幕間③ 嵐の前の静けさ
時間療法を施してはや二日が経過するも、効果が出ているのかは定かではない。
というのも、結月は表の顔と裏の顔を非常にうまく使い分けているからで。
どのタイミングで元来の結月が顔を出しているのかさっぱりわからない。
確信をもって入れ替わったと言えるのは、初めて朝食をご馳走したあの日だけ。
かと言って彼女の成り代わりを形式上は肯定している以上、調子はどうかと問うこともできず……。
事態はあの日から進展も後退もしていない。
「パパ、たいふーってなに?」
テレビを指差した少女が小首をかしげる。
「台風って言うのは、低気圧域内の最大風速が十……」
口を半開きにしたまま、うんともすんとも言わない少女。
当然の反応だ。
馬鹿真面目に台風の定義を力説したところで、この子に咀嚼できるわけないじゃないか。
「……要するに、たくさんの雨と強い風が吹くってことだよ」
「たのしそー!」
「明日は家で遊ぼうね」
浮き立っていた少女が悄然と肩を落とす。
僕も幼い頃は台風が来る度に胸を高鳴らせたものだ。
非日常はいつだって子供の好奇心を刺激するものなんだろう。
暗雲の垂れ込めた空は今にも泣き出しそうで、風もだんだんと強くなっている。
台風の直撃は今日の夕方から明日の未明にかけての予報だけど、空模様を見るに予報よりもかなり前倒しになりそうな気がする。
防風林の効果はどれほどのものなのか、身をもって体験するのは初めてのことなので、柄にもなく僕は気分を高揚させていた。
塩害に風害に湿害。
台風のもたらす様々な被害に対し、島民は2日ほど前から対策を講じていて、随分と台風に慣れているようだった。
ひどいと年に5回以上台風が接近するのだとか。
「あ」
噂をすればなんとやら。
窓にぽつぽつと水滴がつき始める。
「……本当に大丈夫なのかなぁ」
茅葺きの屋根。木造建築の家。
対策は家の周りに植栽された無数の木々のみ。
島のひとは慣れっこなんだろうけど、旅客の僕はやはり不安を拭いきれなかった。
× × ×
正午を回っても窓の外の景色は変わらない。
雨粒が地面を打つ音と木の葉が暴風に抗う悲鳴が間歇的に耳朶を打つ。
「ぎゅってして」
「うん。大丈夫大丈夫」
自然の脅威を肌で感じた彼女は、昼食を食べ終えてからというもの、僕にべったりとくっついて離れない。
いつもなら昼寝をしている時間だけど、なにぶん嵐がひどいので、騒音で眠れないのだろう。
彼女はうつらうつらしては僕に抱きつくという行為を繰り返している。
一方の僕はというと、そろそろ本格的に睡魔に屈してしまいそうだった。
仄暗くて、自然音が一定のリズムを刻んでいて、冷房が雨天時特有のむわっとした空気を相殺してくれていて。
外に出なければ大丈夫だと警戒を緩めたからか、僕の脳は休養を欲していた。
思い返せば、今日まで脳を酷使してばかりだ。
少女の正体を探り、結月との何気ない会話の中で解決の手立てを探り、後には紗英の懸案事項が控えていて……。
「……すぅすぅ」
ずっと神経を尖らせ続けていたんだ。
少しくらい休んでもいいだろう。
こくんこくんと首を上下に振りながら、僕はゆっくりまどろんでいく……。
〝プルルルル〟
それからどれほど時間が経ったのかはわからない。
耳馴染みのないレトロな電話機の音で僕は目を覚ました。
「んぁ?」
目頭を擦って不鮮明な意識を無理矢理覚醒させた後、僕の肩に寄りかかって眠りこける彼女をそっと畳に横たえて、受話器を耳に当てる。
「はぁい。もしもし」
いけない。欠伸が出てしまった。
『あっ、すいません午睡されていましたか?』
不覚。こんなポカをしてしまうなんて。
受話器越しに聞こえたのは、聞き覚えのない女性の声だった。
「問題ありませんよ。どうかされましたか?」
『うちの娘はそちらにいらっしゃいますか?』
一拍の猶予もなく聞こえた切羽詰まった声。いまいち状況が掴めない。
「失礼ですが、奥さんお名前は?」
『
「結月の……母親?」
反芻した途端、背筋がぞぞっと粟立った。
なんだろう……根拠はないけど、すごく嫌な予感がする。
「……結月さんはご自宅にいらっしゃらないのですか?」
僕の声は、自分でもわかるほどに震えていた。
『はい。昼前に用事があるからと家を飛び出していって……。
それっきり、帰ってきていないんです』
やはり神様は嫌いだ。
いい予感は肩透かしさせる癖して、悪い予感は的中させてくる。
「娘さんの消息を確認次第、連絡します。
ひどい豪雨ですので、奥さんは自宅で待機していてください」
『そんな……でもあなたは……』
不躾だと思いながらも受話器を置く。
今は1分1秒が惜しい。結月の居場所は走りながら考えればいい。
「お外いくの?」
背後から聞こえた声に振り返ると、少女が目頭を擦りながら僕を見つめていた。
「うん、ちょっと人を探しに。お留守番、お願いしていいかな?」
「うん」
驚いた。てっきり駄々をこねると思ってたんだけど。
「夕飯までには戻って来るから。それまでお利口さんにしててね」
「うん。気を付けてね」
「ありがとう。じゃ、行ってくる」
少女の激励を背に、僕は嵐の渦中に飛び込む。
彼女が少し大人びて見えたのは、たぶん気のせいだろう。
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