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 その後、夕方頃までお喋りをした後で準華は夕食へと向かい、美珠は一旦準華の部屋を離れた。食事は毎回準華と泰嘉の2人きりで取ることになっており、給仕は別の下男や下女が担う。準華が部屋に戻ってからは、また美珠が傍に付いて彼女のお世話をする。だから食事時のこの時間は、美珠にとっての休憩時間のようなものだった。


(あたしもご飯食べに行こうかな。食堂、混んでないといいけど)


 夕暮れ時のこの時間は、兵士達の勤務交代の時間でもある。昼の訓練や警備を終えた兵士達が食堂になだれ込み、汗の匂いと疲弊を充満させながら食事をかっこむ姿はもはや日常の光景と化していた。


(滝葉さん達がいればいいけど……たぶん今日も仕事よね)


 たとえ夜の警護担当でなくても、訓練が遅くなって美珠と時間が合わなくなることはある。美珠は食堂の隅っこに座って辛抱強く滝葉達を待つのだが、結局会えないまま、冷たくなった食事を1人で済ませることも珍しくなかった。


(でも、滝葉さんは別に寂しいなんて思ってないわよね。訓練とか警備で忙しくてそれどころじゃないだろうし、第一、あたしのことは何とも思ってないんだから……)


「美珠!」


 急に背後から名前を呼ばれ、美珠ははっとして振り返った。それもそのはず、美珠に声をかけたのは、まさに彼女の思考の渦中にあった人物だったからだ。


「滝葉さん!」


 美珠は思わず表情を綻ばせた。滝葉は甲冑をがちゃがちゃと言わせながら美珠の方に歩いてくる。美珠は昔から滝葉を頼りがいのある兄のように感じていたが、彼の甲冑姿を目にするようになってからはますますその気持ちを強めたものだ。


「どうしたの滝葉さん? 今日はもうお仕事終わりなの?」


「いや、これから夜警に当たってる。でも少し時間があるから、その前にお前に会っておこうと思ったんだよ。ほら、ここしばらく話をする時間がなかっただろ?」


 滝葉が事もなげに言った。美珠に友人がいないことは彼も知っている。だから、美珠が1人で寂しい思いをしているのではないかと心配してくれたのだろう。兵士の仕事が忙しい中でも、自分を気にかけてくれる滝葉の優しさに美珠は心がほんのり暖かくなった。


「本当は松宮も来たがってたんだけど、功奄こうえん隊長から呼び出しを受けて来られなかったんだ」滝葉が残念そうに言った。


「そうなの? 隊長から直々に呼び出されるなんて、松宮、何かしたのかしら」


 美珠が心配そうに眉を顰めた。

 功奄は松宮の上官で、2つに分かれた兵役部隊の一隊長を勤めている。王宮内に部屋を構えているらしいが、大抵は仕事で出払っており、美珠が顔を合わせた機会は一度もない。若くて男前だと下女達が噂しているのを小耳に挟んだくらいだ。


「あの人は部下に厳しいからな。特に何か失敗したわけじゃなくても、呼び出されることはよくあるらしい。松宮はいつもそれで文句を言ってるよ」


「ふうん、大変ね。でも、滝葉さんとこの隊長はそんなことしないわよね?」


「あぁ。玄治げんじさんは大らかな人だからな。おかげで俺達は伸び伸びやらせてもらってるよ」


 滝葉が朗らかに笑った。

 滝葉と松宮は別々の部隊に属しており、滝葉が属する隊の隊長が玄治だ。下女達の噂によれば『熊のような風貌をした醜い大男で、功奄と並ぶと月とすっぽん』とのことだが、どうやら人望はあるらしい。


「それより美珠、お前の方はどうなんだ? 何か嫌な目に遭わなかったか?」


 滝葉が真顔になって尋ねてきた。下男や下女の中には、同じ使用人でありながら準華に近しい立場にある美珠を妬み、嫌みを言ってくる者もいる。滝葉はそのことを心配しているのだ。


「大丈夫よ。特に何も言われてないから。滝葉さんが守ってくれてるからかもしれないわね」


 美珠はそう言ってちらりと滝葉の反応を窺ったが、滝葉は安心したように頷いただけだった。美珠は少し寂しくなった。やっぱり自分は妹。心配はされても、内に秘めた想いに気づかれることはない。


「ねぇ滝葉さん。他にも何か聞きたいことがあるんじゃないの?」


 美珠が出し抜けに言った。滝葉が当惑した視線を向けてくる。


「滝葉さん、いつもあたしに聞いてくるじゃない。準華様がどんな服を着てたとか、どんな話をしてたとか……。本当は気になってるんでしょ?」


「……まぁ、少しはな」


 滝葉が気まずそうに視線を逸らした。準華への恋慕を隠しているつもりなのだろうが、誰が見てもばればれだ。美珠は呆れ顔で息をついた。


「今日はね、あたしが新しい髪型を結って差し上げたの。髪を編み込んでからまとめるんだけど、よくお似合いだったわよ」


「へぇ……そうなんだ。きっと、すごく綺麗なんだろうな」


 滝葉が目を細めて言った。彼が髪型の仕上がり具合ではなく、準華自身の美しさに思いを馳せているであろうことは明らかだ。


「……夕食が終わったら、また部屋に戻って来られると思うから、その時にお会い出来るんじゃない?」美珠が胸の痛みに気づかない振りをしながら言った。


「そうだな……。俺も後15分くらいで戻らないといけないから、それまでに少しでもお見かけ出来るといいんだけどな」


 滝葉が頷いた。胸のうずきが執拗に美珠を突き刺してきたが、懸命にそれを堪えた。


「あ……ごめんなさい。あたしそろそろ夕食に行かなきゃ。早くしないと席なくなっちゃうかもしれないし」美珠が話題を切り上げるように言った。


「あぁそうか。呼び止めて悪かったな」


「ううん、いいの。ちょっとでも話せてよかった。滝葉さんもお仕事頑張ってね!」


「ありがとう。じゃあまた」


 滝葉は美珠に手を振り、踵を返して廊下を歩いて行った。食卓のある方向だ。窓や扉の隙間から、少しでも準華の姿を見られたらと考えているのだろう。美珠は取り残されたような気持ちでその背中を見送った。


 本当はもっと話をしていたかった。滝葉は美珠のどんな些細な話でも親身になって聞き、嬉しい出来事には声を上げて笑い、悲しい出来事には一緒に心を痛めてくれた。そんな滝葉であればこそ、美珠は幼なじみという立場を越えて彼に惹かれるようになったのだ。だけど、準華に焦がれる滝葉を前にしては、平静を装ったまま会話を続けることなど出来そうになかった。


 美珠は滝葉が廊下を曲がり、その姿が見えなくなるまで彼の背中を見つめていたが、やがて小さため息をつくと、自分も廊下の反対側にある食堂の方へと向かった。

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