高校一年 二月

 美代は調べものを始めた。瑠夏が通う私立高校の、所在地やカリキュラム、始業時間や終業時間等の情報を資料請求して取り寄せ、熟読して何やら探り始めた。何をしているのかと問うと、瑠夏に会う方法を探している、と答えた。

「家に行っても会ってくれないから、学校に押しかけようと思うの。悠は一緒に来てくれる?」

 私は驚いた。が、一目会いたいと言ったあの日の美代の眼差しを思い出して、彼女が本気であると理解した。美代は一目会うまでは思いを諦めないつもりなのだ。ずっとそばで彼女の恋を眺めて来た私に言える答えは一つだけだった。

「うん。一緒に行くよ。力になるよ」

 美代は嬉しそうに口元をほころばせ、八重歯を覗かせた。

「ありがとう。さすが悠。やさしい」

 生きる時代は選べない。この時、スマホやインターネットやメッセージ機能があれば私たちはまた違った接触を持てたのかもしれない。しかし、この時代にそれらはなかった。私たちには、資料に記載されたタイムテーブルから下校時刻を推量し、何のアポイントメントも取ることなく一か八かで相手の学校に乗り込むという方法しかなかった。

 二月の、冬曇りの平日、私と美代は午前中で学校を早退して最寄り駅で集合し、電車を乗り継いで一時間ほどの、遠くの見知らぬ駅まで来た。駅舎を出て、昨晩の内に紙に印刷した地図を頼りに私たちは瑠夏の通う高校へ向かった。途中、道を一本間違え、坂を上る本来の道からだいぶ下がった位置に来てしまったと気づいた私たちは、地図に指を這わせどうすべきか探り、結局、来た道を戻って正しい道を歩き直したりして、最終的に午後二時半頃に私立高校の正門前に着いた。資料に記された下校時刻まであと三十分あった。

「どうする?」私は尋ねた。

「待つ、か」美代は地図を手に、近辺を探った。公園を探していたらしい。座って待つ場所を求めたのだ。しかし、近場に公園はなかった。コンビニもなく他商業施設もなく、住宅街の直中に設けられた学校はただ通うためだけに特化した立地にあると知れた。

 行く宛てを失った私たちは正門から少し離れた位置で立って過ごした。二月のよく冷えた風が首筋を撫でる度、私と美代は亀のように首を縮め腕を擦った。雪でも降り出すのでないかという寒さと曇天だった。予報では冬晴れのはずだった。

 午後三時に終業のチャイムが鳴り、間もなく下校が始まった。生徒が三々五々、正門を出て来た。この人数の中から美代を見つけるのか、と思うと、それは困難ではないかという現実的な考えが私の中で頭をもたげた。下校開始僅か十分で、私はほぼ不可能だと認識を改めざるを得なかった。三十分経つと掃除を終えた生徒がさらに密集して帰り始めた。私は日を改め、瑠夏が家を出るところを待ち伏せたほうがいいのではないか、と美代に進言した。しかし美代は今見つけるんだと言った。きっと見つけられる、と言った。

 私も覚悟を決めた。今ここで瑠夏を見つけるしかない。その後美代がどうするかは分からないが、とにかく、見つける以外に道はないのだ。奇跡を起こすしかない。

 掃除を終えた生徒の集団が途切れ、校庭からは部活動を始めた生徒らの声が響き、正門を出る生徒はごく少数になった。瑠夏は予備校に通っている。ということは部活には属さず放課後はすぐに帰るはずで、では、見落として既にすれ違いとなってしまったのだろうか。瑠夏はいくら待っても出て来ないかもしれなかった。そんな弱気が心の隙を突いた時。

「あ」と美代が言った。

 私は正門の奥に目を凝らした。大ぶりの紺のマフラーを首に巻いた背の高い女の子が歩いて来る。瑠夏だった。私は美代にどうするか目で伺いを立てた。美代は食い入るように瑠夏を見て、もう一度「あ」と漏らした。

