side2-6 夢の後押し

 例によって、玄関の扉を叩かれる音で目を覚ます。


 この島に来てからというもの、自発的に意識が覚醒したのは昨日くらいだ。

 目覚まし時計はセットしても無駄だと学んだので、始めから用意していない。


「はいはい、すぐいきますよ」


 基本相手の年齢に関係なく敬語は崩さないけど、彼女とはタメ口で接するようにしている。何故なら、そこまで気を回す余裕がないから。


 扉を開くと、予想に違わない客人がいた。


「おっはよー晃丞さん! 本日もお日柄のよい一日であります!」


 喜色満面の笑顔が輝く。このバイタリティはなにを源泉としているのだろう。

 僕といえば、昨日の疲労が後を引いて節々が悲鳴を上げているというのに、結月ときたら疲弊の影なんて微塵も見受けられない。若さってすごいなぁ……。


 などと、自分の肉体的老化を痛感していると、結月の身なりがいつもと違うことに気づいた。


「おはよう。今日は配達休み?」


 結月が背負っているのはリュックサック。

 ついでに言えば、いつもの運動着じゃないし、髪型も違う。

 プライベートで遊びに来たかのような身なりだ。


「今日は、じゃないよ。これからずっと休みだよ」


 くるくると結月は回り出す。

 その姿はまるで鳥籠から放たれた鳥のようで。


 僕は、彼女の問題が完全に解消されたことを悟った。


「その若さでリストラを経験できるなんて貴重だよ。おめでとう」

「依願退職なんだけど!?」

「ツインテール、似合ってるよ。元気な結月にぴったり」


 片方は自分のもので、もう片方は深月から授かったものだろう。

 姉はこの世を去ってなお、妹を守り続けている。


 ぶすくれた結月が、ジトっと睨み据えてくる。


「お世辞は結構。ほんとは子供っぽいって思ってるんでしょ?」

「実際子供だしね」

「くっ、これだから正論で殴る理系男子は」

「理系は関係ないんじゃない?」

「ま、勉学を立派に修めてるってのは好都合なんだけどね」


 そう言って、結月はリュックサックから一冊の本を取り出す。


 大判だ。教科書よりも大きく、分厚いあの型は……。


「晃丞さん、不躾ながら勉学のご指南お願いします!」


『死ぬ前に見ておきたい世界の絶景スポット百選』

 教本ではなく図鑑だった。


「世界史は文系の範疇だからなぁ。……少し囓った程度でもいいなら」

「ん? あぁっ、間違えたぁ! これは違くて! 

