side2-2 一方通行の願いごと

「酒は飲まんのか?」

「はい、1年前から禁酒していたら習慣になってしまって」

「焼き鳥は食うよな。ももか、ねぎまか、なんこつか。どれがいい?」

「ももでお願いします。昼食が近いので本数は少なめで大丈夫です」

「昼飯もここで食べてきゃいいじゃん」

「そうはいきませんよ。食事のわずかな乱れが、健康を蝕んでいくんです」

「だってよ豊ちゃん。野菜食べなくなってもう何年だっけ?」

「知ってるか? 卵とヨーグルトからはほとんどの栄養素を摂取できるんだ。ビタミンも獣肉で補給してるから問題なし。むしろ健康的すぎるくらいじゃねぇか」

「いや、野菜から摂れるビタミンと肉から摂れるビタミンは別物でして……」


 祭事の準備なんていうのは建前で、こちらがメインなのではないかと疑ってしまうほどに島のひとたちはどんちゃん騒ぎしている。


 社務所には端からこの場が宴会の場であることを物語るように、無数の長テーブルと座布団が用意されていた。

 風習が形骸化したからこの有様なんだろうけど、神聖な場を娯楽施設の一環にしてしまってよいのだろうか。これでは祟られても文句は言えまい。


 ざっと見積もって集まった島民は50名ほど。

 割合としては男8の女2、といったところだろう。


 女性のほとんどが調理担当のなか、ひとりだけ配給担当がいて。


「焼き鳥の追加だよ。ささ、どんどん食べて」


 果たしていくつのバイトを掛け持ちしているのか。


 焼き鳥がこんもり盛られた特大丸皿を机に置いた後も、「ごゆっくり~」とサービス精神を忘れないうら若きバイト少女は、僕を見るなりとてとて駆けよってくる。


「やあ、晃丞さん。五時間ぶりだね」

「おいしー、パパもっと食べていい?」

「……」


 軽く顎を引く。


 僕の隣に座る少女が瞬く間に焼き鳥を平らげていくが、やはり誰ひとりとして気づくひとはいない。

 僕以外のひとから見れば、焼き鳥は減っていないのだろうか。


「……無視?」


 やや怒りを孕んだような声の先に眼を転じると、結月が不機嫌そうに半眼で僕を睨みつけている。


「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事してて」

「もー今度から無視しちゃうよ?」


 ぷくっと剥れてご立腹の様子。


 白浜結月は、早朝と変わらないエネルギッシュさで僕をからかってくる。


「それで、これもバイトの一環?」

「無償アルバイトだよ」


 慈善活動のようだ。


「この島にはボーイスカウトでもあるの?」

「ご無体な。わたしは歴とした乙女だよ?」

「この島の子供たちはみんな親切だからさ」

「スルーされたっ!?」


 ほんと元気だなぁ。

 光合成の要領で元気の源を生み出してるんじゃないか?


