side3-6  つながりという奇蹟

 夜、ふと目を覚ますと縁側に人影があった。


「睡眠不足は美貌の敵だよ」


 僕にしてはエスプリの利いた切り出し。

 隣に腰を下ろすと、艶やかな烏羽色の髪を夜風に棚引かせながら、紗英は微笑を浮かべた。


「寝なくても平気なんだ。ご飯だって、ほんとは食べなくても平気だし」

「そうなの? つばめは起きてから挨拶に続く言葉が大体お腹空いたなんだけど」

「栄養摂取とは別に、食事することに意味があるからだよ」


 その意味がなんなのか、おそらく紗英は理解している。


 寂しげな微笑は、額面通りに悲しさと嬉しさが入り混じった表情と解釈できる一方で、達観した表情と言い換えることもできる。


 厭世観。そう言い換えてもあながち間違いではない。


「ま、なんにせよ咀嚼はドーパミンを分泌する代表的な行動のひとつだから、今後も食事は疎かにしないように。ドーパミンの分泌量は人生の幸福度に直結するからね」

「はは、なんだよードーパミンって。アドレナリンの仲間?」

「そんなとこ。同じ脳内物質だから、わりかし間違ってない」

「へぇ~。ま、城崎さんちに居候する限りは心配ないかな」

「うん。なんだって作るよ。紗英が望むのなら」


 最期の瞬間に後悔なんてさせない。

 幸福の絶頂で成仏させることが目標だ。


「……あの時の続き、聞いてもいいかな?」


 それは食後、つばめに遮られた質問。


 具体的な瞬間ははぐらかし、惚けるという逃げ道も用意したけど。


「うん。いいよ」


 紗英は逃げなかった。


「なら単刀直入に」


 下弦の月をぼんやりと見上げる紗英に問いかける。


「君は豊永さんの娘さんだね?」


 問いかけというよりは、確認と言った方が正しい。


 僕の確信めいた言葉に、紗英は曖昧な笑みを浮かべた。


「なにを根拠にそう思うの?」


 正解とも不正解ともとれる微妙な反応。


 紗英にしては珍しいポーカーフェイスが、簡単に真実に到達することを妨げる。


「なんとなく。当てずっぽうだよ」

「にしては自信に満ちてたけど?」

「直近で親族を失ったのが豊永さんと結月って聞いたときに思ったんだ。

 もしかしたら紗英は豊永さんの娘なんじゃないかって。

 それだけだよ、明確な根拠なんてない」


 それは消去法で回答を選ぶときに近い、乱暴な手法。

 理屈もなにもない、『勘』というこの世で最も不確実な心の働きを頼りに導いた結論だ。


「……ふふ」


 不意に紗英が堪えられなくなったように小さな笑みを漏らした。


「ははははっ!」


 そしてそれは、たちまち爆笑へとヒートアップしていく。


「ちょ、近所迷惑だって」

「だいじょぶだいじょぶ、わたしを認識してるのはふたりだけだから」

「あ、そっか」


 見えないってことは、声も聞こえないのか。


 しきりに紗英は笑い続け、笑いの波が去った後、目尻の涙を拭いながら僕を見据える。


「いやぁ、傑作傑作。

 理屈って言葉を体現化したような城崎さんが、まさかまさかの勘! 

