中学二年 夏休み明け
中学二年に進級して、一学期も中盤に差し掛かる六月手前の頃だった。
小清水京子が男子と付き合い始めた。相手は校内で目立っていた、やんちゃであることでも有名な男子だった。
二人は中学校の学び舎の中でべったり身を寄せ合って時を過ごした。休み時間は一緒にぽそぽそと喋り、昼休みは向かい合ってお弁当のおかずを融通し合い、放課後は仲良く部活をサボって下校した。
周囲は彼らを持て囃した。イケてるグループのリーダー同士の交際。学年代表カップル。未来の夫婦。時にあいつらは恋愛依存症だという揶揄も、やっかみを持って唱えられた。
そんなモデル夫婦のようなカップルは、夏休みが明ける頃には既に破局していた。夏休みにセックスして、避妊に失敗してひと悶着あったとの噂がまことしやかに流布していたが真相は不明だった。
とにかく、二人は別れた。あれだけ仲睦まじく過ごしていた二人は互いを避け、存在を否認し、交際していたこと自体を無かったこととした。あんな男と付き合ってたことが汚点よ、とある時京子が言っているのを私は耳にした。その剣幕は激しく、二人が振り撒いていた幸福からは想像だに出来ない姿だった。
「あんなに幸せそうだったのに、結局別れたよねー」
美代は、勿論京子がいない時だが、明け透けな調子で京子を悪し様に言った。
「やめなよ」と私は言った。
瑠夏も私に加勢した。「人の不幸をあんまり言い立てるのは良くないよ」
「でもさー」美代はやめなかった。「考えちゃわない? あれだけ幸せの絶頂、みたいに振る舞ってたのに、結局は別れて、今じゃ互いをあいつマジ有り得ない、みたいに悪く言ってる。なんか、幻滅したっていうか」
「幻滅?」と瑠夏は尋ねた。
「幻滅、であってるのかなあ」美代は思弁するように顎に手を添えた。「なんか、男子と付き合ってもいいことないなって思ったんだよね。恋愛ってもっとハッピーなものだと思ってたけど、なんかなあ、こんなものかよ、って」
「美代」私は窘めた。が。
「まあ、分からなくはない」と瑠夏は言った。「好き合ってた同士が、今じゃ憎み合ってる。通じ合ってた者同士が、今じゃ無視し合ってる。恋愛なんて不毛だなって思う、あの二人を見てたら」
「……まあ、一概にあれが恋愛の全てとは言えないけどね」美代が否定的な弁論に対して否定的な反応を示したのは、瑠夏に思いを寄せているからだった。あわよくば恋愛関係に陥りたいと願っていたからだった。利己的な視点で恋愛の否定に慎重な姿勢を示したのだった。
「じゃあ、恋愛って何なの?」瑠夏が訊いた。
「それは分かんないけど……」美代は次の台詞について、言うか言わないか深く考え込んでいる様子だった。結局、言った。「男だよ。男と付き合うのがクソなんだよ」
「それって……」瑠夏は言っていいものか悩むように言い淀んだが、こちらもやはり言った。「レズが良いってこと?」
私はレズという単語にどきりとした。それが否定的に用いられたような気がして猫が尻尾を踏んづけられた思いだった。私は美代が好きだった。女の子が女の子を好きなのだった。
横目で窺った美代は、存外冷静な面立ちだった。私なら言い訳を並べてしまうところ、割合理路整然と喋った。「レズが良いのと男がクソと言うのとが必ずしも同じ性向を表しているとは思えないけど、まあ、男が駄目ってなったらレズになるしかないよね。誰かと付き合いたいならね」
瑠夏は美代の言い分を吟味し、「まあ」と呻いた。「別に私レズではないけど、美代の男がクソって言い分には賛同するかも。今回の場合は女も同様クソだったみたいだけど」
「よね!」と美代は嬉しそうに言った。どこに賛同したのか分かりにくい反応だった。レズではないと言われたことに対し落ち込まないのが私には不思議だった。続けて言った「男はクソだから、瑠夏は男と付き合っちゃだめだよ」という台詞から、どうやら瑠夏がレズか否かより瑠夏が男と付き合う可能性のほうに反応しているようだった。
美代は、瑠夏が男と付き合わないことを願った。同様に、私も瑠夏が男と付き合わないことを願った。私は瑠夏が美代と付き合って欲しいと真剣に思っていた。たとえそれにより自分の恋心が粉々に砕け散るとしても。美代の願いが私の願いだった。
「まあ、男がクソなのは、普段クラスの男子見てれば分かる」
瑠夏はそう言い、不意に私を見た。それにつられて美代も私を見た。二人共私の意見を求めているのだった。
男と付き合う。私はそのことを思い浮かべてみた。彼らは粗野で、汗臭かった。不潔だった。あれは別の生き物だ、と真面目に思った。
「私も、男はクソだなって思うかな」
「だよね!」美代は嬉しそうに笑った。瑠夏も、こういう話題では珍しく可笑しそうな表情を浮かべていた。
私はレズについて深掘りされないか不安だったが、その単語は宙に放たれてからまるで砂糖が水に溶けるみたいに空気に溶け込んで消えてしまった。後で再度浮かび上がることもなかった。
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