side3-2 誰かきっと、見つけてくれると信じて
それから雑談をして時間を潰し、結月がバイト先に向かったのが午前8時。
2時間以上駄弁っていたことになるけど、苦痛ではなかった。
最近の女子高生のトレンドが少しだけわかったし、この島について少しだけ詳しくなれたし、なにより結月は終始笑顔を絶やさなかった。
会話をすると、人の脳内では幸せホルモンが分泌される。
これで結月のストレスが緩和されたのなら願ったり叶ったりだ。
棚に上げてるけど、一応僕も罹患者だから。
「ん~……おはよパパ」
「おはよう」
こちらの問題は、当面の間は保留としておこう。
少女の食事を見守ったところで、日課となった散歩をする。
毎日コースを変えているから、だいぶ土地勘がついてきたように思う。
ただ……。
「あら城崎さん。これ、トウモロコシだけどおひとつどうぞ」
「ありがとうございます」
これで3件目。
散歩とは名ばかりの野菜強請りになっていて、なんとも後ろめたい。
「あの、僕に手伝えることありますか?」
やらずぶったくりは褒められたものではない。
ギブアンドテイクの精神に基づいて恩返しを懇願するも、やはり相手はかぶりを振るばかりで。
「いいのよ、旅客自体珍しいんだから。
それに、名医さんの健康促進に加担したってだけで、対価には充分すぎるくらいに釣り合いが取れてるんだもの」
この島のひとたちは、僕を過大評価しすぎている節があるように思う。
「そうですか。
なにか困ったことがあったら教えてください。微力ながらお力添えしますから」
「ふふ、ありがと。そうさせてもらうわ」
一礼して踵を返す。
背中に「またいらっしゃい」と声がかかり、僕は再び会釈した。
「……冷蔵庫、もういっぱいなんだけどなぁ」
強いて言えば、冷暗所も既に限界が近い。
仮に客人がもうひとり増えようと、食料面での問題はなさそうだ。
それからなんだかんだで一度も訪れていなかった浜辺に足を運ぶと、いつか会話を交わした女の子がいた。名前もしっかり覚えている。
「久しぶりだね紗英」
背中に声をかけると、紗英はびくっと肩を震わせた。
恐る恐る振り返ると、いたずらを見られた子供のような笑みを浮かべ、指先でくるくる枝毛を弄びはじめる。
「読みが甘かったなぁ。……ほんと、探し上手だなぁ」
視線は斜め下に向けられたまま。なんだか決まりが悪そうだ。
「えっと、なにか探したっけ?」
問い返すと、紗英は目を丸くした。
「地獄耳ですかあなたは……。あのねおじさん、女の子がボソッと呟いた言葉は、聞こえてても聞こえないふりをするのが暗黙の了解なんだよ」
「僕と一番付き合いが長い女の子は、気づかないと逆に怒ってたんだけど」
「それは少数派。ほとんどの場合は無視に徹するのが正解だよ」
「はぁ……」
なんとも世知辛い世の中だ。
理系を重んじる身としては、正解をひとつに統一していただきたい。
紗英は水着姿だ。
全身に水滴がついているから、今の今まで泳いでいたのだろう。
真夏の日差しに晒されているというのに、彼女の肌は雪を欺くように白い。
「ひとりで泳いでたの?」
「うん。なんか唐突に泳ぎたくなっちゃって」
リビドーに正直でなにより。
「水着はいつも着てるんだ。
これならいつでも海水浴可能! わたしって実は天才なんじゃない?」
「少なくとも、天才は自分のことを天才とは言わないよ」
「ノンノン、謙遜は反感を呼ぶ原因だよ。出る杭は打たれるっていうからね。
つまり、とことん出てやったひとこそが真の勝者なのだっ!」
「なんとも斬新な説で」
彼女の人生は楽しそうだ。
人工物のないこの浜辺は、観光を推奨された場所ではないのだろう。
その根拠に、出店が一切ない。黄土色の砂浜がどこまでも続いている。
とは言ってもこの絶景を求めてひとりやふたり、僕らの他にひとの姿があってもおかしくないと思うのだけど、紗英の他に人影はない。
単に言霊祭の準備で忙しいからか、元々泳ぐ人がいないからか。
いずれにせよ、波の音しか聞こえないこの状況はいささか不自然に思えたけど……まぁこんなこともあるか。
「それにしてもおじさん」
「ん?」
水面から紗英に視線を向ければ、なにやら不満げにジトっと目を細めている。
「おじさんはおじさんでいいの?」
「難しいトートロジーだなぁ」
「まだおじさんって年齢じゃない、ってツッコミをずっと待ってるんだけど?」
と言われましても。
27歳はおじさん扱いされてもおかしくない年齢だ。
おじさんとお兄さんの正確な境界線はよくわからない。
