幕間④ 決意の夜
「城崎さーん」
陽気な声が扉の向こうから聞こえる。
飲み会の誘いだろうか。
思考を中断することにむず痒さを覚えながらも、礼儀として顔を出す。
「どうしましたか?」
本日2度目の豊永さん。お裾分けの後に訪問してくるのは、初めてのことだ。
「悪い、言付けを忘れてた」
そう言って手渡されたのは1枚の茶封筒。
「端的に言って、城崎さんは言霊祭の大取のひとりに選ばれたんだ」
「大取?」
島民でもない僕にどうしてそんな大役が?
そんな僕の胸中を見透かしたように、豊永さんは勝ち気に微笑む。
「温厚な人柄が功を奏したんだよ。
島外の人間に任された事例なんざ聞いたことがない」
「抜擢理由はそれだけですか?」
「いいや、他にもある。
ここで問題。俺と結月ちゃん、さて共通点はなぁんだ?」
なぞかけができるということは無理難題ではないのだろう。
前提条件は整っているはずだ。
豊永さんと結月。
家族ではない。親族でもない。
強いて言えば、ふたりが接触した場面を見たのは一度きり。
言霊祭が催される言霊神社くらいで……。
「……親族を失っている、ですか?」
いつか見た寂しげな豊永さんの笑みと、先日までの結月の凄惨な笑みが重なる。
豊永さんの口の端が釣り上がった。
「ご名答。ま、俺と結月ちゃんは当確として。
もうひとりが城崎さんになるのは予定調和だったんだろうけどな」
はははと、豊永さんは悦に入ったように高々と声を上げる。
「パンフレットの表紙、覚えてるか?
輪から外れて手紙を燃やしてる奴が数人いたろ?」
「はい。いました」
「俺たちはあの役に抜擢されたんだ」
「超重役じゃないですか」
「そうだな。祭りの締めみたいなもんだから」
ますます僕みたいな余所者が選抜されてはいけない気がするけど、かと言って島民の計らいを無下に断るのも気が引ける。
言霊祭について注釈されたパンフレットの一節に、こんなものがある。
――燈が煌々と輝くと共に、想いが空の彼方に運ばれていくでしょう。
なんともオカルトな一文に思えるが、この先に続く体験者の口コミは祭りの信憑性を裏付けるものばかりで、そのひとつに、炎に近ければ近いほど効力が強まる、というものがあった。
大切なひとを失ったのは僕だけではないはず。
直近で不幸に瀕したのが、豊永さんに結月、そして僕であったというだけで、先立ってしまったパートナーに想いを伝えたい、というひとだって少なからずいるはずだ。ふとした拍子に命は容易く燃え尽きる。
にもかかわらず、島民は僕を選んでくれた。
一旅客でしかない僕のことを思って、大役を任せてくれた。
「……ありがとうございます」
なのに遠慮して消極的な姿勢を見せては立つ瀬がない。
「皆さんの期待を裏切らないよう、尽力させていただきます」
深々と頭を下げる。
豊永さんに。僕に親心を向けてくれる島のひとたちに。
「そう畏まった態度取るなって。
城崎さんは既にこの島の一員だ。みんな家族だと思ってるよ」
家族。
それは言いすぎなのではないかと思ったけど、豊永さんの柔和な笑みを見るなりそんな野暮な反論は消え失せた。
「みんな、城崎さんに幸せになってほしいんだよ。
家族の幸福を願うのは当然のことだろ?」
脳裏に島のひとたちの笑顔が浮かぶ。
いつも野菜をくれたおばあさん。
漁港で活を入れてくれた漁師の方々。
道に迷った時に、親切に島を案内してくれた妊婦の女性。
出来たての焼き鳥を僕にくれた、昼間から酔い痴れる初老の方々。
緊密な関係を持った豊永さんに結月、紗英はもちろんのこと、この島の誰もが初日から僕に優しく接してくれた。
ビジネススマイルではなく、心からの笑顔を向けてくれた。
なにも僕はしていないのに……。
恩を売ってもいないのに……。
「……あったかいなぁこの島は」
