Side0-1 夢のつづき
「束縛されてばかりの人生だったけど、それでもわたしはこの星が大好き。だから新しい命を紡いで、城崎日葵は頑張って生きましたよ~って証を残したいの」
そんな日葵の思いを汲んで、僕らは新しい命を授かった。
けれど、出産まであと半年というところで日葵の容態が悪化し、日葵の命か新たな命かと選択を迫られた僕は、泣く泣く中絶という道を選んだ。
もちろん独断ではない。このまま出産したらなにかしらの障害を持ってしまう可能性が高いと伝えたら、日葵も中絶することを選んだ。
しかし、半年近く共に過ごした赤児に未練がないはずもなく、中絶を決意したその日、日葵は一日中お腹の中の胎児に謝り続けていた。
その悲痛な声を耳にしながら、僕は彼女の願いがことごとく叶わない不条理な世界を呪った。あの日ほど強い怒りを覚えた日はない。
翌日、僕は前日以上の苦しみを味わうこととなった。
人工妊娠中絶とは、子宮の赤児を出産前に死滅させること。
そう理屈ではわかっていて、事実その通りだった。けれど、過程は思い描いていたものとはまるで違って。大まかな部位はわかるものの細部がまだ不確実な胎児は、生き延びようと子宮を駆け回るのだ。
必死に生きようと足掻くその姿を見て、僕は言葉を失った。
あまりに残酷な一幕だった。二目と見られないその光景は、紛れもなく僕の意志がきっかけで誘致されたもので、そう理解した途端、かつて経験したことがないほどの罪悪感がのしかかった。
何度も吐瀉物をぶちまけ、それでもわだかまりは取り除かれなくて。
日葵の命を優先しての選択。
しかしそれは、同時にひとつの命を奪うことを意味した。
命は等しく平等なものだと思っていながら、僕は赤児の命を軽視していたのだ。
迷いなく中絶という選択ができた自分に反吐が出た。
その後、日葵の容態は徐々に快復していったけど、ある日突発的に症状が悪化し、そのまま帰らぬ人となってしまった。
それが6月下旬の出来事。
まだ向日葵の全盛と呼ぶには早い、夏のはじまりだった。
× × ×
「一旦、リセットして気持ちを落ち着けよう」
そう日葵に諭された僕は、言われるがままにお風呂に入り、たっぷり10分ほど浸かって気持ちを落ち着けた後、ふたりが仲睦まじく会話している姿を見てまたも感極まってしまった。
夢のような瞬間が確かにある。目の前に広がっている。
眦を拭うと、手が濡れた感触はなかった。
泣きすぎて涙が枯渇したのかも知れない。
「ごめん。情けない姿を見せて」
僕の声に日葵と翼咲が振り返り、柔らかな笑みを浮かべる。
「そんなこと少しも思ってないよ。やっぱり晃丞くんは晃次くんのままなんだなって、むしろ安心感を覚えたくらい」
「お父さんは基本、泣いてばかりですからね。見慣れたものです」
「え、そうなの?」
日葵が食いつく。
「はい。毎晩毎晩、わたしに抱きついてはえんえん泣いて泣いて……」
「待って待って捏造しないで。
なでなでしてって頼んで抱きついてきたのは翼咲でしょ?」
割り入った僕に、翼咲はひどく寂しげな笑みを向ける。
「お父さんの温もりを知りたかったんです。迷惑、でしたか?」
自責の判断を僕に仰ぐように小首を傾げる。
「いや論点がズレて……まぁいいや。全然、迷惑なんかじゃなかったよ」
「いやぁ~やっぱ晃丞くんだなぁ。
甘い! それじゃ翼咲がダメ人間になっちゃうよ」
「それでもお母さんよりは立派だと思いますよ?」
「なんだと娘ー」
日葵がわしわしと翼咲の頭を撫で回し、翼咲は「やめてください」と言いながらも満更でもない顔をしている。
仮に予定通り翼咲が産まれていたとしたら、その時点での日葵の年齢は僕と同じ27歳。そこに今の翼咲の容姿、大体高校生程度の年齢を足すと……最低でも42歳。のはずだけど、日葵は1ヶ月前に逝去したときと変わらない若々しさを保っている。
「さぁ~て、それじゃご馳走にしよっか。翼咲、手伝って」
「はい」
食卓机に置かれた豪勢な料理を、わざわざ小さなちゃぶ台に運んで来る。
「あのさ翼咲、どう考えても載せきれないと思うんだけど」
「大丈夫です。代わりにくっつけますから」
「会話が成立してないよ?」
利発的な印象を受ける翼咲もお祝いムードに中てられてか気が緩んでいるようで、るんるん鼻歌を口ずさみながら皿を運んで来る。すごく楽しそう。
