side3-3 笑って最期を迎えられるように


 昼食を終えて結月を見送って、しかし1日はまだ半分を過ぎて間もない時刻。


 もうこんな時間かという感慨が、まだこんな時間かという感慨に変化していた。


 予定が詰まっていると、病棟での日々を思い出す。

 正午に休憩できることなんて稀で、2時から3時の間に休憩することがほとんどだったっけ。


 それでも休憩時間は確保できるし、特別忙しくない限りは定時に上がれるから、雇用形態はそれほど悪くない。

 まぁ、忙しいときは連勤も残業も容赦なく押し寄せるけど。


 いつか読んだ本に記載されたデータによると、中小企業の多くは残業が暗黙の了解になっているのだとか。ひどいと深夜まで働かされることもあるらしい。


 本気で作業効率を上げたいのなら社員の睡眠時間を確保することが得策なのだけど、多くのひとはそんなのは甘えだと反論するだろう。

 睡眠債権は人生を狂わすと、日本人は早く認識した方がいい。


 と、テレビの向こう側の『根性があればなんでもできる!』理論を提唱する熱血社長に指摘するも、当然反応があるはずもなく。


 気づけば紗英との約束の時間まであと30分だ。


「そろそろ行こうか」


 隣で僕の持参した本を読むつばめは、眉間に小皺を寄せている。


「その本はつばめにはまだ早いんじゃない?」


 脳幹網様体賦活系をはじめとする、脳科学について記された本だ。

 啓発本というよりは研究論文に近い。


「読みたくて読んでるわけじゃないです。

 けど、これぐらいしか時間を潰す娯楽がないので」

「見たい番組とかないの?」

「夕方以降に偏ってます」


 俗にいうゴールデンタイムだ。


「日中のターゲット層は主婦と高齢者だからね」


 小学生は太陽の下を駆け、中学生は部活動に精を出し、高校生は勉学に心血を注ぐ。現代の若者はテレビ離れが顕著だと言うし、実際その通りだと思う。


 それなりに栄えた場所なら娯楽道具を購入できるのだけど、生憎、加麻鳥島にその手の店はない。

 あるのは新鮮市場だけだ。狩猟採集民族時代を想起させる島なのだ。


「……だから、これからはお父さんのことを話してくれませんか?」


 どこか気まずそうに、つばめは僕を見上げる。


「構わないけど……大した話はできないよ? 交友関係も浅かったし」

「それでも、前頭葉の発達にはDHAが不可欠っていう話よりは面白いはずです」


 間違いない。


「わかった。これから空き時間は僕の話をするよ」

「うん!」


 つばめは満面の笑みを浮かべた。

 

