ってれば誰だって元気に育つさ。親父もそう思うだろう?」紫芭が棟巌を見上げて尋ねた。


「……まったくお前は単純な奴じゃな。お前や松宮はそうやって育ってきたかもしれんが、この子は女の子じゃ。村の腕白坊主どもに混じって泥遊びをするとは限らんじゃろうに」棟巌が呆れ顔で息をついた。


「そうか? 俺は女の子でも外で遊ばせればいいと思うけどなぁ。もし男の子達と仲良くできなかったとしても、松宮が一緒に遊んでやればいいし。なぁ松宮?」


 紫芭は息子に尋ねたが、松宮は答えなかった。唇を引き結んで寝台の赤ん坊を見つめている。


「……松宮? どうかしたの?」

 息子の様子がおかしいことに気づいたのか、薫が心配そうに声をかけてきた。紫芭と棟巌も松宮の方を見やる。


 松宮は黙ったまま赤ん坊を睨みつけていたが、やがて視線を落として呟いた。


「……俺、こいつ嫌いだ」


 薫と紫芭が目を見開いた。松宮は両親に踵を返すと、そのまま病室を飛び出してしまった。


「松宮! どこへ行くの!?」

 薫が叫んだが、途端にごほごほと咳き込んだ。紫芭が慌てて薫の背中をさする。棟巌はちらりと息子夫婦の方に一瞥をくれると、病室を出て松宮の後を追った。

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