3−4

「……でも、不思議な子だったなぁ……」


 再び1人になった露店で、流乃は店台に頬杖を突いた。考えるのは今の少年のことばかりだ。黒ずくめの服装、鋭い眼差し、職人としての誇り、そして母親への親愛。最初は近寄り難いとばかり思っていたのに、話しているうちにどんどん意外な面が明らかになっていった。たった今別れたばかりなのに、流乃はまたあの少年と会いたいと思うようになっていた。


「……あの子、何て名前だっけ。お母さんが呼んでた気がするけど、忘れちゃったな……」


 自分が彼について知っていることは少ない。知っているのは、親子揃って『チョウキン』の仕事をしていることだけだ。それだけの情報手では、自分が彼に会いにいくことはおそらく難しいだろう。彼はまたこの街に来てくれるだろうか。またこの店に来て、父の作った作品を褒めて、自分と他愛もない話をしてくれるだろうか。


「おーい、流乃!」


 その時、大通りの方から自分を呼ぶ声がして、流乃ははっとして顔を上げた。大きな荷物を背負った氷磨ひょうまれいが店に向かって歩いてくる。


「父さん! 母さん!」


 流乃はぱっと立ち上がると、一目散に両親の元へ駆けて行った。氷磨の眼前まで来たところで勢いをつけて飛びつき、氷磨が屈み込んでそれを受け止める。


「父さん、母さん! お帰りなさい! 水晶はいっぱい採れたの?」


「あぁ、ちょうど生え替わりの時期だったようでね。予想よりもたくさん採れたよ。これでしばらくは困らなさそうだ」氷磨が柔和な笑みを浮かべて言った。


「でもこの人ったら、相変わらずドジなのよ」澪が肩を竦めて言った。

「奥まで行ったら水流が速くて危ないって言ってるのに、採掘に夢中になって全然気づかないんだから。あたしがいなかったら湖の入り口まで流されてたわよ」


「はは……面目ないな」氷磨が照れくさそうに笑った。「今度からはもっと工夫をしないといけないね。何か、水に流されないような装具を売っている店はないだろうか?」


「そんなものあるわけないでしょう? あの洞窟に行く人自体がまずいないんだから」


 澪が呆れ顔で言った。氷磨が眉を下げて笑い、澪もつられて笑みを漏らす。あいかわらず仲睦まじい両親の姿を前に、流乃は自分の心までぽかぽかしてくる気がした。


「ところで流乃、店の方は大丈夫だったか?」氷磨が尋ねてきた。


「うん、今日もバッチリよ! 4万8千5百フォンも売ったんだから!」


「へぇ、それはすごいなぁ。私なんかよりもよっぽど商売の才能があるじゃないか」氷磨が感心した顔で言った。


「あなたは欲がなさすぎるのよ。あたしがいなかったら、うちの店はとっくに潰れてたんだから」


 澪がまたしても呆れ顔になった。氷磨は苦笑を漏らしたが、急に真面目な顔になると言った。


「ただ、そうは言ってもやはり私は心配なんだよ。年頃の娘に1人で店番をさせるというのはね……。変な客が来なかったか? 何か不愉快なことを言われなかったか?」


 流乃は思わず澪の方を見た。澪はまた始まった、と言わんばかりに苦笑を浮かべている。一人娘だからか、氷磨は流乃に過保護なところがある。


「あら大丈夫よ。あたし、オトコの人の扱いには慣れてるから」流乃が澄ました顔で言った。「それよりね、今日とっても面白いことがあったの!」


「あら、どんなこと?」


 澪が興味津々な顔で尋ねてきた。流乃は例の少年のことを話そうと口を開いたが、そこではたと動きを止めた。氷磨が訝しげな表情になる。


「流乃? どうしたんだ?」


 流乃はすぐには答えなかった。しばらく考え込む様子を見せた後、にっこり笑って言う。


「ううん、やっぱり何でもない! さっ、今日の売上目標まだ達成してないし、もうちょっと頑張らないと!」


 流乃はそう言うと、足取り軽く露店の方へ戻って行った。氷磨が呆気に取られた顔でその背中を見つめる。


「流乃……? どうしたんだいったい。いつもは隠し事などしないのに……」


「流乃も年頃だからね、親に言いたくないことの1つや2つあるんじゃないの?」澪が面白がるように言った。


「言いたくないことって、例えば?」


「例えば……そうねぇ。男の子のこととか? 店番してる間に格好いい男の子でも来たんじゃない?」


「何だって!?」氷磨が途端に顔を青くした。「冗談じゃない。流乃はまだ10歳なんだ。恋愛なんて早すぎる……。流乃! 店番中に何があったか言いなさい!」


 氷磨が慌てて露店の方へ駆けて行った。澪がくすくす笑いながらその後を追う。当の流乃も、父親が慌てふためく姿を見るのは面白かったが、それでも口を割るつもりはなかった。


 この出会いはあたしと彼だけの秘密。いつか大人になって彼と再会することがあれば、この時のことを話題にしたい。彼はその時、どんな大人になっているのだろう。寡黙だけれど腕のいい、立派な彫金師になっているのだろうか。彼は不器用そうだから、いい作品を作ったとしても、お客さんにそれを買ってもらうのは難しいかもしれない。その時はあたしが彼の代わりに、彼の作品の素晴らしさを伝えたい。

 そう、父さんと母さんのように――。

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