2−3
功奄は忌々しそうな
「あれは……そう、今から17年前のことだ。当時の私は17歳で、兵役部隊に入隊してから4年が経っていた。階級こそ二等兵だったが、一等兵に昇格するのも時間の問題だと言われていた。当時の隊長……
征宮は現在の兵役部隊の士官であり、滝葉の父親でもある。実戦の場からは退いてしまったが、今でも隊の重鎮として部下を従わせる人望と実績を持っている。
「お前は本間に優秀やったからからなぁ。採用試験の筆記は全問正解で、実技でも対戦相手をものの10秒で倒してもうたんやろう?えらい奴が同期になったってみんな噂しとったんやで」玄治が口を挟んだ。
「当然だ。私はお前達とは生まれ持った才能も、育った環境も違っていたのだからな。
とにかく、当時の私は訓練と警備に明け暮れ、仕事外で他人と関わりを持つことは一切なかった。他人の存在など、当時の私には煩わしいものでしかなかったからな」
「こいつ、飯の時もいっつも1人やったんや。食堂の隅っこで、脇目も振らずに黙々と食っとってな。わしは可哀想になって、何回も自分の仲間のとこに来んかって誘ったったんや。でもこいつ、『貴様に同情される謂われはない。』とか言って、全然取り合ってくれへんかったんや」
「当たり前だ。何故私の貴重な時間を、貴様らとの愚にもつかない会話に費やさねばならんのだ?」
功奄がすげなく言った。多くの仲間に囲まれて陽気に笑っている玄治と、そんな彼に軽蔑の眼差しを送る功奄の姿が容易に浮かぶ。
「私には『寂しい』などという感情は全くなかった。それまでの生活でも、感情に己を支配されることなど一切なかったのだ。
だが……あの時は別だ。あの人を見た瞬間から、私の中で何かが変わってしまった……」
功奄がゆるゆるとかぶりを振った。よほどその出会いが衝撃的だったのだろうか。
「あれは王宮内でのことだった。私は食事を終え、夜間の勤務へと向かっていた。私は考え事をしていたため、廊下の向こうから走ってくる人物の存在に気づかなかった。その人物は私に衝突して尻餅をつき、私の思考は現実に引き戻された。向こうも前後不覚になっていた以上助ける義理もなかったのだが、私の方にも落ち度があったことは事実。だから手を貸してやることにしたのだ。
衝突してきたのは女性で、
口ごもる功奄を、玄治がにやにやしながら見つめている。普段は冷静沈着な功奄が、たじろぎながらかつての恋愛を語っていることが面白くて仕方がないのだろう。
「あの時の彼女の姿は、今も鮮明に記憶に残っている……。その肌は雪のように白く、長い髪は絹のように艶やかだった。直前まで見窄らしく思えたその服装さえも、彼女の美しさの前には
私があまり凝視していたからか、彼女は顔を赤らめて視線を伏せ、私の差し出した手を握って立ち上がると、礼も言わずに足早に立ち去ってしまった。だが……私は不快には感じなかった。彼女の表情の一つ一つが残像となって
「要するに、功奄はそのべっぴんさんに一目惚れしたっちゅうわけや。なぁ滝葉、信じられるか? 昔は『鬼の隊長』なんて呼ばれとった功奄が、一丁前に恋をした時期があったんやで?」玄治がにやにやしながら功奄を指差した。
「黙れ。普通の女性であれば、私があれほど心を砕くことはなかった。だが彼女は……」
「あぁわかったわかった。それで? 人生で初めて一目惚れを経験した功奄青年はその後どうしたんや?」
玄治がからかうように言った。功奄は忌々しそうに舌打ちをした後、渋々続けた。
「それ以降……私の中で何かの歯車が狂い始めた。私は気がつくとあの人のことを考えるようになっていた。何をしていてもあの人の姿が目に浮かび、夢にさえ出現するようになった。
私は何度も彼女の幻影を追い払おうとしたが、そうすると一層その姿が鮮明になり……狂おしさに身を焦がすような思いがしたものだ。訓練にも身が入らなくなり……征宮様から注意されることも増えた。私が感情に心を乱されることなど、それまで一度たりともなかったというのに……」功奄が悩ましげに額に手を当てた。
「功奄の様子がおかしいことにはわしらも気づいとったんや。いつも隙一つ見せへんこいつが、その時は柄にもなくぼーっとしとったからな。何があったんやろうとは思ったが、まさか色ぼけしとったとはなぁ」玄治が大口を開けて笑った。
「黙れ! あの時の私は未熟だったのだ! そうでなければ、色事に現を抜かして訓練を怠るような真似をするはずがない!」
功奄が怒りと恥の入り交じった顔で叫んだ。当時の激しい恋情は、甘酸っぱさよりも苦さを感じさせるようだ。
「その女性にはお気持ちを伝えられなかったんですか? 王宮の人間だということはわかっていたんでしょう?」滝葉が尋ねた。
「あぁ、あの人は実際に下働きをしていたようで、王宮内で何度か姿を見かけることはあった。私は……彼女に
「わしはたまたま、功奄がそのべっぴんさんを待ち伏せしとるとこを見つけてな。それでこいつの様子がおかしかった理由がわかったんや。わしはこいつを応援したったんやで。なぁ功奄、そんなところでいつまでもウジウジしとらんと、いっそ当たって砕けろってな」玄治がぽんと功奄の肩に手を置いた。
「……
功奄がじろりと玄治を見やった。玄治ががっはっはと豪快な笑い声を上げる。
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