side3-5 不連続な存在

 つばめイチオシの市場で具材を買い、その間、数人の島民とすれ違うも、やはりつばめと紗英が見えているひとはいなかった。


 ふたりは度々商品を手に持っていたけど、あれは傍からどう見えているのだろう。

 

 いつかつばめがハンバーグソースを服に零したとき、服に染みがついたものの床に異状はなかった。 

 

 それはつまり、実在するソースの落下が実在しないはずのつばめの洋服に妨げられたということで、そこには矛盾が生じる。


 しかし、つばめが触れて実在しないものと定義されたのならどうだろう。


 両者の整合性は取れる。

 無理矢理な理屈だけど、現状一番有力な説はこれだ。


 存在しないひとが触れているものは、一部の例外を除いて認識されない。


 触れたと同時に、現実世界から消滅しているのだろうか。


 深掘りすればするほど、新たな疑問が湧いてくる。

 まるで不思議の泉だ。書痴には堪らないミステリーだろう。


「隊長! ご飯が炊き上がったであります!」


 ひとりの世界に没頭していると、元気な声が聞こえてきた。


 キッチンでは現在、ふたりの少女が調理に精を出している。


「よし、つばめそっちはどう?」

「ぶくぶく泡立ってます。かき混ぜればいいですか?」

「うん。ゆっくりかき混ぜるんだよ。あと紗英、チョコレートはいらない」

「えぇ、絶対おいしいと思うんだけどなぁ……」


 調理担当はふたり。僕は度々助言を入れる監督役だ。


 紗英曰く、城崎さんの助太刀があってはメイドの名折れとのこと。


 メイドごっこは帰宅と同時に始まっているようだった。

 その証拠にふたりは今、メイド服を身に着けている。


 いつの間に用意したんだか……。

 それにつばめは否定的だったはずなんだけど。


「そろそろ弱火にして」

「はい」

「この間に紗英は皿の用意。眺めてたってなにも起きないよ」

「まさか、ストイックと名高い紗英ちゃんが時間を無駄にするわけないよ。

 ふふん、城崎さんは気づくかなぁ」

「気づくもなにも、もう少し隠す努力をだね……」


 ひらひらフリルのついたスカートから、ひょっこり板チョコが頭を出している。


 レシピ忠実派の僕としては隠し味を美徳としたくないのだけど……まぁ紗英が楽しいなら構わない。

 小半時間もすれば豊永さんがお裾分けにくるはずだから、失敗したとしても保険がある。


 と言っても1人前しかないから、争奪戦になることは確実だろう。


「そこまで酷いことにはならないかな」


 不安の9割は実際には起こりえないものだと言われている。


 取り越し苦労。

 そう思い肩の荷を下ろすも、なにやら紗英が怪しげな動きをしていて、やはり杞憂ではないのかも知れないと思った。


 そして実食の時。


「……まずい」

「誰のせいだ……」


 異様に甘い、茶というよりは赤色のカレー。


 海老とイカに混じって浮かぶのは、固形状態のコンソメ。

 紗英もつばめも一口食べただけで辟易している。


「これ、コンソメ一箱まるごと入ってるんじゃ……」

「ひとつって一箱のことじゃないんですか?」


 至って真面目な様子のつばめ。


 難しいな日本語って。とはいえ、落ち度があるのは僕の指示の方だ。


「ごめん、言い方が悪かった。だとしても紗英、ケチャップ入れすぎだ」

「へへ、隠し味っ!」

「全然、隠れてないよ……」


 その後、豊永さんに配給された燻製肉を三分割し、痛み分けという形で穏便に夕食を終える。


 カレーはお世辞にも美味しいとは言えないものだったけど、食べられないほどのものではなかった。

 しかしふたりは飽き飽きしているようだから……残りは明日、僕と結月で処理するとしよう。ごめん結月。


「あぁ~もう動けない。城崎さん、泊まってっていい?」


 自身の愚行がこの惨状を導いたという罪悪感からか、紗英はカレーを3杯もよそっていた。


 グロッキー状態で寝転がった紗英の顔は、心なしか青白い。


「最初からそのつもりだよ。第一、いつもどこに帰ってるのさ」

「え、そのつもりってそう解釈していいの?」


 この子の冗談はなかなかにきわどい。


「大人が子供相手に発情するのはフィクションの世界だけだ」


 強く言い切ると、紗英はくすっと破顔し、豆電球を見上げて薄らと呟いた。


「帰る場所なんてないよ。

 ひとりぼっちの浜辺で、押しては返す波の音を聞いてる」

「……」


 つばめは今、浴槽を掃除している。

 僕と紗英がどんな話をしようと、つばめの耳に届くことはないだろう。


 好機に乗じて問いかける。


「……寂しくないの?」


 話題を変えられたらそれまで。

 その後は何事もなかったように雑談に興じればいい。


 でも、もし踏み込んだ会話が出来たのならば……。


 僕は今以上に紗英という女の子を知ることができる。

 それを望み、僕は薄氷を踏む思いで彼女の核心に近づいた。


「……慣れてるから」


 僕を一瞥し、そう紗英は短く答えた。


 続く言葉はない。しばし沈黙が降りる。


「そっか。

 ……ならこれからはここにいればいいよ。そうすればひとりじゃなくなる」


 おかしそうに紗英は笑う。