「……ま、いっか」
説明がつかない状況だけど、頑なに理屈を求めては場が白けてしまう。
日葵と翼咲がいる。
それだけで十分じゃないか。
ジュースが3人に行き渡ったことを確認すると、日葵が意気揚々と音頭を取った。
「それじゃあ改めましてっ! メリークリスマス!」
「まだまだひぐらしが全盛の真夏です」
「細かいことは気にしないの」
「見方が大局的すぎますよ……」
翼咲にしてみればしょうもない茶番。
けれども、僕にとっては郷愁を誘う特別なもので。
去年の僕の誕生日も、日葵は明けましておめでとう、なんて脈絡もないことを言って戯けていた。日葵が訳知り顔で日葵がウインクしてくる。生前と変わらない彼女の眩しい笑顔を見て、僕はひどく悲しい気持ちになりながらもなんとか微笑み返した。
家族で食卓を囲っているからか、料理は不思議と美味しく感じる。
というのも、日葵は超がつくほどの料理下手で、生前に一度振る舞ってもらった彼女の料理は、悪い意味で忘れられない味だったからだ。じゃりじゃり食感の胡椒チャーハンを越える毒薬とは、今日に至るまで出会っていない。
「わたしが梃入れしたんです」
「なるほど。どうりで美味しいわけだ」
「ちょっと、失礼じゃない⁉」
チャーハンも碌に作れないのにエビチリは上出来だなんておかしいと思ったけど、やはり縁の下の力持ちがいたようだ。
「師匠が立派だと弟子も立派になるんです。ありがとうございます、お父さん」
「ん、あぁ……」
翼咲をどう解釈したものかと考え倦ねた僕は、当面は「予定通りに産まれた別世界の翼咲」と認識することにした。多元宇宙論というやつだ。
並行世界の僕は、さぞ真摯に翼咲を指導したのだろう。
たしかに、やや薄めの味付けが少し僕の料理と似ているような気もした。
「んん~なにも気にしないで暴飲暴食できるこの至福! たまらんっ!」
一方の冷静沈着な娘の母親はというと、驚異的なピッチで皿に盛られたおかずを平らげてはこんもりと皿におかずを盛り……と、自慢の食い意地をひけらかしていた。
昔からだけど、日葵は見ている側の食欲をそそるほど美味しそうに食事をする。
ほくほくの彼女を見ているだけで、僕は満ち足りた気分になる。
「僕も翼咲も小食だから、そんなに焦ることないよ」
「ん。別に焦ってないよ?」
「そのペースで?」
「うん。……あ、さては衰弱したわたしの印象が強すぎて、それ以前のことは綺麗さっぱり忘れてるなぁ?」
「まさか。一瞬たりとも愛するひとの所作を忘れる僕じゃないよ」
「おぉ……」
感嘆の声を上げたのは翼咲だ。
なにかおかしなことを言っただろうか。
そう思い眼を転じると、日葵は頬を仄かに赤く染め、へへへと、どこか照れ臭そうに笑っていた。
「やっぱり晃丞くんは、いつまで経っても晃丞くんなんだなぁ」
「そりゃ僕は僕だからね」
「違いますよお父さん。
けど……うん、わたしもお父さんのそういう所、いいと思います」
「……からかってる?」
ふたりに問いかけるも、返されるのは優しい視線だけで。
まぁ悪意は感じないし、深く追求するのは控えよう。探究心旺盛な僕にしては珍しく、謎の解明を諦めてばかりだけど、それは当然のことで。
愛する妻と愛する娘なんだ。少しの不快感も与えたくないに決まっている。
家族3人、仲睦まじくお喋りに興じながら箸を進める。
話題という話題がないにもかかわらず話が尽きないのは、僕らが家族だからだろう。不思議なことに本当に大切なひとと話すときは、これといった話題がなくとも会話が弾む。
日葵がハイテンションで話しかけてきて、翼咲が子供とは思えない落ち着いた口調で話を膨らませて、僕は自然体の笑顔を浮かべながら言葉を返す。
有り得べからざる未来。
もし僕が選択を間違えなければ、数年後にこの光景が見られたのかも知れない。
けれど、過去が変わることは決してない。
日葵は逝去し、翼咲は地上の光を浴びることなく息絶えた。それが現実だ。
つまるところ、神様は僕を試しているのだろう。
本当にひとりで歩けるのか、過去とのけじめをつけることができたのかどうかを。
……まったく、神様はとことん僕に対して辛辣だ。
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