3−3
「ところで……この商品はいくらだ?」
少年が水晶のネックレスを片手に尋ねてきた。流乃は彼が客であることを忘れ、単なる世間話のつもりで少年と話をしていたので、まさか彼が商品を買うつもりでいるとは思わなかった。
「え、3千フォンだけど……あなたお金持ってるの?」
「あぁ、お袋にいくらか持たせてもらっている。もし気に入った作品があれば、1つくらいなら買っていいとの話だった。持ち金は尽きてしまうが、これだけ出来栄えのいい作品を逃したくない。売ってくれるか?」
少年は真面目な顔で言ったが、流乃は逡巡した。彼にネックレスを売れば今日の売上は達成できる。しかし、トーヤのような大の男ならともかく、子ども相手に3千フォンもする商品を売りつける気にはなれなかった。
第一、彼はこのネックレスを買ってどうするつもりなのだろう。少年は、ネックレスを『商品』ではなく『作品』だと言っていた。職人としての敬意を表してのことかもしれないが、もしかしたら彼は、ネックレスを自分の作品として作り替えるつもりかもしれない。父が何日もかけて作り上げた作品が他人の手でバラバラにされるとしたら――。
「悪いけど、あなたには売れないわ」
流乃はきっぱりと言った。少年が鋭い目つきを流乃に向ける。真正面から無言のまま見据えられると妙に迫力があって、流乃は思わず気圧されそうになったが、怯まずに続けた。
「あたし、父さんの作品は、本当にそれを欲しいって思う人にだけ買ってほしいのよ。あなたが父さんの作品を気に入ってくれたことは嬉しいけど、あなたのチョウキンのために父さんの作品を利用されるなんてごめんだもの」
流乃はそう言って少年を睨み返した。自分なりに父の作品を守ろうとして出た言葉だったが、少年は面食らった顔で流乃を見返した。
「作品を利用……? お前は何を言っているんだ?」
「だってそうでしょう? あなた、父さんの作品が人気だからってヤキモチ焼いて、真似しようとしてるんでしょ? お客さんの振りして、ホントはよそから来たスパイなんじゃないの?」
「……どうすればそういう発想になるんだ。まったく……子どもを相手にすると面倒だな」
少年がこれ見よがしにため息をついた。自分が子ども扱いされたことに流乃はむっとした。何よ、あんただって子どもじゃないの。
「……俺は何も、自分の彫金の腕を磨くためにこの作品を買うわけじゃない」
流乃は
「作品には、それを作った者の様々な想いがこめられている。たとえそれが素人の作品であったとしてもな。それをみすみす解体するような無粋な真似はしない」
「そうなの? あたしてっきり、あなたがこのネックレスをアレンジするのかと思って……」
「……俺にはまだそこまでの腕はない」少年が残念そうにかぶりを振った。「第一、このネックレスに手を加えるような部位はない。装飾から水晶のカットの具合まで、完璧に仕上げられているからな」
「でも、それなら余計に買ってどうするのよ? 観賞用に置いとくってこと?」
「違う。贈る相手がいるんだ」
「そうなの?」
流乃はびっくりして少年を見返した。さっきは人と関わりを持たないようなことを言っていたから、てっきり彼女もいないと思っていたのだが、彼女と友人は別なのか。
「
不意に遠くから女性の声がして流乃は顔を上げた。表通りの方で、商人達に揉みくちゃにされながら1人の女性が立っているのが見えた。肩まで伸びた黒髪に、裾の長い臙脂色のワンピースを合わせている。心配そうに周囲を見回しているところを見ると、息子とはぐれた母親なのかもしれない。
流乃はしばらくその女性を見つめていたが、やがて少年も彼女の方を見ていることに気づいた。少し焦ったような横顔を見ているうちに、流乃はふと思いついて尋ねた。
「ね、もしかしてあの人、あなたのお母さん?」
少年が弾かれたように流乃の方を振り返った。咄嗟に手に持ったネックレスに視線を落とす。それを見て流乃はようやく合点がいった。
「わかった! あなた、そのネックレスをお母さんにプレゼントするつもりなのね?」
少年がばつの悪そうな顔になった。今までの大人びた雰囲気が嘘に思えるくらい、子ども染みた表情だった。流乃は思わずくすりと笑った。
「いいわ。そういうことなら売ってあげる。でも3千フォンはダメ。半額の1千5百フォンでいいわよ」
少年が顔を上げ、当惑したように流乃を見つめてきた。その表情がまた子どもらしくて、流乃はますますおかしくなってきた。
「いや……それはまずいだろう」少年が眉間に皺を寄せた。「お前も生活がかかっているんだろう。無理に値引きしてもらう必要は……」
「いいのよ。子ども割引なんだから。女の子からの好意は黙って受け取りなさい」
流乃が澄まして言った。少年は流乃を睨みつけてきたが、先ほどのように怖いとは思わず、口元に笑みを浮かべて少年を見返した。しばらく見つめ合う格好になったが、先に根負けしたのは少年の方だった。視線を落とし、小さくため息をついて財布を取り出す。
「……後で親父に叱られても恨むなよ」
少年はそう言うと、財布から金貨と紙幣を取り出して店台に並べた。ちょうど1千5百フォン。流乃は少年ににっこり笑いかけた。
「まいどあり。お母さん、きっと喜んでくれると思うわよ」
少年は答えなかった。ネックレスをズボンのポケットに突っ込み、仏頂面で母親の元へと歩いていく。母親は少年の姿を見つけて心底安堵した表情になり、屈み込んで少年を抱き締めた。少年は無表情のままだった。
「……ふふ、素直じゃないんだから」
遠巻きに2人の様子を眺めながら、流乃は1人微笑んだ。最初は大人びて見えたけど、彼もやっぱり子どもだ。母親のことが大好きなくせに、それを面と向かって伝えるのは照れくさがる。
少年は母親に手を取られ、大通りの方へと去って行った。ネックレスはポケットに入ったままだ。家に帰ってから渡すつもりなのだろう。あの親子の様子をもっと見ていられないのが残念だ。
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