 その……趣味って言うかお守りって言うか護身用って言うか……」


 わたわた早口でまくし立てた後、結月は本で口許を隠しながらぼそっと呟いた。


「……わたし、冒険家になりたいんだ」

「小声なのはどうして?」

「いや、だって……恥ずかしいよ。こんな馬鹿げた夢」


 まさか結月にこんな一面があったなんて。


 てっきり反対意見に猛反発して、我が道を突き進むタイプだとばかり思っていた。


「いいんじゃん冒険家。結月の性に合ってると思うよ」


 率直な意見を口にすると、結月は聞き間違いを疑うように瞬きし、小首を傾げた。


「無理だって言わないの?」

「職業柄、絶対無理って言葉は信じないタチでね。

 それに、決められたレールの上を歩くことだけが正解とは限らない。

 マイノリティな道を選ぶことは、別に恥ずかしがることじゃないよ」


 病床に臥した患者の多くが口にするのは、あの時ああしていたら、もっとこうしていればという後悔だ。

 成功か失敗か、結果は二の次。やりたいことがあるのなら、絶対に挑戦した方がいい。案外、人生は気持ち次第でどうとでもなるものだから。


「……ふふ」


 しばし面食らった後、結月は微笑を漏らした。


「はじめてなんだ」


 頬が紅潮しているのは、羞恥心からくるものか、あるいは夢を語る興奮からくるものか。


 いずれにせよ、こんな結月を見るのは初めてだ。


「夢を打ち明けたの、晃丞さんがはじめてなんだ」

「それはまた光栄と言うか、人選ミスと言うか……僕なんかでよかったのかな」

「わたしのひとを見る目に狂いはないよ。

 ……ありがとう晃丞さん。わたし、あなたと出会えて本当によかった」


 そう言って見せた華やいだ笑顔は、やはりこれまでに見たことがないもので。


 僕はようやく、白浜結月という女の子と出会えたような気がした。


「お別れの言葉はまだ早いよ。

 残りの時間、結月の夢を叶える手助けをさせてほしい」

「はは、頼んでるのはわたしの方だよ? よろしくお願いします、城崎先生」

「その呼び方はやめてほしいな。休暇中なのに職場風景が脳裏をちらつくんだ」


 間違いなく、僕は仕事中毒だと思う。


「はは、やなこった! 城崎先生、城崎先生、城崎先生、城崎先生」

「呪禁みたいに言うのもやめてほしいな」


 午前は結月の教師。午後は紗英の依頼。


 先週までの空白の毎日が幻であったかのように、今後のスケジュールがびっしり埋まってしまった。


 けれども嫌な気はしない。

 予定が詰まっているということは、それだけこの島で繋がりが生まれたということ。親密に関わったという証だ。


 結月の一件を通して助けられたのは、果たして誰だったのだろう。


 きっと彼女たちと僕だ。


                  × × ×


 なんでもない話をして、出来たての朝食をご馳走する。

 ここに今日からは勉強を教えるというカテゴリーが追加されるのだろうと思いながら朝食を作っていると、そのイレギュラーは突如として生じた。


「……晃丞さん」

「ん。なにかご所望かな? 当レストランのお勧めは……」

「そうじゃなくて」


 結月の方から雑談を妨げるとは珍しい。


 敷居を跨ぐなり、結月は敷かれたままの布団を見続けている。

 Gでもいたのかな?


「この子なの?」


 フライパンの音と重なったその声は、心なしか震えて聞こえた。


「この子が、晃丞さんの言ってた女の子なの?」

「え?」


 軽快に踊っていたウインナーの動きが止まる。

 火力的に焦げてしまうだろうけど、この際そんなことはどうだっていい。


 火を落として結月の元に駆け寄る。


「見えるの?」


 ゆっくりと僕を見上げて、結月は戦々恐々と頷いた。


「うん。女の子が布団の上で寝てる」

「……」


 なにがトリガーだったのだろう。


 結月が口にしたことに間違いはない。

 つばめは今、布団の上で昏々と眠っている。


 昨夜、豊永さんがいつものように夕飯のお裾分けに来たけど、その時、彼はつばめを見てもなんの反応も示さなかった。


 旅客の部屋に年端もいかない女の子がいる。

 そんな異常事態を目の当たりにして反応を示さないわけがない。


 つまり、豊永さんにつばめは見えていなかったはずだ。


 しかし、結月には見えている。一昨日までは見えていなかったのに。


 だとすれば、結月の変化、あるいはつばめの変化が現状を招いたことになる。


 どっちだ? なにがトリガーだ?


 分かれば間違いなく手掛かりになるけど、如何せん心当たりが多すぎる。


 僕と結月が軽口を叩き合うこともなく黙考していると、ぱちっとつばめの目が開いた。


「ふわぁぁ~……おはようございますお父さん。と、結月さん」


 自然体だった。

 もしかしたら、幼い姿の頃から結月にも挨拶をしていたのかも知れない。


「は、はじめまして。えと、わたし白浜結月って言います」


 恐る恐ると言った様子で結月は自己紹介をする。


 そんな結月を見て、つばめは口を半開きにしたまま目を輝かせた。


「え、えっ、結月さん、わたしのこと見えるんですか!?」

「う、うん。見える、けど……」


 いかに結月といえども、未知との遭遇には腰を抜かすものらしい。

 おっかなびっくりな態度は一向に拭えない。


 その一方で、つばめは興奮を隠しきれないといった様子で鼻息を荒くしている。


「ずっと友達になりたかったんです! 

