2−5

「まぁ、奴の話はもうええやろう。それより、お前はその後どうなったんや?」玄治が尋ねた。


「私も処分を受けることを覚悟したのだが、征宮様は私には口頭で注意したのみで、それ以上の詮索せんさくはなさらずにその場を去った。あの人はまだ廊下にいて、私に礼を言ってきた。

 考えてみれば、私が彼女と面と向かって話をしたのはその時が初めてだった。あの人と2人きりになり、私は改めてその美しさに感じ入ったのだが……そこで艶書えんしょを読み上げられたことの含羞がんしゅうが蘇ってきた。その場を立ち去ろうかとも思ったのだが……そこで考え直したのだ。すでに赤恥を掻いている以上、恥の上塗りをしたところで構うまい……。そう考えた私は……あの人に自分の恋情を打ち明けることにしたのだ」


 玄治がひゅうと口笛を鳴らした。功奄はじろりと彼を睨むと、いかにも気が進まなさそうに続けた。


「私の恋情を聞き……彼女は驚いた様子だった。しばし私の顔を見つめた後……目を伏せ、それから微笑みを浮かべて言った。『気持ちは有り難いが、私には心に決めた人がいる』……とな。私は多少落胆したが……それでも安堵の方が大きかったように思う。これでもう心をわずらわされることもなく、再び職務に専念できるのだからな」


「またまた、そんなこと言うて。あの時は随分荒れとったやないか。夜警明けに食堂で飲んだくれて、『私の何がいけなかったのだ!?』ってわめいとったん知ってるんやで」玄治が茶々を入れた。


「黙れ! まったく貴様は……何故人が秘匿している事実をことごとく暴露するのだ!」功奄がいきり立って叫んだ。


「どうせなら包み隠さず話さんと。綺麗な面ばっかり切り取ろうたってそうは問屋とんやが卸さんで」


 玄治がにやりと笑い、功奄がこれ見よがしにため息をついた。滝葉も思わず笑みを漏らした。この2人はやはり息が合っている。


「……とにかく、これがあの人にまつわる事の顛末てんまつだ。豺牙の一件があってから数ヶ月後、あの人が下男と結婚したという話を聞いた。初めてその話を聞いた時、落胆しなかったと言えば嘘になるが……その頃の私は一等兵に昇格し、班長を任じられていたこともあって多忙を極めていた。そのような状況の中で、あの人の存在は次第に風化しつつあった……。だから予想していたほどの痛手ではなかった。そうして職務に邁進まいしんするうちに、私は本来の自分を取り戻していったのだ」


 功奄はそう言って話を終えた。長い話をして疲れたのか、ふうっと小さく息をつく。


「どうや? 滝葉。なかなか面白い話やったろう?」玄治が得意げに尋ねてきた。


「ええ……。功奄さんにそんな過去があったなんて全然知りませんでした。てっきり仕事一筋の方かと思っていたので……」


「わしもずっとそう思っとったわ。ただわしは、この話を知ってからちょっとこいつを見直したんや。こいつは昇進しか頭にない冷血漢とは違う。大事な人を守るために、恥も外聞も構わずに戦える熱い心を持った奴なんやってな。そんな一面を知っとるのはわしだけや。だからわしは決めたんや。どんだけ邪険にされてもこいつに関わって、もっと人間臭い面を引き出したろうってな」


「……大きなお世話だ。隊長補佐ともあろう者が、部下に自分の弱みを見せるなど……」


「ええやないか。その方がよっぽど親しみが湧くわ。なぁ滝葉、お前もそう思うやろう?」


「はい」


 滝葉は表情を緩めて頷いた。功奄がばつの悪そうにふんと鼻を鳴らす。


「……でも、そんなに綺麗な人なら、俺も一度見てみたかったですね」


 滝葉がぽつりと呟いた。滝葉の知る美しい女性と言えば、竜王国の姫である準華じゅんかだ。功奄の意中の女性も、準華に匹敵するほどの美しさを持っていたのだろうか。


「ん? 滝葉、その人にはお前も会ったことあるぞ」玄治があっさりと言った。


「え、そうなんですか? でも、そんな綺麗な女性の知り合いがいたかな……?」


「……まぁ、お前が気づかないのも無理はない。今のあの人には昔の面影はないからな」功奄が憂わしげにため息をついた。


「はぁ……それで、誰なんですか?」


椎羅しいらさんだ」


「は?」


「椎羅さん……お前もよく知っているあの人だ」


 滝葉は開いた口が塞がらなかった。椎羅しいら。滝葉の幼なじみである美珠みたまの母親だ。ふくよかな身体を揺らしながら王宮を闊歩かっぽし、笑う時には頬の肉をぷるぷると震わせる椎羅。あの椎羅が、功奄を射止めた美しい女性――?


「……まぁ、人には色んな過去があるっちゅうことやな」


 玄治がまとめるように言い、肩を揺らしてがっはっはと笑った。功奄は話は終わりだと言わんばかりに口を噤み、何事もなかったかのように書類に視線を落としている。


 滝葉はその場に立ち尽くしたまま、言葉もなく玄治と功奄を代わる代わる見つめるしかなかった。



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