side2-3 ふたりだけの間違い契約
「おっはよー晃丞さんっ!」
翌朝。いやに元気なモーニングコールで目を覚ました。
「あれ? まだ寝てるのかな?」
おーいおーいと呼びかけてくる。
「……」
夢現のまま体を起こし、壁時計で時刻を確認した後に扉を開くと、清々しい笑みを浮かべる新聞配達員がいた。
「おっ、おっはよ晃丞さん! 今日も気持ちのいい晴天ですなぁ」
「早いって」
時刻は5時。
昨日より30分早い。日が昇って間もない。
「いやぁ、今日は配達休みだから、朝食をご馳走になろうと思ってさ~」
僕の毒づきなど歯牙にも掛けず、結月は飄々と続ける。
「そんな約束したっけ?」
寝起きでまだ脳が働いていない。
昨日の記憶が徐々に浮かび上がってくる。
「あれ? おっかしいなぁ。昨日寝る前に念じたんだけど」
「んなもん届くかっ」
「おぉ!? 祝! 晃丞さんの男らしい肉声ゲットだぜっ!」
「誰得だよその称号……ってか、時間考えろよ」
余談だけど、睡眠を害されると僕の人格は少し変化する。
口が悪いとか顔が怖いとかなんとか。
昔、日葵に直すようにって注意されたけど……仕方ないじゃん、睡眠は貴重なんだもの。
「4時の方がよかった?」
「遅らせるって選択肢はないのかよ」
相変わらず、思考回路が宇宙に接続されてるんじゃないかって疑いたくなる。
「いやぁ、外食なんて久々だから夜も眠れなくて」
「寝てないの?」
「えっと、20時に寝て4時に起きたから……8時間は寝てる!」
「健康的すぎる……」
ぜひとも午前様が日課の都市部の方々にも見習ってもらいたいものだ。
結月のハイに中てられてか、気づけば眠気が吹き飛んでいる。
自宅の所在地は知らないが、追い返すのも悪い。
彼女との架空の約束に応えるとしよう。
「いつも頑張ってるみたいだしね。よし、今日は朝から手腕を振るうとしますか」
「え、晃丞さん料理できるの?」
「インスタント食品がいいならそれでもいいけど?」
たははと冷や汗を浮かべながら笑い、かと思えば「活力になるものをお願いします!」と元気よく注文してくる。
よくもまあいけしゃあしゃあと……。
ここまでの居直り気質だと、もはや呆れを通り越して感心の域だ。
さて、どんなメニューで鼻を明かそうかと踵を返し……直後、とんでもない失念をしていたことに気づく。
「お邪魔しま……ん。なんで布団が2組敷いてあるの?」
どうやら脳はまだ半覚醒状態にあるようだ。
すぅすぅと寝息を立てる少女の姿は、やはり結月には見えていないらしい。
困ったな。
長時間の滞在となると、はったりがいつまでも通用するとは思えない。
「……結月はさ、オカルトとか平気なタチ?」
終始、挙動不審であるよりは、一時だけ危ないひと扱いされる方がマシだ。
秘密だと念を押せば、この子はきっとこれからの会話を胸の内に畳んでくれる。
自分でも驚くほどに、僕は結月を信用していた。
ザイオンス効果ってやつかな。2日目だけど。
むふんと鼻を鳴らし、結月は居丈高に息巻く。
「へーきへーき! わたし、妖怪と友達なんだっ!」
なんてイタイ女子高生。
「ならよかった。あそこに5歳くらいの女の子が寝てるんだ」
「……え?」
直後結月は色を失い、僕の視線の先を追う。
しばしの沈黙の後、彼女は「ああ、なるほど」と手を叩いた。
「今日からわたしが代わりになろうか?」
「どうしてそうなった?」
齟齬が生じたなんてレベルじゃない。
「いや、だってその……空想上の女の子とするくらいなら、実在するわたしの方がいいでしょ?」
まずい。誤解のベクトルが超高速で明後日の方角に……。
「結月」
「はい」
「そういう発想に至る年頃なのはわかる。
けどね、僕はそんな特殊性癖を持ち合わせていないんだ」
「わたし、フェミニスト肯定派だよ?」
「誰もそんなこと聞いてない。冗談抜きに、あの場所で女の子が寝てる。
詳しくは話せないけど、とりあえずいるんだ。このことはふたりだけの秘密にしてくれないかな?」
「わかった。誰にも言わないよ」
抜けてるようでこの子はしっかりしてる。
昨日の宴会で引っ張りだこだったのがなによりの証拠だ。
素の結月がどんな性格かはわからないけど、たぶん元々真面目な性格なんだろう。
「それにしてもふたりだけの秘密って、なんかワクワクするね」
「それ以上でもそれ以下でもないけどね」
安堵の息を漏らし、キッチンに向かう。
さて、どんなご馳走を振る舞おうか。
昨日の買いものとお裾分けのおかげで、冷蔵庫はかなり充実していた。
× × ×
20分後。
「おまたせ」
「わーい! 出来たての朝ご飯だぁ! ……って本格的すぎない!?」
主菜は鶏もも肉とブロッコリーのトマト煮。
副菜にゆで卵とトマトのツナマヨサラダ。
玄米とあら汁を添えれば、朝からがっつり定食の完成だ。
カロリーはやや高め。
「結月は豆鉄砲みたいに騒がしいから、これくらいでようやく摂取と消費が釣り合うはずだよ」
「晃丞さんって、調理栄養士だったっけ?」
「十人並みの医者だよ。より厳密に言えば外科医」
「いやいや、普通の医者はネットでプロフィール公開なんてされないし。ってことは、趣味でここまで磨き上げたってことかぁ。……お母さんよりすごいや」
元々鼻を明かすつもりでいたけど、絶賛されたらされたで、反って妙な気まずさを感じてしまう。じゃあどうしろって話だけど。
しかしこの好感触、調理師としても食っていけるんじゃないか?
