沈黙の竜姫 外伝

瑞樹(小原瑞樹)

第1話 傍に控えて

1−1

 竜王国りゅうおうこく。それは太古の時代、竜が生きていたという伝説の眠る王国である。王都である竜の都は王国の中心部に位置し、地方から訪れる商人や観光客の往来で賑わっている。また、街の奥にそびえる王宮には多くの下男や下女が仕え、王宮内の雑事をこなすべく日々あくせくと働いている。


 その王宮内の一室で、2人の若い女が鏡に向かい合っていた。1人は白いドレスを纏った女で、鏡台の前にある椅子に静かに腰掛けている。もう1人は地味な格好をした女で、ドレスの女の髪を結わえてやっている。彼女達こそが、この竜王国の姫である準華じゅんかと、その侍女である美珠みたまである。


「はい! 終わりましたよ! 準華様。鏡でお姿を確かめてみてください」


 美珠が準華の髪から手を離して言った。準華が目を開けて顔を上げる。物憂げな瞳を縁取る長い睫毛に、陶器のような白い肌、そして上品に編み上げられた亜麻色の長い髪。はっと息を呑むほど美しい女性の姿が鏡に映っている。


「あら、素敵。美珠、あなたって本当に髪を結わえるのが上手なのね」準華が表情を綻ばせて言った。


「そんなことないですよ! 準華様は元々お綺麗だから、何をしても似合うんです!」


 美珠が謙遜して言った。実際、準華以上に美しい女性を美珠はこれまで見たことがなかった。一方で、新しい髪型が準華の美しさを引き立てている事実は、侍女としての誇らしさを美珠に感じさせもした。


「夕食の時、国王様にお見せするのが楽しみですね。またお綺麗になったって喜んでくださいますよ」美珠がにっこり笑って言った。


「どうかしら。お父様もお忙しい方ですもの。私が髪型を変えたことにも気づかないんじゃないかしら」


「いいえ、絶対に気づかれますよ! 国王様は準華のことが一番大事なんですから」


 美珠が自信を持って請け負った。準華の父である泰嘉たいかが娘を溺愛していることは、王都だけでなく地方にも知れ渡った事実だ。準華も普段の父の言動を思い出したのか、くすりと笑みを漏らす。


「ありがとう、美珠。他にすることもないから、今日はもう下がっていいわよ」


「あら、駄目ですよ! あたしは準華様の侍女なんですから、お側を離れるわけにはいきません」


「でも……私1人のためにあなたを引き留めておくのは申し訳ないわ。お友達にでも会ってきたらどうかしら?」


「大丈夫ですよ。あたし、特に仲のいいお友達はいませんから」


 美珠が寂しげに笑った。

 美珠が準華の侍女を拝命したのは今から3年前、美珠が11歳の時だ。美珠の母である椎羅しいらが王妃、つまり準華の母の侍女をしていた関係で、美珠が準華の侍女になるのは美珠が生まれた時からの必然だった。

 美珠は多くの時間を王宮内で準華と共に過ごし、準華についてありとあらゆることを教えられた。美珠自身、特にそのことに不満を覚えたわけではなく、むしろ姉妹同然に育った準華と一緒にいられることを喜んでいた。だが、そのために美珠が王宮外の人間と関わる機会は少なくなり、街に住む同世代の女の子と友達になることもなかった。


「……そう、ごめんなさいね」

 準華が心苦しそうな表情を浮かべた。美珠に友人がいないことに自責の念を感じているようだ。


「あ、気にしないでください! あたし、準華様とお話してるだけで十分楽しいですから! それに、話し相手なら滝葉たきばさんや松宮まつみやもいますし」

 

 美珠が慌てて取りなした。

 滝葉と松宮は、竜王国の兵役部隊に所属する下級兵士だ。滝葉は美珠よりも2つ年上の幼なじみで、滝葉が松宮と友人になったことで美珠も松宮と親しくなった。彼らの訓練が終わった後で食堂に集まり、一緒に食事をしながら互いに今日の出来事を報告し合うことが日課になっている。気の置けない2人と過ごす時間は、美珠の心にいつも安らぎをもたらしてくれていた。


「そう言えば、最近その2人の話をあまり聞かないわね。あまり会っていないの?」


 準華が尋ねた。準華に何か話を聞かせてほしいと頼まれた時、美珠はよく彼らの話をしていたのだ。


「そうなんです。最近は夜の警護に当たることが多いみたいで、なかなか時間帯が合わないんですよね」


「そう……。兵士の皆さんも忙しいのね。あなたは大丈夫? 寂しくないの?」


「うーん、1人で夕食を取るのはちょっと寂しいですけど……。仕事なんだからしょうがないですよ」


「いいえ、違うの。そういうことではなくて……」


 準華が歯切れ悪く言った。美珠はきょとんとして彼女の顔を見返す。


「……ほら、好きな人には、出来るだけ毎日会いたいと思うものでしょう?」


 準華が少し顔を赤らめながら言った。美珠はしばし目を瞬かせた後、みるみる自分も顔を赤らめた。


「そんな……。あたし、別に滝葉さんのことは何とも思ってないですよ」


「あら、私、彼の名前は一言も出していないわよ」


 準華が悪戯っぽく笑みを浮かべた。墓穴を彫った形になり、美珠はますます顔を赤らめる。


「……あたしはともかく、滝葉さんの方は、本当にあたしのことを何とも思ってませんから」


 美珠が小声で言った。準華を直視していられなくなり、気恥ずかしそうに視線を落とす。


「そうかしら? あなた達は幼馴染みなんでしょう? 昔から知っていた仲であれば、自然と好意を抱くものではないの?」


「逆ですよ。ちっちゃい頃から知ってるから、余計に妹みたいにしか思えないんです」


「そういうものなの?」準華が首を傾げた。


「はい。それに……滝葉さんには、他に好きな人がいるんです」


「あら、そう……。それは残念ね。あなたも知っている人なの?」


「……はい、よく知ってます。その人はとても綺麗で、おまけに優しくて……あたしなんかとは比べ物にならないくらい魅力的な人なんです」


 美珠がしみじみと言った。準華はなおも首を傾げている。決して広くはない美珠の交友関係の中に、そんな女性がいただろうかと不思議がっているのだろう。


 美珠は寂しげに微笑みながらそんな主人の姿を見つめていた。準華の言葉にはまるで他意がない。ただ、王宮内で孤独を感じている美珠の身を案じてくれているだけなのだ。

 それだけに美珠は心苦しかった。自分の美しさが、どれほど多くの兵士に甘く苦しい夢を見させているかを準華は知らない。だから、滝葉が想いを寄せる相手が他ならぬ彼女自身であることにも、準華はまるで気づいていないのだ。

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