2章 彼女は探す。自分を知るために。
side1-4 大空を駆けるつばめのように
その後は遭難することもなく、遠くに見える民家を頼りに森から抜け出し、結月を自宅まで送り届けた。
あまりにひどい説教をされたらフォローに入ろうと決意していたけれどその必要はなく、両親は機先を制して謝罪する結月の姿を見て、心底安心したように微笑んでいた。
無事であること。
結局はそれがなにより喜ばしいことなのだろう。
失ったものが僕の服くらいで本当によかった。
取り替えのできる衣服と違い、命はただひとつしか存在しないのだから。
かくして長い一日は終わりを迎えた。
……と、思っていたのだけど。
「遅いよお父さん!」
顔をしかめて不機嫌な心境を露わにする少女。
面影はある。
けれど、目に見えて外見は外出前と異なっていて……。
「大きくなってる……」
どういうわけだか、彼女は僕が家を留守にした4時間ほどで6、7年に相当するめぼしい発育を見せていた。
推定中学生。
寝る子は育つと言うけど、たまげたなぁ……。
なんて現実逃避もほどほどに、正面から現実と向き合う。
「君は少女で間違いないよね?」
「少女じゃないです。歴とした名前があります」
すっと目を細くする彼女。
敬語も相俟ってか、大人びた雰囲気を感じる。
しかしそう反論するということは、ある程度記憶を取り戻した、ということではないだろうか。
願ってもないよき兆候だ。
ようやく素性が判明するかも知れない。
「なら教えてもらおうかな」
「いいでしょう」
えらそばって得意気に胸を張る。微笑ましい。
「わたしはつ……」
最初こそ威勢良く切り出したものの、みるみる尻すぼみしていき、ついには言葉に詰まってしまう。
まるで出鼻をくじかれたかのような、そんな反応。
僕はなにも言っていないのに。
「思い出せない?」
「そ、そうじゃないです。
えっと……あ、あの空を飛んでる鳥さんはなんて言うのですか?」
無理矢理話題を逸らすかのような突拍子のない話題だ。
狼狽していることに、本人は無自覚なのだろう。
僕は気づいていないふりをする。
彼女が指さした先では、一羽のツバメが軽快に空を駆けていた。
「ツバメって言うんだよ」
「そうつばめ!」
「なにが?」
「わたし、つばめって言うんです。これからはつばめって呼んでください」
「……うん。わかった」
本当は別に名前があって、その記憶を保持しているにもかかわらず隠している、という可能性が極めて高そうだけど、名前を知ったところで事態が大きく動くとは思えない。
必死に言い訳した労いの意も込めて、彼女の苦肉の策に溺れてあげることにする。
「ところでお父さん、どうしてそんなにボロボロなんですか?」
パパ呼びはお父さん呼びに変化したらしい。
「まぁ色々あってね」
「痛くないんですか?」
「うん。怪我はないよ。
だから料理も問題なし。待たせた分、豪勢な料理をご馳走するよ」
「わたしも手伝います!」
ピシッとつばめは手を上げる。
料理。
それは子供の自発性を養い、奉仕の素晴らしさを諭すのにもってこいの家事だ。
効率は落ちるだろう。
しかし、足手纏いだからとおざなりに扱う僕ではない。
「じゃあ一緒に作ろうか」
「はい!」
つばめは満面の笑みを浮かべた。
急な成長は結月の一件と関係があるのだろうかとか、これからも一定の期間をおいて成長していくのだろうかとか、疑問がとめどなく湧いては脳内を駆け巡っていくけど。
「……まさかね」
なによりも僕の心を揺さぶるのは、つばめの顔立ち。
既視感が脳裏を掠め、しかしその可能性をすぐさま破棄する。
そんな都合のいい話があるはずない。きっと疲れて思考が鈍ってるんだ。
日葵の霊がこの家に住み着いているなんて、どう考えてもおかしいじゃないか。
× × ×
男女七歳にして席を同じゅうせずとはよく言ったもので、昨日までは一緒に入浴していたというのに、成長した途端、つばめはひとりで大丈夫だからと顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。
こうやって子は成長し、自立していくのだろう。
寂しさを覚えながらも、彼女の成長に喜びを覚える自分がいた。
血の繋がらない女の子の成長といえども、一週間近く身近で過ごしているからか、他人事のようには扱えなかった。
かくして今度こそ、長い一日が終わりを迎える。
激動の一日だった。
結月の問題は解決したと見ていいだろう。
しかしまだ3分の1だ。
つばめはともかく、明日からは紗英の問題の解決にあたらなければならない。
「はぁ……」
首を突っこまなければいいものの、僕もとんだお人好しになったものだ。
こんな僕を見て日葵はどんな反応をするだろうか。
巻き込まれ体質にもほどがあると笑うだろうか。
無茶しすぎだとたしなめるだろうか。
非現実的な出来事と立て続けに接するなんて羨ましいと嫉妬するだろうか。
考えたところで結論は出ない。
彼女はもう、この世に存在しないのだから。
結月と深月の関係を見て思ったことがある。
それは、忘れる以外にも過去と向かい合う手段があるということ。
記憶の中で共に生き続けることもまた、ひとつの解決策であるということ。
なんら珍しくない気づきだ。