 これには紗英ちゃんも驚きを隠せませんよ~」

「そりゃ僕だって人間だから、時には勘にも頼るよ。

 それに、今回は既存の理論が役に立たなさそうだから尚更」

「はは、いいぞ城崎名医! 思考の殻を破るのだっ!」


 あははと、楽しそうに紗英は笑う。


 吹っ切れたような笑い方が豊永さんと一致しているから、僕の推理は正しかった、と解釈していいのだろうか。


「わたしの名字は豊永。ファイナルアンサー?」


 ほぼ確実だと思うけど、本人の言葉の有無では正確性に天地の差があるので頷く。 

 本人のお墨付きがあれば、可能性は事実に昇格する。


「ほんとにほんとに?」

「うん。ほんとにほんと」

「間違えたら次はないよ?」

「大丈夫、正しいって確信してるから」

「ほんとにほんと?」


 しつこい。ため息をついて言う。


「自白してください豊永さん」

「あぁ、懐かしい。小学六年生のときだったかな、そんくらいの時の先生が、わたしのことをそう呼んでたんだよね。他はみんな紗英ちゃんって呼んでたなぁ。

 ……ま、病院以外で顔を合わせたことはないんだけど」


 語るに落ちるとはまさにこのこと。


 言外に僕の推理が正しいと示唆する紗英だった。


「紗英は豊永さんってより、紗英ちゃんって感じがするもんね」


 むっと紗英は仏頂面を作る。


「馬鹿にしてる?」

「まさか。高校生にもなって童心が健在だなんて、羨ましい限りだよ」

「毎日が新鮮だから、かな。……ほんと、聞いたまんまのひとなんだから」


 後半はよく聞こえなかった。小声でしかも早口だったから。


「あーあ、城崎さんには言いくるめられてばっかだなぁ。イジワルなんて言わない馬鹿正直でさ……けど、そんな城崎さんだから、なんでも話せるんだろうね」


 渋面が一転、破顔する。

 天真爛漫な性格だからだろう。表情がころころ変わる。


「ずっとひとりだった。誰もわたしに気づかなくて、声をかけても無視されて。

 だから、海の向こうまで行けば誰かがわたしに気づいてくれるんじゃないかって、期待してたんだ」


 行ってみたいんだ、あの海の向こう側まで。


 額面通りに受け取れば、好奇心旺盛と解釈できる言葉。


 しかし実際は、孤独に耐えかねた少女が発したSOSだった。


 見つけてほしい。


 そんな切実な思いを胸に、紗英は脇目も振らず道行くひとに声をかけていたのだろう。


 そして、僕と出会った。


「城崎さんは霊感体質だからわたしが見えるって自己完結してるんだろうけど、それは違うよ」

「え?」


 何気なく紗英が零した言葉は、僕の意表を突くものだった。


「深月が言うところの繋がり。わたしは連続性って呼んでるんだけど、城崎さんが霊体を認識できるのは連続性が奇跡を起こしてるからだよ」


 連続性による奇跡……。


「……つまりどういうこと?」

「霊体と願望者と関係を築いてるってことだよ」


 なんとなくわかった気がする。


「僕は豊永さんと関わりを持っているから紗英が見える。そういうことかな?」

「半分正解。……にしても呑み込み早すぎないかな?」


 げんなりと肩を落とし、紗英は重々しくため息をついた。


「焦らしに焦らし、目から鱗の予定が……興を削ぐ達人だなぁ、城崎さんは」


 そんな理由で睨み据えられましても。

 まぁ、言葉回しから少しずつ情報開示しようとしてたのはわかるんだけど。


「……なら、つばめも僕と関わりをもった誰かの子ってことか」

「って、え? もうつばめちゃんの方に着手? 

 わたし、まだ半分正解としか言ってないんだけど……」

「及第点を満点にするより、0を1にする方が有益だからね。

 興味がないわけじゃないけど、優先度的に。それで、今の考察はどうかな?」

「むぅ~おざなりにされたぁ……」


 機嫌を損ねた子供のように、紗英はむくれてしまう。

 笑ったり怒ったり、忙しい子だ。


「……つばめちゃんが城崎さんと関わりを持った子かどうか、だっけ。

 さぁ? どうだろ」


 催促もしていないのに、ほんの少し沈黙が満ちただけで紗英は質問に答えてくれる。


 なんとも良心的な。

 ここはだんまりを決め込んでもいい場面だと思うんだけど。


「ありがとう」

「別に。無視するのは後味悪いから。で、他には?」


 なんとも明け透けな。


 視線を逸らし、ちょっぴり頬を膨らませ、それでも紗英の心は僕に向けられている。


「じゃ遠慮なく。

 紗英の言う願望者っていうのは、遺族のこと……で違いないかな?」

「……そうですよ。

 まったく、カムフラージュ無効化の心眼でも宿してのかってんです」


 霊体と遺族との繋がりが必須。僕と結月の連続性が深月の可視化という奇跡を起こし、僕と豊永さんの連続性が紗英の可視化という奇跡を起こした。


 ならつばめは? 


 島民の誰と親睦を深めるよりも早く認識できた彼女は、一体何者なんだ?


「つばめちゃんは何者? そう思ってるんでしょ?」


 からかい半分の声に顔を上げると、紗英がしたり顔で僕の顔を覗き込んでいた。


「そう言う紗英は、何者かわかってるみたいだね」

「まぁね。似たようなもんだからさ」


 同族。つまりはつばめも故人。

 魑魅魍魎の類いではないようだ。


「でも教えないよ。秘密にするって約束したから」

「なんで秘密にするんだか……」


 こめかみを押さえて嘆息すると、紗英はいやに自信に満ちた顔で言った。


「悩まずとも、直に答えはわかるよ」


 まるで未来を見透かしたような彼女の瞳は、それが予定調和であるかのように物語っていて。


「雑談もほどほどに、そろそろ寝よっか。

 明日は早朝から騒がしくなるだろうからね」

「その持って回った言い方はどうにかならないの?」

「駄目だよ。ミステリアスキャラが崩れちゃう」

「そんなことしなくても、紗英は十分謎めいた子だよ」


 明日、彼女がどんな計画を立てるのか、まるで見当がつかない。

 次の瞬間、彼女がどんな反応を見せるかさえも、まるで見当がつかない。


「へへ、どう魅力的?」


 それでも、ひとつだけ確かな事があるとするならば。


「うん。感情に正直で、不安になるくらいお人好しで。そんな紗英が僕は好きだよ」

「っ⁉ ……そ、そういう勘違いしそうになる言葉は慎んでほしいなぁ」

「つばめも好きだし、結月も好きだよ。いやぁ、痘痕も靨とでも言うのかな。

 子供の無邪気さを微笑ましく思うなんて、僕も年老いたなぁ」

「……博愛的な方ですか」


 呆れたように紗英は微苦笑する。


 そう、彼女たちがいかに謎に包まれていようとも、僕の彼女たちを思う気持ちに嘘はない。 


 島に到着して間もない頃、恐らくやさぐれていて、おざなりな対応をしていたであろう僕に彼女たちは失望しないでくれた。陰ながら支えてくれた。救ってくれた。


 だから、次は僕が恩を返す番だ。


 つばめの寝息と紗英の不機嫌なオーラを感じながら僕は静かに目を閉じる。


 明日も彼女たちにとって素敵な1日になりますように。


 そう願いながら……。

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