side3-7 4人の朝
翌朝、アラーム代わりの結月の呼び声で目を覚ました。
「おはよ、晃丞さん」
「……」
いやに近くで声がしたように感じたけどそれもそのはずで。
視界が開けてまず映るはずの天井は、結月の不満げな顔にすり替わっていた。
「不法侵入は犯罪だよ?」
「今回は特例。いくら呼んでも返事がないから、緊急事態かと思ったんだよ」
結月は屁理屈をこねるようなねちっこい性格をしていない。
とすれば、結月の言葉を疑うのは賢明さに欠ける愚行なわけで。
「……7時」
平日休日に関係なく徹底されていた、六時起きのルーチン。
それがたかだか子供の遊びに付き合った程度で崩れてしまったらしい。
悲しいかな、心身の衰えをしみじみ感じる。
「……あれ? でも結月って、いつも6時に来てなかったっけ?」
だから目覚ましセットを放棄した。
結月も寝過ごしたのだろうか。
そんな疑問が見当違いであることを指摘するように、結月はくいっと顎でキッチンを示した。
「おっはよ~城崎さん」
そこには慣れた手つきでフライ返しするメイドがいた。
「……え、結月にも見えるの?」
「見えるもなにも、両手に花で快眠とは大層なご身分で。
随分と懐柔してるみたいじゃない」
だから子供相手に発情しないって。
と、昨日言い返したのは紗英だったか。
「子供の面倒を見るのは大人の使命なんでね。それに、紗英もつばめと同じだよ」
「つばめちゃんと同じ?」
いくら機嫌が悪かろうと、結月は会話に応じてくれる。
僕の周りはいい子ばかりだ。
「そう。端的に言えば、紗英も幽霊なんだ」
「えぇ……」
疑念を抱くことなく、結月はそのままに言葉を受け取ったようだ。
うん、やっぱりいい子。
苦虫をかみつぶしたような顔をして結月は言う。
「おっかしいなぁ。霊感体質じゃないんだけどなぁ、わたし」
「僕の体質が伝播したんじゃない?」
「まさか。ウイルスじゃあるまいし。けど……ほんとなんですか?」
疑心暗鬼と言った様子で、結月は紗英に問いかける。
スクランブルエッグを皿に盛ると、紗英は弾むようにターンして言った。
「うん。わたしは名実ともに悪霊だよ」
「悪霊っ……!」
結月の顔が引き攣る。
「晃次さん、あのひと見た目からして悪いひとだよ! 都会ではメイドに扮したひとが男を誑かして金を巻き上げてるって、前にテレビで言ってたもん!」
「ひどい偏見だなぁ。紗英も初対面でからかうのはよくないよ。結月は純真なんだ」
「知ってるよ。……わたしは結月ちゃんのこと、知ってるんだよ」
諦観した顔つき。
時折見せる、紗英の本当の顔。
思えばふたりが無関係であるはずがない。
神社で見ただけだけど、結月と豊永さんは気の置けない間柄であるように感じられた。にもかかわらず、娘の紗英と一切の関わりがないというのは不自然だ。
この島の総人口は500人にも満たない。
全員が顔見知りであるはずなのだ。
「わたしは知らないよ。紗英って名前のひと」
片方だけが知っている、なんて事態は起こりえないはずなんだ。
本来は……。
「……そっか。もうそこまで」
ぽつりと紗英は零す。なにがそこまでかはわからない。
「……ま、まぁ、つばめだって初対面の結月のこと知ってたじゃん?
似たようなもんだよ」
「そうだけど……ぐぬぬ、メイドが貞操を破るのは昼ドラの鉄則」
「どんだけメイド嫌いなのさ……」
それに貞操を破るって。
そんなドロドロな題材を昼間に放映するのは良俗に反するのではないだろうか。
現に、間違った思想を宿した少女がここにひとり、大成してしまっている。
ぎりぎりと歯を鳴らす結月を前にしても、紗英はまるで動じない。
やがてなにか閃いたようにぽんと手を合わせた。
「なるほど。ジェラシーだ」
「なっ⁉」
大きく仰け反る結月。
なんともわかりやすいオーバーリアクション。
「ひらひらのフリルでわたしの晃丞さんをかっさらおうなんて……そうはさせない! って感じ?」
「ち、ちち違うもんっ! 別に羨ましくなんかないもんっ!」
「そう? もう一着余りがあるんだけど、残念だなぁ。捨てるしかないかなぁ……」
ふと紗英が昨晩、深月という名前を口にしていたことを思い出した。
もしや3人は仲良しで、毎日こうやって結月をからかっていたのではないだろうか。
在りし日に思いを馳せると、微笑ましくて無性に口角が釣り上がってしまう。
想像だけど。
「それは駄目だよ!
