4.殉教
†
呻き声——
臭気と手足の歪みの他は、世界はただこの音であった。
それは、耳に届いて初めて周囲の者の口から生じているものと気付く。
私以外にも吊られていたのか。
それは幾人であろうか?
幾人がこの苦き杯を受けたのか?
されど御心のままに——
御心のままに。
一切はデウスの愛なのだ。
この苦みこそがデウスの愛なのだ。
デウスは善きものであり人々を愛する故に、賛美を捧げ、伝教に尽くした私にこの苦き杯を与えられたのだ。
異国の言葉を学び、デウスの教えに肉薄し、異国の皇帝にさえ認められる業を成し、主の愛こそが世界の普遍であると示して来た。
その報いこそが、この苦き杯なのだ!
さよう、我が主基督はその無垢の御身にあって人どもが罪をうけ、御心に任せてその杯を飲干された。
されど、そこには使徒どもの姿はなかった。
後には続いたが、その時は御側にいなかった。
今、私もその後に続く時。
善き者が失われ、悪しき者が栄え驕っているかに見える。
デウスは善きものであるが故に、顧みの機会を与えているのではないのか?
ソドムとゴモラでさえ顧みの機会を与えられたように、穢土の城にもその慈悲を示されているのだ。
私はそれを示す使命を任されているのだ。
或は島原での根切り。
或はその後の弾圧。
それらによって生じる種々の声。
そのいずれもが、賛美へと転じ得るに充分である。
あなたの愛を示すにはそれでもなお充分であろうか?
私が裏切られ、投獄され、拷問されるを以て、あなたの愛の偉大さは十二分に示されるであろうか?
愛に無智故の反切支丹の嘲りと傲慢さを以て、あなたの愛の偉大さは十二分に示されるであろうか?
「お前に尋ねる。
神である私に答えてみよ。
お前は私が定めた事を否定し、自分を無罪とするやめに私を有罪とさえするのか」
ヨブ記の一節が頭をかすめる。
さよう、私はデウスが大地を
我を超えた知識もないのに、言葉を重ねてデウスの経論を暗くしてはならない。
ノアの代には地上を清められた。
モーセの世には種々の瑞兆と海を割られた。
基督ましますときには御子を通じて種々の奇跡を示された。
それらを今示されないからと云って、その愛を疑い、嘆いてはならない。
私は、デウスと基督と聖母とを慕う切支丹なればこそ、その御心に愛で応えよう。
基督がそうされたように。
真言僧、その密教の秘儀を以て種々の威徳を表し権勢を誇っている。
或は念仏宗は弥陀でさえ臨終の際には観音を遣わし栄光を示すと云う。
暗く、苦しいが故に光はより強く輝く。
ゴルゴダはここに。
さよう。
さよう。
さよう——!
そも、デウスが愛は、もとより我等人の子に限られてはおらぬ。
悪が栄えるのを捨て置かれるように見えるのも同じ。
ベヘモットやレバタインが如く、一切の調和の為なのだ。
我等は追放されし末裔。
元罪抱えし穢れた者共。
故に、与えられ、答えられ、開かれても、その全ての知覚は
故に、御身が愛や、恵みを重ねようとも、沈黙と捉えることもあろう。
故に、聖母マリヤが一切の獣どもを踏みつけにしようとも知る事能わぬかもしれぬ。
さよう、デウスは誠に慈父であられる。
慈父であられるが故に、自らの子に試練を課す。
獅子は千尋の谷を昇ってこそ獅子なのだ。
私はこの慈愛を感得する為に一生を使ったのだ。
私は答えを身で以て聞く為に辛労を尽くしたのだ。
生まれ出し恩に感謝する。
母胎より出でしとき、そのまま墓へ入らずに良かった。
この私の一生は歓喜に満ちた。
愚者も賢者も、等しくデウスの愛に包まれるように。
嘗て洗礼を受けながら、私を嘲る者にも祝福あれ!
彼等は何をしているのか判らないだけ。
その嘲笑の故に私は基督により近づけたのだから!
これが為に、私は穴に吊るされているのだ。
デウスの愛を悟る為。
ふと、頭上の「光」に気が行く。
ただ、それを受けさえすれば、我が使命はここで終わる。
何と有難いことか。
これで——
答えられる——
さよう——
さよう、我が振舞こそがデウスの愛への答え——
さよう、デウスが、基督が、聖霊が授け賜うた愛への答え——
然り——
然り、我が小さき身と心とが愛で充たされる——
然り、デウスも、基督も、聖霊との愛に溶け込む——
須く不完全な私も完全なる
「
ふと口をつく言葉——
基督の言葉——
——
昇天の光に。
泪が止めどなく溢れた——
「ほ?止まりおったぞ?」
役人の声。
遠のく意識の中、光が見える。
それは、朝の光。
夜明けの光。
遠くから、光がやってくる——
「如何なされた、パードレ?もう命尽き申されたか?」
奉行所の役人が私の顔を見て驚く。
再び、言葉と世界とが照らされる——
「そこもとの申しておった『デウスへの愛』とやらは、これにて証されたのか……?」
打ち鳴らされる
朝の光の中、私は暖かい愛の光に包まれた——
夜明け @Pz5
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