side3-8 孤独な誕生日も今年はきっと……

 食後に小休憩を挟んだ後、結月の教鞭を執る。


 と言っても結月は元々利発的な子だから、僕が教えることはほとんどない。


 複雑な解法が存在する数学でさえも言うことがなかったのだ。

 ましてや暗記科目の世界史で僕の出る幕なんてない。


 そう思っていたのだけど……。


「教科書の注釈は説明が甘いと思うんだ。だって、ピラミッドはてこの原理を用いて建造された四角錐の建物です、としか書いてないんだよ? いやいや、それよりも紀元前の人がどうやって精巧な巨石を得たかの方が知りたいよ」


 さすがは冒険家志望。


 成績など元より眼中にないようで、一般教養の外側に興味を抱いているようだ。


 ちなみに過去問の課題はわずか15分ほどで解ききり、正答率は驚異の95パーセント。要所要所が省かれた世界史Aと違い、細かな年号まで暗記しなくてはならない世界史Bでこの成績なのだから、担当教師はさぞ結月の進学に期待しているだろう。


 まぁ、当人にその気はさらさらないみたいだけど。


「確かに、歴史って深掘りするとおかしな点が多いよね。

 豊臣秀吉が一晩で一夜城を築いたって逸話があるけど、あんな立派な城は今の技術をもってしても一日じゃ建てられないよ」

「やっぱり、人外の存在の干渉があったって考えるのが妥当なのかな」

「非科学的だけど、他に証明のしようがないからね。教科書に書かれているのは稗史で、正史は別にある。人類の科学技術は実は衰退してるって説もあったなぁ」

「少し囓った程度でよくそんなこと知ってるね。碩学だなぁ」

「ただの雑学だよ。半可通を振り回してることには変わりない」

「雑学も立派な知識だよ。学校の先生なんて、教科書を復唱してるだけだし」

「ははは……」


 否定できない。


 その後も結月は教科書をめくる度に、常識的に考えて無理があるような注釈に対しての疑問と仮説を口にし、それに対して僕が意見する、というディベート形式の対話が行われた。


 ゼミを思い出す一時だ。


 それにしても、結月は本当に高校生なのだろうか。

 あまりにも博学すぎる気がするのだけど……。


 あれかな、深月が元々優秀で、彼女に近づこうとしたら自然と知識が身についてましたってパターンかな。

 