そんな精緻な技術が施された服をポイすることは断固認めません!」
「でも、いらないものは捨てて資源にするのが得策だよ?
ほら、城崎さんもミニマリストを信仰してるし」
と、紗英の視線が向けられた先には、昨夜僕が就寝前に読み進めていた『三秒で用途が見つからないものは処分! さぁ、君も今日からミニマリストになろう!』。
2週間まで売上トップ10に入っていた啓発本で、僕の3冊しかない書物の内のひとつだ。
人生には物が溢れている。
しかし、それは本当に必要なものなのか。厳選に厳選を重ねた後に残ったものが、あなたの人生を色づかせるであろう。というのが著者の考えだ。
……と、そんなことはどうでもよくて。
紗英の奴、しれっと僕を巻き込んできたな。
「わたしはいらない。結月ちゃんも欲しくない。
ならリサイクルが最適解だよね、城崎さん?」
ふたりで論争してればいいのに。
しかし話題を振られた以上、結論を出さねばなるまい。
「なら僕がもらうよ」
ふたりは呆然と半口を開く。
もちろんその結論に至ったのにはわけがあるのだけど、ここだけ抜き取ったら完全に危ないひと、というタイミングでつばめが目を覚ました。
「なにをもらうんですか?」
寝惚け眼を擦りながら誰ともなしに問いかけるつばめを尻目に、僕は続ける。
「で、僕のメイド服を結月にプレゼントする」
「え?」
と、頓狂な声を上げたのはつばめだ。間違いなく誤解された。
対して、最初から会話に参加していたふたりは呆れたように笑う。
「よくそんな善後策が咄嗟に浮かぶもんだね」
「紗英がイジワルするからだ。さ、メイド服を渡してもらおうか」
「はいはい」
3着目のメイド服はクローゼットにしまわれていた。
おかしい、昨日は2着しかなかったはずなんだけど、早朝に取りに戻ったのだろうか。……どこに?
「採寸は結月ちゃんに合わせてあるから問題ないよ」
「最初からそのつもりだったんじゃないか」
そんな出来た話があっていいのだろうか。
いつの間にかメイド服が拵えられていて、採寸まで合わせてある。
こんなの、まるで未来が予測できてるとしか……。
「へへっ! つい、からかいたくなってね」
僕の疑念など露知らず、紗英はぺろっと舌を出す。
……まぁ、僕も一度命を落としたのに生きてるんだ。
今更、こんな小さな矛盾を指摘したって仕方がない。
紗英から受け取ったメイド服を結月に渡す。
「そういえば結月って、こういう系の服着ないよね」
思い返せば、ジャージかタンクトップにショートパンツの組み合わせしか見た記憶がない。
メイド服を受け取ると、結月は頬を仄かに赤く染めて俯いた。
「だって、似合わないもん」
「そう? スタイルいいからなんでも似合うと思うけど」
「うんうん、貧乳はどんなコーデもいけるからねぇ」
隣でこくこく訳知り顔で頷くメイドに軽く手刀をお見舞いする。
「あいてっ」と短い悲鳴が上がった。
「……やっぱ晃丞さんは大きい方がいいの?」
「そんな話題だったっけ?」
「巨乳で大人びた子の方がいいの?」
意図的に惚けたのに、結月からの追随は収まらない。
妙な疑惑を抱かれても面倒なので、この話題はここで断ち切っておこう。
「どんな容姿だろうと関係ないよ。大切なのは中身だから」
「っていうけど、恋愛感情の発生元の99パーセントは見てくれらしいよ」
このメイドは……。
その微妙に反論しにくい水差しはやめて。
結月は紗英の戯れ言を真に受けなかったようで、小難しい顔を一転、破顔する。
「そ、そうなんだ……よかったぁ」
なにがよかったのかわからないけど、結月の顔が綻んだのでよしとしよう。
これにて一件落着。紗英の作ってくれた朝食を食べようと立ち上がると、ほくほく顔のつばめがじっと僕を見据えていた。
「お父さんはモテモテですね」
「気のせいだよ」
少々懐かれすぎているだけだ。
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