4−4
いつの間にか随分時間が経っていたらしく、森を抜けた頃には辺りは真っ暗になっていた。そのせいで村に戻るのにも時間がかかり、村に着いた頃にはどこの家もしんと静まり返っていた。こんなに夜遅くまで出歩いていたのは初めてだ。両親は心配しているだろうか。松宮は駆け足で自宅へと向かった。
玄関の扉をそっと開けると、両親はまだ起きていた。居間の机に差し向かいで座り、沈鬱な表情を浮かべていたが、松宮が帰ってきたのをを見ると2人とも弾かれたように立ち上がった。
「松宮!? あぁ……よかった。全然帰って来ないから心配してたのよ?」
薫が青白い顔をして言うと、松宮の元へ駆け寄ってしっかりとその身体を抱き締めた。久しぶりに間近で母の匂いを嗅ぎ、鼻の中がくすぐったくなる。
「まったく……こんな時間までどこへ行っていたんだ? 村のどこを探してもいないし、外まで捜索に行こうかと思っていたんだぞ」
紫芭が咎めるように言った。松宮は母に抱き竦められたままちらりと父を見上げ、小声で「……ごめん」と呟いた。
「でも、本当にどこに行ってたの? 最初は友達の家かと思ったけど、誰に聞いても来ていないって言うし……」
薫が松宮から身体を離して尋ねてきた。松宮はばつが悪そうに視線を落とす。紫芭が松宮の方に近づいてきたが、松宮が握り締めた手紙を見るとはっと息を呑んだ。
「松宮、その手紙……」
松宮は顔を上げて父の方を見た。逡巡するように顔をしかめた後、意を決して続ける。
「……俺、知らなかったんだ。親父とお袋が、俺が産まれるのをずっと楽しみにしてくれてたってこと……。2人とも芽衣にばっか構うから……俺なんかいなくてもいいんだと思ってたけど……そうじゃなかった」
絞り出すように言う松宮を、紫芭と薫は目を瞬いて見つめた。だが、すぐに呆れたような笑みを浮かべて顔を見合わせる。
「……当たり前じゃない」
薫が呟くと、もう一度松宮を抱き締めた。紫芭も薫ごと松宮を抱き締める。松宮は照れくささを感じながらも、自分もそっと母の背中に手をやった。
「……ふん、かような自明の事実に今更気づくとは、お前はやはり未熟者じゃの、松宮」
不意に奥から声が聞こえた。3人が身体を離して振り返ると、木刀を手にした棟巌が道場の方から出てきたところだった。
「爺さん……」
松宮が呟いた。棟巌がじろりと松宮を見やる。
「松宮、お前、自分がどれほど愚かなことをしたかわかっておるのか? 紫芭も薫さんも、ただでさえも酪農と芽衣の世話で多忙を極めておるというのに、これ以上無用な心配事を抱え込ませるとはどういう了見なのじゃ?」
棟巌の口調は相変わらず手厳しい。普段の松宮なら三倍にして言葉の応酬をするのだが、今日は口答えをする気にはなれなかった。代わりに少し考えてから、棟巌の方に一歩踏み出して告げる。
「……爺さん、俺、やっと爺さんの言ってることがわかった気がする。俺……どっかでずっと、親父やお袋に甘える気持ちがあったんだと思う。家族なんだから、子どもを助けるのは当たり前だって……。
でも、それだけじゃダメなんだ。俺が家族の一員だって言うんなら、俺だって親父やお袋を助けてやらなきゃいけない。それに芽衣のことも……。あいつはまだあんなに小さくて、簡単に人から踏み潰されちまう。だから俺が守ってやらなきゃいけないんだ。あいつは……俺の妹なんだから」
松宮の瞳がまっすぐに棟巌を見据える。その手が腰に差した木刀に触れる。それは少年の心に初めて芽生えた、家族のために強くなろうとする決意の兆しのように思えた。
棟巌は無言のまま松宮を見つめていたが、やがてふっと息を吐くと、壁の方に視線をやって言った。
「……ならば、今はその家族を安心させてやることじゃな。いつも寝つきのよいあの子が、今日に限って全く寝入る気配がない。大方、お前のことを心配しておったのじゃろう。早く無事を知らせてやることじゃ」
「……わかった。そうする」
松宮は頷くと、壁際にある小さな寝台の方に向かった。木の柵から身を乗り出して寝台を覗き込む。芽衣はまだ起きていて、小さな顔を不安げにきょろきょろさせていたが、松宮の顔を見るとくしゃっとした笑顔を浮かべた。
松宮はその顔をじっと見つめた後、おもむろに人差し指を芽衣の方に伸ばした。芽衣の小さな手がその指を握り締める。おもちゃみたいな小さな掌なのにきちんと温もりは伝わってきて、松宮は思わずふっと笑みを漏らしていた。
「……芽衣。お前が芽を出すまで、俺がちゃんと守ってやるからな」
松宮が芽衣に語りかけた。芽衣はきょとんとした顔をしたが、すぐにきゃっときゃっと声を上げながら松宮の指をいっそう強く握り締めた。その小さな生命を肌で感じながら、松宮は心のうちで呟いた。
(……いつか、お前がもっと大きくなったら、一緒に神様に会いに行こう。あそこは俺とお前、2人だけの秘密基地なんだからな)
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