「ボーイスカウトなんかなくとも、この島で生きてりゃ勝手に畜生を慈しむ精神が培われるだろうさ」


 補足説明をしてくれた男性の顔は真っ赤で、机上には既に3つの空き缶が並んでいる。


「午後から作業できるんですか?」


 わかりきっているが問いかけてみる。


「なぁに、こうやって射的の的を効率的に作ってるのさ。

 ま、当日の露店に的あてゲームなんざねぇんだけどな! ガハハ!」


 愉快そうでなにより。


 数メートル先で炯々と輝く瞳とは無縁なので、気づいていないふりをする。

 下手に同情しては飛び火を食らいそうだ。


「晃丞さんはお酒飲まないの?」


 僕と酔っ払った男性の間に割り入って、結月が見上げてくる。


 結月にしてみれば僕の隣は空席のはずなんだけど、それでも座ろうとしないのは偶然か、はたまたなにか感じてのことか。


 それにしても、結月のアグレッシブな態度は学校でも変わらないのだろうか。

 ここまで近い距離感だと、年頃の青少年たちは色々と勘違いしてしまいそうだ。


「禁酒してるんだ」

「医者だから? お酒とタバコは体に悪いよ~って、身を挺して伝えてるの?」

「それもあるけど……まぁ色々あってさ」


 日葵の妊娠に合わせて禁酒を始めて、産後は週末くらい飲んでもいいかなと思ったけど、ついにその瞬間が訪れることはなかった。


 酒もタバコも擦り切れた心には劇薬でしかない。

 娯楽でさえも身を滅ぼす麻薬に思えた。


 だから仕事に打ち込み続けた。

 そうすれば、身を持ち崩さないでいられるだろうから。


「そっか」


 茶を濁したにもかかわらず、結月はそれ以上を求めてこない。


「ねぇ晃丞さん、ちょっと散歩に行かない?」

「なんでそうなるの?」

「いいじゃんいいじゃん。ね、いこいこ?」


 ぐいぐい腕を引っ張ってくる。


 飲んだくれる男性陣の中に、正気を保っているひとなどいない。

 猛り狂い、小躍りし、奥さん方が青筋を立てるこの場はまさしく愁嘆場。


 側杖を食いたくない僕にとって、結月の誘いは願ったり叶ったりのものだった。


「わかった。行こうか」


 後ろ手でぽんぽんと肩を叩き背中に乗るよう目で促すと、少女は癇癪を起こすことなく願った通りの行動をしてくれた。


 存外賢いのかも知れない。

 少女のことはまだまだわからないことだらけだ。


「腰痛?」

「まあね。老いには勝てないみたいだ」


 言い訳のレパートリーは今晩考えるとしよう。


              × × ×


 社務所を出て、結月に追従すること5分弱。


 境内から外れた竹林の中央に鎮座するそれは、木漏れ日と相俟ってより神秘的に見える。


「こんなところに摂社が」


 10メートルほど先に、1メートルにも満たない小さな摂社がある。

 そのなかには、ずんぐりとした神様が一柱、祀られている。


「島民しか知らない隠れスポットだよ」

「確かに秘境ではあると思うけど……」


 意図的に隠しているのだろう。何故なら、ここに至るまでは入り組んだ足場の悪い道を潜り抜ければならず、加えて標高も高いから。


 足を滑らせたら崖の下に真っ逆さまだ。

 いわくつきの密林と言われても頷けてしまう。


「きれー」


 おぶられた少女が染み入るように呟く。

 絶景と危険はいつだって隣り合わせなのだ。


「この場所ではコダマ様が祀られててね、黄泉の国に言付けてくれるんだ」

「なるほど。この神様が言霊祭のモチーフなんだ」

「ううん、違うよ。コダマ様はコトダマ様の弟。黄泉の国まで言葉を届けるだけで、黄泉の国から言葉を届けてはくれないんだ。そっちはコトダマ様の仕事」

「ややこしいな……」


 行きは弟で帰りは兄。

 神様業界でもワークシェアリングが主流なのかも知れない。


「ささ、晃丞さんもお祈りしに行くよ。

 理想は毎日だけど、一回でもそれなりの効果は期待できるだろうからさ」

「うーん、無神論者なんだけどな、僕」

「うわっ、冷めてるなぁ……初詣とか行かないの?」

「元旦は数少ない休日だからね。家でダラダラ過ごすに限る」

「おとなって大変だなぁ」


 我がことのように相槌を打つも、だからといって僕の意思を尊重するわけでもなく。


 結局、結月の勢いに感服して、摂社と至近距離で相見えることになった。

 ばつが悪いなぁ。


「二礼二拍一礼だよ? 作法に従わないと、言葉は届かないんだからね?」


 敬虔な子だ。平素はざっくらばんとした態度が目立つというのに。


「わかった。形式上はしっかりやるよ」

「よろしい。これで晃丞さんも参拝マスターだね」

「一回でマスターできちゃうのか」


 なんとも陳腐な称号で。


 参拝の作法は結月に言われずともわかっていた。

 今でこそ無神論者の僕だけど、一ヶ月前までは週に一度はお参りに行くほど神様の存在を信じていたから。


 神様なら奇跡を起こしてくれるって、そう強く信じていたから。


「……さい。……さい。……さい」


 隣から結月の念ずる声が聞こえる。


 願いは一個まで、という鉄則がこの島には存在しないのだろうか。

 そんなに大量注文しては、コダマ様も参ってしまうだろう。


 ……いや違う。願いじゃない。


 結月は言っていた。

 コダマ様は黄泉の国に言付けてくれるって。


 それはつまり……。


「神様否定派なのに、随分真剣にお祈りするんだね」


 目を開くと、結月が不思議そうに僕の顔を覗き込んでいた。


「都会で流行りのツンデレってやつ? べ、別に神様のことなんかこれっぽちも信じてないんだからねっ! ……みたいな?」

「神様の前でデれてなんの得があるのさ。……少し考え事しててね」

「また考え事?」


 微苦笑を浮かべながら結月は首を傾げる。


 考え事という言葉が分の悪い話題を忌避する際の決まり文句と思われてそうだけど、今回に関して言えば言葉に嘘はなくて。


 あんなにも必死に願っていたんだ。

 逝去しているのは親族あるいは大切な誰かだろう。


 僕は日葵の話題を避けてきた。

 それを察して、島民は僕に踏み入った質問をしてこない。


 なのに過去になにがあったのかと結月に問い質すのは、あまりに虫が良すぎる。


 誰だってなにかを抱えて生きている。

 笑顔を振り撒いているから過去は輝かしいもの、なんて等式は成り立たない。


 おそらくだけど、結月には仄暗い過去がある。


 聞くべきか、聞かないべきか。


 常識的に考えれば後者が正解だけど、けれども、今の場合に至っては……。


「晃丞さん?」

「……」


 焦ることじゃない。

 ゆっくり結月との距離を詰めていけばいい。


 そう結論を出し、僕は顔を綻ばせた。


「なんでもない。帰りにアイス買ってあげようか?」

「え、いいの!? やったー! アイスだー!」

「あいすー!」


 さり気なく少女も復唱している。


「……しょうがないなぁ」


 少女が手にしたものが他のひとにはどう見えるのかを確かめる絶好の機会だ。

 何事も実験的に捉えてしまうのは僕の元来の性分で、長所とも短所とも言える。


「バニラにしよっかなぁ。チョコにしよっかなぁ」

「……」


 しかし、今気にかけているのは少女よりも結月の方だ。


 結月が繰り返し呟いていた言葉。


 それは「ごめんなさい」だった。

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