もっとも、妊婦に優しい料理しか作れないニッチなコックではあるけど。
「レパートリーがない分、質が命だからね。さ、温かい内に食べよう」
「うん! いただきます!」
礼儀正しくてよろしい。
結月が最初に箸を伸ばしたのはメインのトマト煮。
やたらトマト料理が多いのは、昨日の散歩帰りに農家の方々から大量のトマトを頂いたからだ。
都市部だと高騰しやすいトマトが衝撃の無料配給。
家に戻ってから金銭感覚を取り戻すのに苦労しそうだ。
味も見た目同様に高評価を得られるのか。
結月の咀嚼音と僕の胸の鼓動が重なる。
「……晃丞さん」
結月らしくない低い声色。
「口に合わないなら無理しなくていいよ」
トマトは好き嫌いの分かれる野菜だ。好きな野菜ランキングで1位に輝くときがあれば、嫌いな野菜ランキングで二位にランクインすることもある。
結月は後者なのかも知れない。
箸を机に置き、結月は伏せていた顔を上げる。
「これから毎日きてもいいかな?」
いやに神妙な面持ちだ。
「掛け値なしに、お母さんの料理より美味しいよ。もしかして晃丞さんって天才?」
「その基準だと、プロの料理人はみんな天才になるね」
「侮ってたなぁ。てっきり焦げチャーハンがくるかと思ってたんだけど」
「ご所望なら作ろうか?」
「ああっ、いやいやっ、馬鹿にしてるわけじゃなくて!
ここまで料理の上手な男のひとははじめて見たよ」
煽てているわけではなさそうだ。
たしかに、島に来てから手の凝った料理は見ていないような気がする。
直焼きのものなんて滅多に口にしないから新鮮だったけど、結月にしてみればそちらがあたりまえで、逆に僕の料理が新鮮なのだろう。これがカルチャーショック。
「いいよ、毎日きても」
食材は島民からの頂きもの。
ここで拒絶しては立つ瀬がない。
「え、ほんとっ!?」
キラッキラに目を輝かせて結月は身を乗り出す。感情に正直な子だ。
「うん、ほんと。その代わり、もう少し遅くにくるように」
「わかった! 晃丞さんちの配達は最後にするね!」
「具体的には何時頃?」
「んー、6時くらいかなぁ?」
「なら問題なし。毎朝準備するよ」
ひとり分の食事がふたり分に増えたところで、さして問題はない。
8時にもう1食作らなくてはならないけど、時間に追われてるわけでもないんだ、むしろ楽しみが増えてありがたい。
日中の活力溢れる姿から健啖家だと目処をつけていたけど、意外にも結月は小食らしく、余りは彼女の朝食へと回される。それでも余ったら僕の昼食コースだ。
「晃丞さんはなにかしてほしいことないの?」
食事を終えた結月が、僕の布団の上でごろごろ転がりながら尋ねてくる。
「フリーダムすぎない?」
服が乱れてて目のやり場に困るんだけど。
結月は、にっと得意げに口角を釣りあげる。
「ここはわたしの第2の家ですから」
この子、都会に出たら危ない目に遭う類の子だ。
「はぁ……僕だからいいものの、他の旅客に同じことしたら問題になるよ」
「大丈夫、晃丞さんは信用してるから」
まるで他のひとは信用していないとでも言うかのようなニュアンスにも捉えられるけど、それは少し勘繰りすぎかな。
「出会ってまだ2日だよ。信頼するには早すぎるんじゃない?」
体を起こし、結月は微笑を浮かべる。
「そんなことないよ。
だって晃丞さんの目は、わたしの一番好きなひととそっくりだもん」
昨日から今に至るまで見たことのない笑顔。
それはどこか寂しげな笑顔。
「好きなひとって……なんだ、しっかり高校生してるじゃないか」
「もういないけどね」
「……」
姉のことか。
愁いを帯びた顔を見て、僕は察した。
「わたしには双子のお姉ちゃんがいたんだ。優しくて、綺麗で、みんなから愛されてて。いつもそそっかしいわたしとは大違いだった」
