3章 そして僕らは歩きはじめる
side1-5 弱くたくましく、それはまるで……
つばめは僕が逃避の末に生み出した幻覚なのかも知れない。
劣悪な環境下で育った子が副人格を構成するように、僕は自身の支えとなる存在を無意識に創造していたのかも知れない。
ならどうして結月が認識できていたのか疑問になるけど、それは連続性が奇妙に絡み合っていたからだろう。
深月は結月の願いによって現れた。つばめは僕の願いによって現れた。
結月と繋がりをもつ僕は深月を認識することができて、僕と繋がりをもつ結月もまた、つばめを認識することができた。
辻褄は合う。
僕がつばめを認識できて、結月に深月が認識できなかった点は謎だけど。
けれど、それ以外にありえないのだ。そうとしか思えない。
つばめは、頭の天辺からつま先に至るまであまりに日葵に似過ぎていたから……。
「つばめ、君は……」
「わたしじゃ、なかったんだ。紗英さんがふたりの……」
「つばめ?」
拳を胸に当てて、つばめは祈るように目を閉じる。
たっぷり五秒ほどそのまま静止した後、世界に満ちる光を凝縮したように輝く瞳が僕を捉えた。
懐かしい瞳。
この瞳に、僕は何度助けられただろう。
「すいません。やるべきことがあるので質問にはお答えできません」
面影を重ねて見蕩れていると、つばめは深々と頭を下げた。
日葵が僕に頭を下げたのは、記憶にある限り一度きり。
そして、そのたった一度の懇願を僕は拒絶した。
「……恭しいなぁ。つばめはいつも気遣いすぎ」
出産したい。
そんな彼女の宿志を僕は砕いた。
「で、でも、誰かの頼みを断るのはいけないことだから……」
つばめと日葵の関係性はわからない。けれど、日葵と同じ顔をした女の子を困らせるような真似はもう二度としたくない。だから、僕はつばめの意志を尊重する。
「僕だって、結月のためにつばめとの約束を破ったよ」
「でも……」
押し迫ったらころっと自説を曲げてしまいそうな気弱な性格。
……日葵の容姿をした、僕の弱さなのかも知れない。
決断できずに思い悩んでしまうその姿は、島に来た当初の僕によく似ていた。
日葵と出会う前の僕、と言い換えることもできる。
「だからこれでお相子。このままじゃ僕が一方的に悪くなっちゃうけどいいの?」
「それはダメですっ!」
強い意志を持った言葉が僕の耳朶を打つ。
炯々と輝く瞳に一切の濁りはない。
「お父さんの面目は潰せません!」
「なら行っておいで」
元々引き留めようとは思っていない。
つばめはきょとんと目を丸くすると、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「はい。行ってきます」
慈愛。
そう表現してしまうのは、僕が彼女に日葵の面影を見ているからだろう。
身を翻したつばめは、しかし一向に足を進めようとはせず。
「あの」
「ん?」
「いってらっしゃい、は……ないんですか?」
「ああ、ごめんごめん」
感傷にふけり、送り出す言葉をかけることを忘れていた。
出会った当初と比べて、姿形こそは数年に匹敵する成長を遂げたつばめ。
けれど、根本的な部分はあの頃と少しも変わっていないようだ。
「いってらっしゃい」
「はい。行ってきます」
軽快に砂浜を駆けていき、瞬く間につばめの姿は見えなくなってしまう。
日葵と瓜二つの容姿に、どこか僕と似通った弱さをもつつばめ。
「……」
とある可能性が念頭に浮かび上がる。
それは、いつか論外だと唾棄した可能性。
「お父さん」という呼称の、源泉候補に列挙するのも阿呆らしいと唾棄した可能性。
けれど、もしかしたら……。
つばめは、僕と日葵の繋がりの証なのかも知れない。
× × ×
言霊祭が行われるのは、本州から遠く離れた場所にある小さな孤島。
加えてお盆と重なっているにもかかわらず、会場には島民以外の旅客が多く見受けられた。占める割合で言えば、島民よりも旅客の方が明らかに多い。人口密度で言えば、青森ねぶた祭りや秩父夜祭りとさほど大差ないように思える。
となれば、屋台付近で人波に飲まれて身動きが取れなくなるのは必定なわけで。
「ぷはっ! ……あぁ~しんど」
人波を抜けて腕時計を確認すると、まだ7時手前。
目的の時間までは2時間以上もある。
言霊祭に必要な手紙は今朝からポケットに入れていたし、家に帰ってつばめと鉢合わせても気まずいと思ったから言霊祭の会場に来たけど、まさかここまでごった返しているとは。
加麻鳥島にいる間は都会の喧噪を忘れられるのが魅力だというのに、これでは思い出したくもない通勤地獄を思い出してしまう。
それはごめんなので、人溜まりから離れたベンチに腰掛けて涼を取る。
今日1日で蓄積した疲労を取るためにも、今は休息を取ることに徹する。
「晃丞さ~ん」
悪運は僕のことをとことん好いているようで、休む暇なんか少しも与えるつもりがないらしい。
タッタッタと下駄を鳴らしながら駆けてくるのは、お団子状に髪をまとめた浴衣姿の結月だ。
「スカートは似合わないから着ないんじゃなかったっけ?」
浴衣と言っても、結月が着ているのはミニ丈の浴衣だ。
太ももからふくらはぎまで惜しげもなく晒されている。
からかい半分で言ったつもりなのだけど、結月は少しも嫌な顔をしないで、むしろ面映ゆそうに笑っている。
「へへっ、今日はお祭りだから特別っ!」
「今日だけじゃなくていいんじゃないかな」
メイド服も似合ってたし……ん? どうして結月は女の子らしい服装を忌避していたのにメイド服を着ていたのだろう。少し違和感がある。
「ねね、一緒に屋台回ろうよ。わたし、たい焼き食べたい」
メイド……その単語が引っかかるものの、ついに確信に思い至ることはなかった。
「よくもまぁ、真夏にそんな熱いものを」
「ほら、冬ってコタツでアイス食べたくなるじゃん? それと同じ」
その理論を人体の仕組みに基づいて解釈すると、コタツに入り、体が温まることで喉の渇きを覚え、また体の火照りを抑えるために冷たいもの、つまりアイスなどを体が欲すらしい。
なら夏にたい焼きはどうかというと……説明できそうにない。
「……ま、千差万別よりどりみどりってことで。よぉいしょっと。行こうか」
「野太い掛け声だなぁ。寝過ぎて疲れてるの?」
なぜ寝過ぎを指摘されるのかと思ったけど、そういえば、結月には早朝仮病を訴えていたのだった。話を合わせないと。
「そんなとこ。腰が痛くてね」
「はは、いっつも腰痛めてるね。なら少し休んでから行こっか」
と、隣に腰を下ろす結月はあくまで僕と屋台を回るつもりのようで。
本当は人混みが苦手なのだけど、避けて通れそうになかった。
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