「どう呼ばれても気にしないよ。
初対面でアッキーとかつぐつぐとか呼ばれたから、感覚が麻痺したのかも」
「あー結月ちゃんだね」
思えばふたりは同世代。面識がないわけがなかった。
「紗英は結月と友達なの?」
「友達だった……のかな。よくわかんないや」
曖昧な返答だ。
我関せずというよりは、触れられたくない話題のような雰囲気。
「そっか。身近にいれば誰でも友達ってわけでもないもんね」
「え、ここは無理にでも追及して核心に迫る場面じゃないの?」
きょとんと首を傾げる紗英。
「……」
加麻鳥島に滞在している間は、常識という価値観をを忘れた方がいいのかもしれない。結月といい紗英といいトリッキーすぎて、額面通りに言葉を受け取っていては、一向に真意が見抜けそうにないから。
返す言葉もなく首を横に振っていると、紗英はくすっと微笑んだ。
「ほんと甘いなぁ城崎さんは。
けど、その優しさが反って災難を招くかも知れないよ」
「え?」
「成功までの過程は様々だけど、達成までにかかる時間が短い選択があれば、遅い選択がある。ふとした弾みで一足飛びに解決することもあるかも知れない。けど、すべてに共通して言えるのは時間が限られてるってこと。時間は有限なんだよ」
それは自明の理。
目に見えずとも、ありとあらゆる事象には期限が存在している。
紗英はなにを伝えたいのだろう。
噛んで含めるように紡がれた言葉は、とてもブラフとは思えない。
会話の脈絡からすれば結月に関しての情報なのだろうけど、時間が有限だと認識することが具体的にどう関わってくるのか、皆目見当がつかない。
というより。
「紗英、君は何者なんだ?」
そう強気に問えるのは、たまたま見てしまったから。
「おかしなこと言うね。わたしはわたし。紗英ちゃんだよ?」
「それはわかってる。……紗英、君は既に他界してるんじゃないか?」
馬鹿げたことを言っているという自覚はある。
でも、そうでないとおかしい。
太陽に照らされて海に伸びる影はひとつ。
紗英の足から影は伸びていなかった。
ぽかんとしばし瞠目した紗英は、やがて観念したように弱々しく微笑んだ。
「正解。さすが名医だ、勘だけじゃなく着眼点も鋭い」
「この島に来てから不思議なことが続いているからね。
相手が生きた人間かどうか、影を見て判別する癖がついたみたいだ」
「はは、偶然ってわけか。ま、人生なんて偶然の連続でできてるからね」
波打つ海に向け紗英は闊歩する。
海水がくるぶしまで浸かったところで足を止めて僕を振り返ると、彼女はどこか儚い笑みを浮かべて言った。
「わたしさ、行ってみたいんだ。あの海の向こう側まで」
海の向こう側。
それは本土を指すのか、はたまた地平線の遥か先を指すのか。
それともこの世ならざる場所を指すのか。
その真意を言語化せずに理解できるほど、僕は彼女と深い関係を築いていない。
彼女がどうして寂しげに微笑んでいるのか、今の僕にはわからなかった。
「……4日後。来週の月曜日、またこの場所にくるから」
紗英の髪が潮風に棚引く。
長い時間話し込んだからだろう、彼女の髪はとっくに乾いている。
「日曜日までに結月の問題を解決するから、それまで待っててほしい」
「……傲慢なひと」
憐れみと慈しみの混じったような微笑を紗英は浮かべる。
「最後の瞬間までひとりぼっちだと思ってたけど、まさかこんな救済があるなんてなぁ。神様もようやく、最後の最後でわたしに同情してくれたのかなぁ」
「神様が同情しなくとも、僕は夭折してしまった君に同情する。
そんなお門違いな憐れみを抱いてしまった罪滅ぼしとして、最後の瞬間まで君に寄り添わせてくれないかな?」
「……ほんっと変なひとだなぁ」
困惑気味に紗英は肩を竦める。
彼女との会話の応酬で、はじめて優位に立ったような気がする。
「にっちもさっちもいかなくなったら結月ちゃんとの会話を思い出して。
きっと城崎さんなら、彼女の居場所がわかるはずだから」
「それってどういう……」
「じゃ、また来週」
直後、生温い潮風が正面から吹きつけ、僕は反射的に目を閉じる。
その後目を開くも、やはりというべきかお決まりというべきか。
紗英の姿はなかった。
「……ありがとう。助言してくれて」
海に囁きかけて身を翻す。
彼女に結月に紗英。まず優先すべきは結月だ。
紗英との約束の日まで残すは4日。時間にして96時間。
退屈なんて思ってる暇はなさそうだ。
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