静謐な空気が漂う。微かに聞こえるのは彼女の寝息だけ。
「けど、お姉ちゃんはいなくなった。わたしのせいでいなくなった。
だから、わたしはお姉ちゃんの代わりになることにしたの。
わたしよりも、お姉ちゃんの方が必要とされてたから」
「……なるほど」
昨夜、豊永さんが言っていたのはこのことだろう。
今、確信した。
僕の前にいる結月は元来の姿ではなく、姉になりきろうとした姿なのだと。
「それで、どうして僕にその話をしようと思ったの?」
今しがた知った体を装う。
ここで豊永さんの名前を出してはいけない気がした。
結月の物憂げな顔つきは変わらない。
「特別だからだよ」
特別、か。
いつか屋上でそんなこと言われたなぁ。
「島のひとはわたしのことを理解してくれない。
けど、同じ境遇にある晃丞さんならわたしを理解してくれるって思ったの」
「理解するっていうのは、具体的にどうすることなの?」
「尊重すること」
数分前まで軽口を叩き合っていたとは思えない冷めた瞳が僕を貫く。
笑顔の裏側でよくないものが蠢いていることはわかってたけど、これはなかなか、想像以上だ。
閉塞的な世界に閉じこもってしまった患者のケアは難しい。
何故なら、意思疎通が図れないから。
そこまで事態が深刻化した場合、一定期間の隔離という処置をとってから社会復帰を試みることになるのだけど、今の結月の精神状態はそれらの患者と比類ない状態にある。
いつ馬脚を露してもおかしくない。
そしてその瞬間は、彼女の崩壊を意味する。
ただ、幸運なことに結月は今、僕だけを限定的に受け入れてくれている。
失ったもの同士という共通点と、彼女を拒絶しない姿勢が相互作用しての結果だろう。重なった偶然が、彼女を救う唯一の好機を生み出していた。
尊重することが間違いであることは言うまでもない。しかし、ここで彼女の意見を否定しては僕も島の人たちと同列に見做されてしまう。つまり、救えなくなる。
ならば。
「……わかった。僕は結月の意志を尊重する」
結月にとって唯一無二の存在となろう。
「ほんとうに?」
感情のない声。瞳もまだ、僕を完全に信用しきっていない。
僕は頷いて、なるべく柔らかい声になるように言った。
「うん。島のみんなが間違いだって非難しても、僕は結月を肯定するよ」
もっとも、そんな未来はありえないのだけど。
じっと僕を見据えると、やがて結月はなにかの束縛から解放されたかのように、肩を落として破顔した。
「よかったぁ」
彼女にとっては一世一代の告白だったに違いない。僕は微笑み返す。
「じゃあ指切り」
「疑り深いなぁ結月は。けど、それで満足するなら」
差し出された小指に、僕は小指を絡ませる。
「今日のことはふたりだけの秘密だよ?」
「またひとつ、秘密が増えちゃったね」
「ふふ、なんだか逢瀬を重ねてるみたい」
くすくすと結月はいたずらっぽく微笑んだ。
「残念、僕は既婚者だ。……けど、君の味方だよ」
姉というみちしるべを失ったことで結月が自分を見失ったとすれば、彼女は2年もの間、表向きは活発でも実際は孤独に苛まれていたということになる。
そもそも理解者がいれば、彼女が今の状況に陥ってしまうことはなかったはずだ。
誰も救いの手を伸ばさなかったから、あるいはやり方を間違えてしまったから。
彼女は自分を見失った。
「うん」
「僕は間違えないから」
「うん」
「絶対、結月を救ってみせるから」
「……ありがとう。晃丞さん」
結月の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
自覚があるのか。ならまだ間に合う。
どうやら僕の休暇は、早くも終わりを迎えたようだ。
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