第3話 水晶の里で

3−1

 水の地方。それは王都と見紛うほどの賑わいを見せる街で、石畳と木組みの建物から成る煌びやかな街並みの中で、商魂たくましい商人達の声が飛び交っている。街を訪れた旅人は、まずその美しい街並みに感嘆の声を漏らし、次いで大通りに露店を構える商人達の強引さに辟易させられることになる。


 だが、全ての店が大通りに店を構えているわけではない。街の喧騒から離れたところにもぽつぽつと露店は点在し、人の良さそうな顔をした商人達が、大通りから流れてきた客を相手に熱心に商品を勧めている。


 流乃るのもその1人だった。今相手にしているのは恋人らしい若い男女2人連れで、店頭に並べられた水晶のアクセサリーを女の方が熱心に見つめている。


「ね、見て。これ超可愛い!」


 女がはしゃいだ声を上げた。イヤリングを試着して鏡に向かい、首を振ってはイヤリングの揺れ具合を確かめている。


「ね、これ絶対あたしに似合うと思わない? シンプルなデザインだから何にでも合わせやすいしさ」女が男に向かって言った。


「そうだなぁ……。ただ今日は出費が嵩んでるんだよなぁ。さっきの通りで結構使っちゃって、後2000フォンしか残ってないし……」


 男が渋面を作って答えた。すでに他の商人達からこってり搾り取られた後なのだろう。


「それならちょっとだけサービスしますよ。定価の10パーセント引きで、おまけにこの指輪も付けちゃいます」


 流乃はにっこり笑って言うと、店頭の奥からピンキーリングを取り出した。店のアクセサリーはいずれも父親の手作りだが、この指輪は加工に失敗したらしく、ヘッド部分の水晶がややいびつな形になっていた。だから売り物としては扱っていないのだが、遠目からは違いがわからず、普段使いには十分だと言えた。


「え、ホント!? やだ、絶対欲しい! ね、トーヤ。買ってよ、お願い!」


 女が男に向かって両手を合わせた。トーヤと呼ばれた男は困惑した顔をしたが、女が熱心にせがむのにほだされたのか、流乃の方に向かって言った。


「しょうがないなぁ……。いくら?」


 流乃は店台の奥で小さくガッツポーズをした。トーヤに向かって特上の笑みを向け、明るい声で続ける。


「イヤリングと指輪合わせて2000フォンです。お買い上げ、ありがとうございました!」




 戦利品を片手に上機嫌な女と、財布をすっからかんにして落ち込んだ男の背中を見送りながら、流乃は今日の売上を数えていた。今ので合計4万7千フォン。1日の売上目標は5万フォンだから、後3千フォン足りない。通りを見回したがいるのは年配の男性ばかりで、アクセサリーに興味を示してくれそうな人はいない。流乃は不満げに唇を尖らせると、両手で店台に頬杖を突いた。


「……あーあ、店番ばっかでやんなっちゃう。あたしも洞窟に行きたかったな」


 流乃の父親である氷磨ひょうまは、水晶加工職人として生計を立てており、街の外にある湖の洞窟までよく水晶を採りに行っている。流乃はそのたびに自分も連れていけとせがむのだが、氷磨は危ないからと言って一度も連れて行ってくれたことはなかった。


「……なーんて、ホントは父さん、母さんと2人でいたいだけなんでしょ」


 流乃の母親であるれいと氷磨は、澪が客として来店したことがきっかけで出会ったという。澪は氷磨のアクセサリーに惚れ込み、店に足繁く通うようになった。氷磨もそんな澪のために丹精込めてアクセサリーを作り、いつしか2人は店員と客という関係を超えて惹かれ合うようになった。今も洞窟に行く際には必ず2人で一緒に行く。水晶に彩られた洞窟の内部はそれは美しい光景らしく、2人は水晶の採掘という名目で洞窟に出掛けては、独身時代に戻ってデートをしている気分になっているのだ。


「……父さんが母さんのこと好きなのはいいけど、置いてかれるあたしの身にもなってよね」


 2人が水晶採掘に出掛けている間は、いつも流乃が店番をしている。10歳になったばかりの娘に店を預けることを氷磨は不安がっていたが、母の商売を間近で見て育った流乃は、他の商人達と対等に渡り合うだけの自信を持っていた。実際、流乃は持ち前の明るく勝ち気な性格と、母から受け継いだ商才を生かして立派に店を切り盛りしていた。唯一の困った点は、客が来ない時に今みたいに独り言が多くなってしまうことだ。


「……それにしてもヒマね。いつもだったらもうちょっとお客さん来るんだけど、今日は全然。向こうのオジサン達に捕まってるのかしら」


 流乃が表通りの方を見ながら呟いた。大抵の旅人は、表通りにひしめく商人の波を抜けるだけで疲れ果ててしまい、流乃がいる通りまではやって来ない。流乃は自分達も表通りに店を移そうと父にたびたび進言したのだが、いつもは自分に頭が上がらない氷磨もそれだけは聞き入れようとしなかった。


『いいかい、流乃。私達はね、私達の商品を本当に欲しいと思う人にだけ買ってほしいんだ。他の店主達のように、無理に商品を売りつけるような真似はしたくない。表通りに店を構えていると、私達まで彼らと同類だと思われかねないからね』


 氷磨のその言葉は流乃にも何となく理解できた。実際、流乃が1人で店番をしているのを見て、彼女に同情してアクセサリーを買おうとする旅人もいたのだが、流乃はその申し出は全て断っていた。父が丹精込めて作った商品を、安っぽい同情心で買ってほしくなかったのだ。きっと父も同じ気持ちなのだろう。他の商人達に気後れしているわけではなく、そこには商人としての確固たるプライドがある。


 流乃がそうやって思案にふけっていると、不意に視界に影が差した。知らない間にお客さんが来ていたようだ。流乃は慌てて意識を現実に戻すと、営業用の笑みを浮かべた。


「いらっしゃい! うちにあるアクセサリーはみんな手作りなの。街でも評判よくて、よそからも買いに来る人もいるのよ。だからゆっくり見てって……」


 流乃の言葉は尻切れ蜻蛉とんぼになった。てっきり若い女の客だろうと思っていたのだが、目の前に立っていたのが全然違う人物だったからだ。そこにいたのは、黒づくめの服装に、同じ真っ黒な髪をした、鋭い目つきの少年だった。

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