 ……あ、ごめんなさい。結月さんの方が年上なのに厚かましいですよね。

 ……えと、結月さんって呼んで問題ないですか?」


 結月は眉根を寄せて、僕にどうすればいいかと目で問うてくる。


「冒険家はいつだって未知との邂逅を果たすものだよ。

 記念すべき第一歩だと思って」


 サムズアップ。自由放任万歳。


 結月はふぅと息を吐き出し、微苦笑を浮かべた。


「無責任だなぁ。けど……うん。見たところこわくなさそうだし」


 大きく頷いて、結月はつばめに手を伸ばす。微苦笑ではなく笑顔で。


「呼び捨てで構わないよ。えっと……名前はなんていうのかな?」

「つばさです!」

「つばめじゃなかったっけ?」


 僕が指摘した途端、つばめは狼狽し、へへっと誤魔化し笑いを浮かべた。


「城崎つばめです。

 お父さんとは……訳あって同居しています。よろしくお願いします」


 にたぁとヤな笑みを浮かべた結月が、僕を見やってくる。


「お父さんねぇ……。ま、趣味は否定しないけどさ」

「強要してないからね?」


 ロ○コンおじさんなんて絶対に呼ばれたくない。


「ならなんでお父さんって呼ばれてるのかなぁ?」


 疑り深い。


「最初はパパだったよ。お父さんになったのは昨日から」

「なるほど。緩急をつけてって感じね」

「額面通りに解釈してほしいんだけど? つばさ、これまでのこと話せる?」

「つばさじゃないですよ」


 勝ち気な笑みを浮かべるつばさ……じゃなくてつばめ。

 一文字違いだからややこしい。


「……つばめ、これまでのこと話せる?」


 満面の笑みを浮かべてつばめは頷いた。


「うん! 任せてっ!」


 相当に上機嫌なのだろう。敬語調が外れていた。


 椅子を引いて、つばめは結月の差し向かいに腰掛ける。

 その光景は、さながら被告と原告の対峙。僕の名誉は小さな弁護人に託された。


 固唾を飲んで見守る第一声。


「結月さんは冒険家になりたいんですか?」


 なるほど、相手の緊張を解いてから本題を切りだそうという腹らしい。

 どうやらつばめは頭脳派のようだ。……って、その時寝てなかったっけ?


 結月は特に違和感を覚えなかったらしく、いつもの明るさで答える。


「うん。世界中を見て回って、その感動を世界中の人に伝えたいんだ」

「その夢はいつ頃にできたんですか?」

「中学1年生のときだったかな。たまたまお姉ちゃんと見てたドキュメンタリーがすごく感動的でね。羨ましいなぁ、わたしも将来は世界中を駆け回りたいなぁって思って。きっかけはそんな小さなことだったよ」


 へぇ、そんなことが。


「すごいですね、結月さんは。わたしは未だにしたいことが見つかりません」

「今、何歳なの?」

「15歳です。3月で16歳になります」


 え、この見た目で高校生?


「へぇ、早生まれかぁ。色々大変だったんじゃない?」

「そんなことないですよ。わりかし、うまく立ち回れます」

「はは、なんだか悪いことしてるみたいだよ?」

「事実、後ろ指を指されるようなことも、いくらかしてきましたから」


 その後もガールズトークは続く。

 僕は蚊帳の外で。僕の話題など忘れて。


「お父さん」

「ん、なにかな?」


 ようやく話題が振られた喜びで、柄にもなく弾んだ声を出してしまった。


「ご飯まだですか?」

「あ……」


 フライパンの上のウインナーはとっくに冷めきっている。


「シェフ! 卵焼きが食べたいです!」

「わたしは昨日の残りで大丈夫ですよ」

「了解。仲良く待ってるんだよ」

「「はーい」」

「……」


 なんだろう……いきなり二女の父親になった気分だ。


 ウインナーを皿に移し、フライパンにこびりついた油を落とす。


 それにしても……。


「……出来すぎた偶然、なのかな」


 つばさ。


 それは僕と日葵が産まれてくる子供につける予定だった名前だ。


 男の子なら翼。女の子なら翼咲。


 ひまりとは、太陽の光が当たって暖かくなった場所を指す言葉だ。

 けれどそれは同時に、太陽に近づけないことを意味する。

 ひまりは常に、太陽を見上げることしかできない。


『この子にはもっと広い世界を生きてほしいんだ』


 元気一杯、わたしの知らない世界を駆けてほしい。


 日葵はそんな願いを込めて『つばさ』と命名した。


 加えて、つばめが誕生月だと口にした3月。


 奇しくもその月は、産婦人科で告げられた出産予定月と同じだった。


 ……何者なんだろうこの子は。

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