いつの間にか視界がぼやけていた。声も掠れているような気がする。
「島民だって見境なく親切にするわけじゃない。城崎さんはさ、たぶん無意識に行動を起こしてんだよ。事実、俺は何度もあんたの良心的な行いを見てきたからな」
「でも、僕は無力で……」
「関係ねぇよそんなこと。たった一度の失敗で自分を駄目な奴だと決めつけるな」
強気な語勢は、まるで子供の間違いを叱責する父親のようで。
「あんたは今まで何人もの患者を救ってきた。自分がボロボロになっても挫けず、誰かのために身をすり減らしてきた。常に誰かの幸せを最優先に過ごしてきた」
諭すように滔々と言葉を紡ぐ微笑は、まるで子供を宥める母親のようで。
「その行いが信頼と願望を呼んだ。そして今日、城崎さんは島外の人間でありながら島の大取を任されるという偉業を達成した」
つまりさ、そう前置きし、豊永さんは柔らかく微笑んだ。
「次は城崎さんが幸せになる番なんだよ」
「幸せ……僕が……」
日葵を救えなかった僕に、その資格があるのだろうか。
日葵は僕のすべてだった。
彼女を失った僕にはなにもない。
「そうだ。いい加減、自分を許せよ。
亡くなった奥さんだって、城崎さんが幸せになることを望んでいるはずだ」
『幸せはね、誰しも平等に与えられるものなんだよ』
麗らかな春の日差しが眩しい病室で、彼女はそんな哲学染みたことを言っていた。
『考えてみなよ。今日のわたしたちを形作る受精卵ができる確率は数億分の一。
さらに、衣食住が確立された日本って国で生を授かれたのも……うーん、厳密な数値はわからないなぁ。
とにかく、生きてること、それ自体が奇跡なんだよ。
そして生きる以上は、幸福を追求しなくちゃいけない。
それが、奇跡の上に成り立ったわたしたちに課せられた使命だと思うんだ』
……どうして今の今まで忘れていたのだろう。
日葵はいつも言っていた。
わたしが見られなかった世界を見てきてって。
その都度、感動を共有してって。
生前はその約束を一度も破らなかったけど、死後はどうだろう。
花束を手向けて仏壇に水を打つ。
蝉の鳴き声がうるさい日も、しとしと雨が降る日も、ひまわりが太陽に向かって咲いた日も、いつもいつでも僕は儀式を繰り返した。
けれど、それだけだ。
空っぽの心で儀礼的な行動をしていただけ。
彼女を失ったあの日から、僕は一度も近況報告をしていない。
「……僕、約束したんです。日葵が見られなかった世界のことを伝えるって。
いつも感動を共有するって。だからっ……」
長らく暗雲のかかっていた心に、晴れ間が覗いたような気がした。
「僕は幸せにならなくちゃいけないんです。それが彼女の望んだことなんです!」
泣いたり息巻いたり、情緒不安定にもほどがある僕を前にしても、豊永さんは鷹揚な態度を崩さない。僕の決意をやはり笑顔で受け止める。
「やっぱり、利他思考は本質に根付いたもんじゃねぇか」
それは違う。僕はかぶりを振る。
「彼女が今の僕を創り上げたんです。元の僕にはなにもありませんでした」
「全部奥さんでできてるって……城崎さん、あんたどんだけ愛妻家なんだよ」
「僕は誰よりも日葵を愛していますから。いつまで経ってもこの熱は冷めません」
今まで日葵に関連する話題を忌避し続けていたからだろう。
すらすらと紡がれる僕の言葉に、豊永さんは面食らっていた。
「はは、いやぁこいつは面白い男だ。復帰祝いに飲みにくるか?」
「ありがたいお誘いですが、すいません。
今はやらなければいけないことがあるので」
「やらなければいけないこと?」
「はい。僕にしかできないことなんです」
言霊祭まで残り4日。
それまでに、なんとしても彼女たちを救わなければ。
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