 瑠夏の横に男子が並び、親しげに話しかけていた。瑠夏は口元を手で覆って笑い、男子も手を叩き嬉しそうに笑った。親密な仲。同じ中学の子が言っていた。瑠夏の彼氏は同じ予備校に通う、同じ高校の生徒だと。

 美代が私の手を掴み、力強く引っ張った。私は彼女の手に導かれるまま、正門から遠ざかった。正門から少し距離を置いてから、美代は立ち止まった。視線は正門に釘付けになっていた。美代は彼氏らしき男子生徒の登場に驚き慌て、遠巻きに様子を窺う選択を取ったようだった。

 正門から瑠夏と男子生徒が出て来た。私たちとは反対の方角に向かった。もしかしたら一瞬、私たちを視界に入れたかもしれなかった。が、私たちに気づくことはなかった。敢えて見ぬふりをしたのか、それとも私たちのことなど忘れてしまったのか、それとも単に気づかなかっただけなのか、判別は難しかった。

 背を向けて歩く瑠夏と男子生徒の後を、美代は十分な距離を置いて追いかけ始めた。私も付き従って二人を追った。美代は先ほど私を正門の余所へ引っ張った名残で、まだ私の手を握っていた。その手から強い緊張が伝わって来た。いつの間にか雪がちらちらと降り始めていた。

 最寄り駅への最短ルート通っていた瑠夏と男子生徒は、途中で大きく下校路を外れた。私と美代は地図を参照しながら二人の後を追った。どこに向かっているのか皆目見当もつかなかった。

 やがて二人は住宅街に設けられた住民用の小さな公園の敷地に入った。私と美代は困った。公園は四方が金網に囲まれ、しかし他に目を遮る物もなくどこにいても周囲を見渡すことができた。接近すれば視界に入ってしまう。不用意に様子を窺うと後をつけて来た労作が一瞬で無に帰してしまう可能性があった。

 私と美代は視線を交わしてどうするか相談した。私にはアイディアがなかった。美代は金網越しに接する住宅に目を遣った。初めは意味が分からなかった。が、間もなく知れた。美代はその住宅に侵入し、ブロック塀越しに様子を窺うと言っているのだった。私は従った。私たちは大胆だった。

 勢いよく侵入した住宅は、カーテンを閉め切って暖房を利かせているようだった。雪の日に家人がわざわざ庭の様子を窺うこともなく、私たちが不審者として検挙されるリスクはほぼなかった。私たちはブロック塀に張り付き、そこに設けられたアーチ状の隙間から公園の様子を覗き見た。瑠夏と男子生徒が、ブランコに座ってぶらぶらしていた。

 二人は何やら話し込んでいた。時折腕時計に視線を落とすのは予備校の授業に遅れないよう時間を確認しているのに違いなかった。笑い声がして、またぶつぶつと喋って。実に楽しそうだった。

 私は美代の心中を思った。一目会う、と言ってもこんな邂逅は望んでいなかったのではないか。こんな幸せを見せつけられるような会い方は嫌だったのではないか。なんて残酷な運命なんだろう。横目で見た美代の頭に雪が乗って、すぐに消えた。握られた手は汗ばんでいるように思えた。美代は食い入るように二人を隙間から見つめていた。まるで、一挙手一投足も見落としたくないと言うかのように。

 ちらつく程度だった雪が、段々と勢いを増して来た。

 公園の二人は輝度を失った灰色の雪空を見て、そろそろ行こっか、というようにブランコから腰を上げた。そして並んで立った瞬間、男子生徒が、瑠夏の顔に顔を寄せた。角度が良くないので分かりづらかったが、二人は接吻しているに違いなかった。私の心臓はいばらで締め上げられたようにずきずき痛んだ。瑠夏が男子生徒の腰に手を添えた。二人はしばらく接吻していた。

 美代は二人をじっと見つめていた。息を殺して見ていた。二人が長い接吻を終え、身を離しても微動だにせずブロック塀のアーチから覗いていた。

 やがて瑠夏と男子生徒は公園を去った。美代はブロック塀に身を寄せるのをやめ、私に言った。

「帰ろっか」

 美代の手が、私の手を握るのをやめた。

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