8月25日

 豪勢な朝食をもりもり食べ、私たちは昼頃にお婆ちゃんの家にたどり着いた。家の前にも近くの有料パーキングにも両親の車は見当たらない。さらに慎重を期してまずナツが訪ねていった。

 一応、両親は誰も来ていなかった。ただ電話はあったとお婆ちゃんが言った。

「咲ちゃんも夏都ちゃんも、怖い目に遭ったんだね。お父さんから聞いたよ」

 お婆ちゃんはそう言って私と夏都を交互に抱きしめてくれた。お婆ちゃんの細い腕は温かい。私は目をつむって懐かしいその感覚をかみしめた。

「二人は悪くないからね、お母さんにも言ってあげるから。今日は泊まりなさい」

 お茶を入れてくるね、と居間に通されて私はすぐに不穏な空気を感じた。何だろう、とても片付いている。お婆ちゃんの家は汚いわけではないけど物が多かった。居間もよく分からない健康器具や誰かのお土産物のこけしなどが所狭しと並んでいて、お婆ちゃんはどれも大切にしていた。それがすっかりなくなっている。

「ごめんね、お茶請けにおかきしかなくて」

「ありがとうございます!」

 ナツが遠慮なく麦茶とおかきに手を伸ばす。

「なんか、すっきりしたね」

 私の言葉にお婆ちゃんは恥ずかしそうに笑った。

「ごちゃごちゃしてたでしょ? 必要な物以外処分したのよ」

 処分、お婆ちゃんの口から聞くことがない言葉が出た。

「捨てちゃったの?」

「捨てたのもあるけど、欲しい人にあげた物もあるね。あ、咲ちゃんも夏都ちゃんも、好きな物持って帰って良いわよ」

 おかきを咥えたナツと目が合った。ナツもさすがに何かおかしいと気付いたようだ。

「お婆ちゃん、引っ越しするの?」

 お婆ちゃんは一瞬目を見開いた。

「聞いてない? この家を売ってシニア向けマンションに入るの」

「老人ホームってこと? お婆ちゃん元気じゃん」

 と、ナツ。

「まだ体が動くうちから入れるところもあるのよ」

「お父さんは知ってるの?」

 私が聞くと「そりゃそうよ」とお婆ちゃんは笑った。

「手続きとか全部してくれたのはあの子よ? 保証人だし」

 頭がぼうっとした。その後お婆ちゃんとナツは勝手にしゃべっていて、私は何も考えられずそれを眺めていた。ご飯を食べて、お風呂に入って、私が先月まで寝ていた部屋にお布団を並べた。

 その部屋も既に何もない。

「ハル、大丈夫?」

 布団の中から天井を見上げているとナツが覗き込んできた。

「うん」

 大丈夫がどういうことか判らないまま返事をする。

「こういうときに言うことじゃないかもしれないけどさ」

「うん?」

「さっき居間の引き戸の磨りガラスに、私がいた」

「・・・・・・どういうこと?」

「ドッペルゲンガーだと思う。あんまりここに止まらない方が良いかも」

 いや、止まらない方が良いというか、止まれないんだけどね。そう返事しようとしたら言葉に詰まった。無理に声を出そうとしたら嗚咽になった。止めようとしたら、目から涙があふれてきた。

 止まらない。苦しい。痛い。どれも声にならないけど、ナツは気付いて背中をさすってくれた。お婆ちゃんに聞こえないようにずっと手で口を覆って泣いた。ナツは撫でてくれていたのがいつの間にか抱きしめてくれていた。

 私たちはその日、一つの布団で身を寄せ合って朝を迎えた。

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