 ランニングポーチに財布と携帯を入れて、紗英と落ち合う予定の浜辺に向かう。

 一週間も過ごせば土地勘は勝手に培われるようで、今となっては大体の場所に行く際にかかるおおよその時間が計算できる。


 浜辺までは10分程度だろう。

 坂道を下って右折すると、左手に海に面した浜辺がある。


 浜辺に到着すると、黒髪を潮風に棚引かせる女の子がひとり、海を見据えて佇んでいた。


「こんにちは」


 おもむろに女の子が振り返る。


「こんにちは。って、それは他人行儀すぎない?」


 結月よりやや大人びた印象を受ける微笑。しかし、彼女も結月と同い年だ。


 紗英は約束通り、前回、僕と顔を合わせた場所にいた。


「驚かすのも悪いと思ってさ。

 次からは『よっ』とか『やぁ』とか軽い感じの方がいい?」

「うーん、それは城崎さんっぽくないから今のままでいこう」


 そう結論を出すなり、紗英は視線を横に動かして目を見張った。


「……驚いた。城崎さん、子持ちだったんだ」


 どうやら紗英も見える側らしい。


 となれば、僕と結月と紗英にはなにかしらの共通点があるはずだけど……さっぱりわからない。そもそも規則性があるのかどうかも。


「……いや違うな。なるほど、そういうこと」


 薄ら笑いを浮かべながら紗英は呟く。

 矯めつ眇めつ眺められるつばめは、居心地悪そうに俯いている。


 ようやくヒントを得られそうだ。


 紗英の言葉とつばめの反応を見てそう確信しながらも、それ以上は掘り下げないでつばめの肩を叩く。


「彼女が僕の友達の紗英だ。

 初対面の相手には、まず自己紹介をするのが礼儀だよ」


 紗英はつばめを認識できるけど、つばめは紗英を認識できない、なんて矛盾もないようで、つばめは緊張で体を縮こまらせながら一歩踏み出す。

 一礼して口を開いた。


「はじめまして。城崎つばめです。父がいつもお世話になっています」

「いや、逆でしょ」


 くすっと紗英が相好を崩す。


「礼儀正しいのはお父さん譲りなのかな?」   

「どうでしょう? けどお父さんは立派なひとです」

「うん、見ればわかるよ。

 他人のわたしにお節介を焼くお人好しだもん。やさしいひとだね」

「……紗英さん、もしかして……」


 続く言葉は紗英によって妨げられた。


 つばめの口に人差し指を当てて口封じすると、紗英はいたずらに片目を閉じた。


「大丈夫。ふたりだけの秘密だよ?」


 またも僕は仲間外れのようだ。

 つばめの交友の裾野が広がるにつれて、僕は孤独に近づいていく。


 しかし冷静に考えれば、一世代違う僕が彼女たちと交友関係を築けている時点で恵まれたものだ。


 ここは大人の威厳をもって、一歩離れた場所から彼女たちを見守るとしよう。

 そろそろ豊永家の出番が回ってくる頃合いかも知れない。


 つばめはしぱしぱと目を瞬くと、ぱああと花が開くように笑顔を浮かべて紗英に抱きついた。


「お姉ちゃんって呼ばせてください!」


 警戒が解けてからの距離の詰め方が異様に早いつばめだった。


「おぉ、よしよし。

 いやぁ親の前で子を略奪するこの背徳感っ。堪りませんなぁ~」

「犯罪臭がすごい」


 ふたりが打ち解けたところで本題に入る。


「紗英は成仏できない原因に心当たりある?」

「心当たりもなにも、言霊祭が終わればわたしは消えるよ?」


 事もなげに紗英は言う。


 かくして夭折したうら若き少女は、新たな命を賜ったのであった。


 ……と、彼女との物語を締めくくれるはずもなく。


「でも、やりたいことがないわけじゃないよ。むしろありすぎてヤバいくらい。

 だから、最期の瞬間に後悔しないように、やり残してることをできるだけやっておきたいんだ」


 焼け石に水というわけでもないらしい。

 結末は確定しているけど、それまでの過程に僕らは携われるようだ。


「例えば、どんなことをしたいの?」


 固唾を飲んで続く言葉を待つ。


「カレー作りたい」


 ん?


「後は買いものしたり、鬼ごっこしたり、星空の下で一夜明かしたり。

 ひまわりを掠めちゃったりなんかも。悪いことしたら、城崎さん怒ってくれる?」


 不安げに見つめられて、僕は正気を取り戻した。


「そりゃ目に余ることをしたら注意喚起はするけど……そんなことでいいの?」


 毒気を抜かれたと言ってもいい。

 もっと無茶な頼みを覚悟していたから。


 ところが蓋を開けたらなんとも単純。

 本当に生前にやり残したことなのかと問い質したくなるような、チープな願いばかりだ。気遣いも遠慮もない、彼女のかねてからの願いなら僕は構わないのだけど。


「ひどいなぁ、そんなことなんて。安っぽいって言いたいの?」


 その通り。口にはしないけど。


 唇を尖らせる紗英を見るに、さっきの言葉は牽制球でも様子見でもなく、本音の吐露なのだろう。


 鬼ごっこって……友達いなかったのかな。


「まさか。依頼人の意向にケチつけたりしないよ」

「でも、あぁ友達いなかったのか。

 寂しい奴だなぁ……って憐れんでるのがバレバレだよ」

「バレちゃったかぁ」


 結月と何度も軽口を叩き合ったから、こういう場面での対処法は心得ている。

 島民であれば同じ性向にあるはず。なんだけど……。


「すかたん」


 失意に満ちた視線が僕を射貫く。


「そういうことは思っても口にしないのがマナーだよ」

「あ、はい。すいませんでした」


 真面目なのか、お茶目なのか、よくわからない子だ。


 しおしおと肩を落とす僕を見て、つばめが小さく嘆息する。


「一辺倒なやり方は頷けません。臨機応変に。次から気を付けましょう」


 10歳以上年の離れた女の子にアドバイスされる27歳だった。


 まぁ元を辿れば、人間関係を疎かにした自分が悪い。広く浅くではなく、狭く深くの関係を美徳としたツケが今頃になって回ってきたようだ。


 ……難儀だなぁ、人生って。


「ところで紗英、今晩用事ある?」


 無理矢理な話題転換にも紗英は嫌な顔をしない。大らかな性格のようだ。


「ん。ないけど」

「なら僕の家でカレーを作ろう。

 具材は市場で買って、そうすれば一気に目標ふたつ達成だ」


 カレーを作りたい。買い物をしたい。


 紗英はさっきそう言っていた。


「でも、日没まではかなりの時間があるよ?」


 時刻は14時。

 頭上では燦々と太陽が輝いている。


「なら鬼ごっこ以外で、紗英のしたいことをしよう。

 なにかあるかな? できるだけ体力を使わないものがいいんだけど」


 腕を組んで紗英は唸る。

 しばしの黙考の後、紗英はぴんと人差し指を立てた。


「だるまさんが転んだしたい!」


 何歳だこの子?


「わかった。ふたりとも熱中症に気を付けてこまめに水分取るんだよ」


 幽霊が熱中症になるかはわからないけど念のため喚起。


「「はーい」」


 かくして『だるまさんが転んだ』が始まった。わけなのだけど……。


 つばめも紗英も僕以外からは認識されない。つまり傍から見れば、いい歳こいた男が浜辺で不審な行動をしている、というのが共通見解ではないだろうか。


 人目が少ないのが救いだけど、いつ誰が僕を見ているかわからない。島のひとたちは優しいから、僕の異常行動を知りながらも知らないふりをしているのかも。


 ……明日から結月も呼ぼうかな。


 そんな雑念が災いしてか、僕は砂浜に足を取られてすっこけた。

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