 しかし、代替行為でここまでの知識を吸収できるとは思えない。


 元々、未知の事象に対して抱く好奇心が旺盛なのだろう。

 そんな彼女にとって、冒険家という職業は天職に思えた。


 ちなみに、つばめと紗英も同じように勉強したいと懇願してきたけど、その要望は勉強道具がないという根本的な原因によって阻まれた。


 行き場を失ったふたりは見るともなしにテレビを眺め、しかし思いの外面白かったようで、今はお菓子を食べながら昼ドラに熱中している。

 メイドさんが男を誑かしたりしない、健全なヒューマンドラマだ。


 なんと理想的な空間だろう。

 まさしく僕の望んでいた休息が訪れていた。


 気づけば正午だ。結月との討論に一段落つけて体を伸ばし、さてなにを作ろうかと冷蔵庫を確認したところで、突如安寧の刻は破られた。


「言い忘れてたけど、今日からわたしも晃丞さんちに泊まるね」

「……なんで?」


 僕の家じゃないというツッコミより早く、疑問の言葉が衝いて出た。


「大丈夫だよ。お父さんとお母さんには事前に了承を得てるから」

「親より先に確認を取るひとがいるんじゃないの?」

「だから役割分担しようよ。食事担当は朝が紗英さん、昼がわたし、夜が晃丞さん。つばめちゃんは浴槽掃除。どうかな?」

「聞いてないし」


 馬耳東風。


 主の異論の余地もなく、決定事項のように並べ立てられる。


 結月が宿泊すること自体に問題はない。

 ただ……。


「えぇ~、華は両手で手一杯だよぉ」


 案の定、首を巡らした紗英が唇を尖らす。


 危惧した通りだ。

 おそらく、ふたりの相性はよくない。見かけ上は。


 小馬鹿にするように、結月は鼻で笑う。


「華だなんて、自意識過剰も良いところだよ。

 晃丞さんから見れば、わたしたちは等しく子供だよ」


 その通り。性別に関係なく、3人は庇護しなければならない若い芽だ。

 大人が子供を守るのは社会的に当然の務めである。


「だからわがまま言っても許されるんだよ」

「横車を押してるって自覚はあったんだね」


 まぁ、事前に相談されようがされまいが、拒むことはないけど。


 厄介ごとを起こすような問題児なら考えものだけど、3人とも大人しい子だから問題ない。口はうるさいけど。


「ふふ、可愛いなぁ結月ちゃんは」


 と、ニタニタ笑う紗英。

 実は結月が一方的に嫌悪感を抱いているだけで、紗英はからかって楽しんでいるだけだったりする。


 嫌悪は盲愛の反作用。行為には限度が必要だ。


 色々とキャパオーバーで残念な紗英だった。


「またそうやって小馬鹿にして……。同い年なのに、なんでそんな大人びてるの?」


 嫉妬というか賛辞というか……結月も実は紗英を好いているのではないだろうか。 

 思えば、結月の口から直接的な悪意のある言葉は一度も出ていない。


 なんと善良な……。素直になればいいのに。


「同い年じゃ……あ、もうすぐ同い年か。へへ、ようやくわたしも17歳~。ごめんね晃丞さん、実はわたし、1年歳を盛ってたんだ~」

「いや17歳が18歳に盛るのはともかく、何故に17なんて微妙な……ってことは、誕生日が近いってこと?」


 まずい、なにも準備していない。

 内心狼狽気味の僕を尻目に、紗英は頷いて言う。


「4日後、言霊祭当日で一周忌なんだ。

 なんだかクリスマスが誕生日ってのに似通ったものを感じない?」


 と、上機嫌に紗英は微笑んでいるけど。


「……1年もひとりでいたの?」


 僕はまったく笑えない。


 死後1年、誰にも認識されずに、紗英はたったひとりで過ごしてきたというのだろうか。


 ひとりとは孤独。


 1ヶ月前に日葵を失った僕は、1ヶ月孤独を味わっただけで心が擦り切れるような寂しさを痛感した。


「いやわたしよりも自分の……はぁ、ほんっと自分に無関心すぎるなぁ城崎さんは」


 ただいまと伝える相手がいない。


 歓談する相手がいない。


 おはようと挨拶する相手がいない。 


 休日は起きてから寝るまで無音の世界。


 その世界では自身の存在さえも忘れそうになる。


「なに青ざめてるのさ。わたしは孤独のエキスパートだよ?」


 そんな世界でこの子は……。


 彼女が自我を失わないで存在していることに、僕は尊敬の念を抱いた。


「……なるほど。さしずめここは、ひとりぼっちの集会所ってところですね」


 哀愁漂う微笑を湛えて、つばめが呟く。


 たしかにそうなのかも知れない。

 皆が今も孤独、あるいは孤独の経験者。


 だからこそ、分かり合えるのだろう。

 当事者として経験したことと小耳に挟んだ体験談とでは訳が違う。


「ごめんなさい紗英さん」


 重苦しい空気が漂う中、結月が深々と頭を下げる。


「え、なにが?」


 しかし、紗英は理解しかねている風だ。たぶん、惚けてはいない。

 事実、紗英は結月の強気な物腰をなんとも思っていなかったのだろう。


「その……境遇をよくわかってなくて」

「いいよいいよ気にしなくて。

 ……実はそういう謙遜した態度の方が傷ついたりして」


 互いの持つ情報に違いがあるから、食い違いが生じてしまう。


 紗英からすれば、友達にいきなり忘れられたようなものだろう。

 結月の改まった態度は、反って紗英の悲しみを増長してしまうに違いない。


「ならどう接すればいいの?」


 もっとも記憶が戻らない限り、紗英の理想の結月には成り得ないんだけど。


 紗英は悲しそうに微笑んで言った。


「普通でいいんだよ普通で。さっきみたいに、突っかかってきていいんだよ」

「でもそれは……」

「ぷんすかしてる結月ちゃんが見たいんだよ。ダメかな?」


 冗談とは思えない落ち着いた声色だった。


 結月はしばし逡巡した後、意を決したように大きく頷いた。


「わかった。改まった態度はなしにするよ」

「ありがと」


 満面の笑みを浮かべる紗英に、結月は困ったように微笑み返す。


 よかった。この様子なら今日からの共同生活も問題なさそうだ。


「お父さん」


 袖を引かれて振り返ると、なにやらつばめが小難しい顔をしていた。


「どうしたの?」

「その、さっき結月さんが言っていた件なんですが……」

「?」


 どの件だろう。


 小首を捻っていると、強い意志を宿した瞳が僕に据えられた。


「わ、わがまま言っても困らない……って、本当ですか?」


 そう問うてくるということは、なにかして欲しいことがあるのだろう。


「うん。本当だよ」

「な、なら……」


 絡ませた指に視線を落としてもじもじ体を捩り、恥ずかしそうに僕を見上げる。


「寝る前のなでなでを日課にしてください」


 なんと可愛いおねだりだろう。

 仮に実の子がつばめと同じことをしようものなら、やに下がった顔をしていたに違いない。というより、今もそんな顔になってるんじゃ……。


「お安いご用だよ。夜と言わずにいつでもしてあげる」

「な、なら今すぐでも?」

「おいで」


 とてとて駆けよって来たつばめの頭を撫でる。


「へへへ」


 こんな小さな幸せで破顔してしまうなんて、この子は一体どれほど過酷な人生を辿ってきたのだろう。笑顔を見ているのに、なんだか悲しくなってくる。


「灯台下暗しってのは、よく言ったもんだね」

「はは、ロリコンおじさん爆誕っ!」


 不名誉な称号を代償に、ふたりの仲が深まったようでなによりだ。


 こんな子を40人も相手にするなんて、教員の苦労は計り知れないなぁ。


 教科書を復唱しているだけだとしても、僕には彼らを糾弾できそうになかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る