「ほんっと、見ず知らずの女の子にどうしてそこまで肩入れするかなぁ?」


 怒ってはいない。それは、諦観した笑みを見れば一目瞭然で。


「同じ食卓を囲った時点で他人とは言わないよ。

 ……いつかさ、同じようなことを言ってたひとがいたんだよ。

 いつも病室でひとりぼっち。喧騒が運ばれてくる度に寂しくなるって」


『病気がちだから、クラスメイトと仲を深める余裕もないんだよね。みんな余所余所しい対応でさ、さんづけって小学生かっ! ってツッコみたくなるよ~』


 そう言われた少年は、名前呼びできるようになるまで1ヶ月の時間を必要とした。


 孤独はつらい。

 それは誰だって同じだ。


 結月の代替行為もまた、姉を失ったことによって生じた孤独感が少なからず関わっていたと思う。


 人間は弱い。

 誰もが弱さを隠して生きている。


 つらい現実に慣れて感覚が麻痺しているのかも知れないけど、紗英だってほんとは寂しいんだ。


 平気なふりをする笑顔が、痛々しくて見ていられない。だから放っておけない。


「風流のある奥さんだねぇ」


 もっとも、そのことを直接伝えたりはしないけど。


 ニタニタ笑う紗英は、きっと僕のことをからかおうとしているのだろう。

 緩急は激しいものの表情が感情に正直だから、思惑はすぐに見抜ける。


「一言も日葵のこととは言ってないけど?」

「えー絶対、奥さんのこと考えてたよ。

 だって、初めて会ったときと同じ顔してたもん」

「具体的には?」

「すごく寂しそうな笑顔」


 矛盾した表現。けれどそれは、的確な表現だ。


「何度も見た笑顔。だから初めて会ったときも、この人はなにかを失ってここにきたんだってすぐに悟ったよ。

 ま、本当にわたしが見えるって知ったときは驚いたけどね」


 少し気にかかる言い方だけど……なんだろう。まぁ、おいおい知っていけばいい。


 そういえば紗英は、初めて僕と会ったときにひどく驚いたような顔をしていた。


 それはそうだろう。

 既に他界した人物を認識できるひとが、何人もいるはずがない。

 それはここ数日の島民の反応が物語っている。


「職業柄、生死の狭間に何度も直面するんでね。もう慣れたもんだよ」

「わたしは城崎さんの命を脅かす悪霊かもよ?」

「それはない。僕が出会ってきた霊は、決まって生前にやり残したことがあるひとたちなんだ。それに紗英はいい子だ。初対面で相手の心配をするような子が悪霊であるはずないよ」

「いいや、わたしは悪い子だよ。

 だって、誰かを笑顔にした数より泣かせた数の方が圧倒的に多いんだから」


 本当に、どのタイミングで本音が吐露するのか予測がつかない。


 ……ふと思った。


 僕はまだ、この子の姓を聞いていない。


「……あのさ、紗英の……」

「お風呂沸きましたよ」


 なんとも時期が悪い。つばめが浴槽から戻ってきた。


「よし、つばめちゃん一緒に入ろうか」


 勢いよく体を起こし、当然のように提案する紗英に先までの面影はなく。

 なんとも切り替えの早い子だ。


「狭くないですか?」

「いいのいいの。あ、城崎さんも一緒にどう?」

「遠慮しとく。盛り上がってガラス割ったりしないでよ」

「はは、大丈夫だって。わたしの世界と城崎さんの世界に連続性はないから」


 連続性? そんな言葉、聞いたことがない。


「ささ、行くよつばめちゃん」

「でもその、胸囲の暴力と言いますか格差と言いますか……」

「乳腺刺激すれば誰でも大きくなるって。

 ま、貧乳判定されたわたしが言っても、説得力皆無なんだけど。

 ささ、早くしないと冷めちゃう冷めちゃう!」


 仲良く浴槽に入っていく。まるで本物の姉妹のようだ。


 補足しておくと、紗英の胸部は高校生にしては立派だ。

 いや、大人に紛れても上位かも。


 と、目の肥えていない僕の当てにならない目測はこの辺にして。


「……連続性ねぇ」


 つまり、僕の見ている世界と紗英が見ている世界にはなにかしらの境界線が存在するということだろうか。


 言葉から推測するに、紗英がガラスを割っても割ったことにはならない。


 実在しないひとが壊したものだから。連続性がないから。


 しかし、それは紗英の目にはどう映るのだろう。

 仮に壊れていないとしたら、彼女はどのように自分の存在を認識するのだろう。


 壊しても壊れない。


 それは壊していないことと同義。

 あるいは接触できていないことと同義。


 思い返せば、紗英は、僕が見える類いだと把握していないにもかかわらず話しかけてきた。


 なぜ? 


 孤独を紛らわせるためだろう。


 自分を見つけ出してくれるかも知れない。

 そんな一縷の希望にかけての行動だろう。


 果たして、言霊祭までに彼女の望みは果たされるのだろうか。


 今日したことは決して無駄ではないはず。

 けれど、根本的な問題の解決には近づいていないように感じる。


 そして彼女にはひとつ、おかしな点がある。


 どうして彼女は、自分が消失する瞬間を知っているのだろうか。

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