むしろ、今日まで日葵を忘れることでしか立ち直れないと思っていた自分がいたことに驚く。それほどまでに、僕は精神を病んでいたのだろう。
けれど、少しずつだけど居直り傾向にある。
実際、僕は日葵との想い出が脳裏をよぎっても泣かなくなった。
日葵はもういないという現実を、受け止められるようになってきた。
ならば、そろそろ次のステップを踏んでも良い頃合いだろう。
過去と未来。日葵と医者。
僕を構成する大部分を占める要素と、これからどう向き合っていくのか。
いつまでも決断を先延ばしにはしていられない。
「お父さん」
弱々しい声に振り返ると、つばめがもの言いたげな顔をしていた。
時刻は10時。昨日まで彼女は、9時にはぐっすり寝入っていた。
これも成長の証だろう。
「どうしたの?」
視線を彷徨わせながら、つばめは面映ゆそうに呟く。
「えっと、その……い、いい子いい子……してくれません、か?」
言葉と態度のギャップがすごい。
「うん。いいよ」
断る理由なんてない。隣に寝転がるつばめの頭を撫でる。
「へへ、くすぐったいです~」
ご満悦のようでなにより。
好機に乗じて少し踏み込んだ質問をしてみる。
「つばめはなにかしたいことないの?」
特殊な方法で地上に姿を現した深月でさえも、例に漏れず想いを伝えるという願いを叶えることで成仏できたのだ。
おそらくつばめにもなにか未練があって、その秘めたる願いが成就すれば成仏することができるだろう。
もっとも彼女が元々人間で、今は霊体と仮定した上での話だけど。
上機嫌に微笑むつばめは、やはり上機嫌に返事をする。
「な~んにもないです。こうしてお父さんの側にいられるだけで幸せです」
「……そっか」
ひどく懐かれたものだ。
……困ったなぁ、別れの日がつらくなるじゃないか。
「あ、そういえば明日から用事があって、つばめと一緒に過ごす時間が減ると思うんだけど、ひとりでも大丈夫かな?」
寂しさを紛らわせるための、何気ない問いかけだった。
「え?」
ただの確認。
平然と受け入れられるであろうと予測した決定事項。
「……嫌です」
「え?」
まさか否定的な反応をされるなんて少しも思っていなかったから、僕は頓狂な声を上げてしまう。
「離れたくないです」
僕の服をきゅっと握り締めて、つばめは強い意志の籠もった言葉を漏らす。
駄々をこねてるだけ。
そう解釈するには、あまりに感情が伴いすぎていた。
果たして、たった一週間の関わりでここまで情が湧くものだろうか。
帰宅直後の疑問が再度頭をもたげる。
やはりこの子は、幼い頃の日葵なのではないだろうか?
「……ごめん。もう約束して決まったことなんだ」
日葵かどうかなんて関係ない。
自身の返答の薄情さを知りながらも、それでも僕は先にした約束を優先する。
「つばめと一緒に家では過ごせない」
「……やだよぉ」
「だから一緒に行こう」
「え?」
調子外れな声を出して、つばめは顔を上げる。瞳は仄かに潤んでいた。
「具体的になにをするのかは僕にもわからない。
わからないだらけで申し訳ないんだけど……どうかな?」
気づけば立場は逆転していた。懇願される側からする側へ。
つばめがいつまでも存在するという保証はない。
もう一度眠ったら消失してしまうかも知れない。
彼女はそんな儚い存在だ。
仮に紗英の頼みに付き添っているあいだにつばめがいなくなったとして、その時、僕はなにを思うだろう。
決まっている。後悔する。
それではあの時の二の舞だ。
もう二度と大切な人の最期の瞬間を見逃しはしない。
さよならの一言もなしに別れるのはもう嫌なんだ。
「いきたい」
返事は間髪容れずに戻ってきた。
「いきたいです。わたしも連れていってください」
「頼んでるのは僕の方だよ」
つばめの頭を優しく撫でる。
「最後まで寂しい思いはさせないから」
懺悔なのかも知れない。
日葵が苦しんでいたとき、最期の瞬間に寄り添えなかったことに対しての贖罪なのかも知れない。
「うん。ありがとうお父さん」
つばめが胸に抱きついてくる。
小さな鼓動を感じる。彼女は確かに生きている。
自己満足と言われればそれまでだ。
僕はつばめに日葵の面影を見て、後悔を払拭していようとしている。
つばめの願いを叶えたところで、過去が変わるわけでもないのに。
けれど、つばめは僕の恩人だから。
身を持ち崩さないでいられた恩人だから。
『ありがとうには、ありがとうで応えるのが礼儀だよ』
恩恵だけを享受する、やらずぶったくりになっては駄目だ。
恩には恩で報いなくては。
そうやって幸せは循環しているのだから。
背中を一定のリズムで叩き続けていると、やがてつばめは眠りに落ちた。幸福感に満ちた寝顔だ。小さな体を持ちあげて隣の布団に移動させる。彼女はむず痒そうに寝返りを打った。
日常は不安定だ。いつ崩壊するかわからない。
だからその瞬間がいつ来ても後悔しないように、僕は1日1日を大切に過ごす。
「……明日は何色に染まってるんだろう」
そう言って、毎日薄暮の下で黄昏れることが日課だった彼女のように。
明日への期待を胸に、僕は静かに目を閉じた。
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