side1-3 幽霊? 地縛霊?
ワークホリックと言ってもあながち間違いではない日々を過ごしてきたから、大量の休暇を得たところでしたいことがなにもない。
趣味はある。料理と読書だ。
しかしどちらも1日を潰すことは叶わず、読書に関して言えばストックが三冊しかない。
しかもどれも啓発本。
買ったはいいけど読めてない長編小説を持ってくるんだったなぁ。
幸いインターネットは繋がっている。
ネットサーフィンでもしようかと思ったけど。
「……違うな」
せっかく都会の喧騒とは無縁の自然豊かな島にいるんだ。パソコンなんていつでも触れる。優先すべきは、都会では滅多に見られない自然を堪能することだろう。
そう結論を出したのが午前8時。
布団の上では、今も少女がすぅすぅ寝息を立てている。
昨晩寝付いたのが8時頃だから、かれこれ12時間近く寝ていることになる。
睡眠時間や外見、舌足らずな口調から推測するに、彼女の年齢は5歳前後と仮定するのが妥当だろう。
彼女は何者か。
この一大ミステリーは、島を発つ日までに解決しなければならない。
何故なら、視認できるのが僕だけだから。
彼女の世界をこの家だけで完結させるわけにはいかない。
「……本当にそうか?」
自説に反論して考える。
自己完結しているだけで、彼女が小さな牢獄に閉じ込められているという根拠もまた存在しない。出られないならそれでも構わない。
地縛霊だか座敷童子だか知らないけど、そういうものなんだと納得できるから。
しかしそれは、試したみて初めて得られる成果だ。
とにもかくにも、やってみないことには始まらない。
それから20分後。
もぞもぞと動いていた彼女が、むくっと体を起こした。
「おはよう」
貴重な暇潰しアイテムのひとつ、『マインドフルネスがもたらす知能の劇的飛躍!』から顔を上げて微笑みかけると、彼女はぱちぱちと目を瞬かせてからふにゃっと破顔した。
「おひゃよパパ」
パパか。
なるほど、この子にはパパと呼べる誰かがいたようだ。
「僕はパパじゃないよ。朝ご飯食べる?」
頷く。瞳は虚ろだ。
「少し待っててね」
「うー」
ゆらゆらと体を左右に揺れ動かす彼女は、すぐにでも二度寝してしまいそうだ。
フライパンの音がいい目覚ましになるだろう。
そう結論を出し、無理やりに起こすことを諦めてキッチンに向かう。
「……パパか」
何気なしに彼女が口にした言葉。
実際は無縁の僕らだけど、彼女から見れば寝食を共にする僕という大人は親に見えるのだろう。
親。
それは僕と日葵が欲し、けれどもついに得ることのできなかった肩書き。
『仕方ないんだよ……。日葵の命か、新しい命か。選べるのは片方だけなんだ』
「……っ」
いけない。醤油の分量を間違えた。
× × ×
朝食の後、一緒に散歩しないかと誘いかけると、少女は少しも逡巡することなく「いく」と答えた。
これで昨日のように、時間を気にかける必要はない。
正体不明といえども、やはり幼い子供をひとり家に残すのは気が引けた。
着の身着のままの少女を横目に、玄関の外に踏み出し……。
「あつい……」
「後でアイス買ってあげるよ」
僕の緊張など露知らず、灼熱の太陽の下に晒し出された少女は、照りつける日差しの眩しさに辟易している。
どうやら自縛はされていないらしい。
今ここに、地縛霊説は潰えた。
帰納法的な手法を用いて結論に辿り着く世間一般のミステリーと違い、この一大ミステリーは、虱潰しの要領で候補を破棄していく消去法で紐解いていくことになりそうだ。
ミステリーの醍醐味、爽快感はこのミステリーに存在しない。
あるのは当てを外した瞬間に訪れる、軽い虚脱感だけ。
そもそも真実に辿り着くという保証もされていないのだから、これはスクラップまったなしの欠陥ミステリーと言えよう。
けれども、そんな不良品に傾倒してしまう変わり者もいる。
たとえば、暇を持て余したメンタルケア中の医者とか……。
坂道を下りながら、ふと彼女の足下を見て今更ながらに気づく。
「裸足で熱くないの?」
外出可能なのかに意識を集中していたからだろう。致命的な見落としをしていた。
「うん。だいじょぶ」
強がっている素振りはない。自然体の返事だった。
「そっか。ならよかった」
「パパ、おんぶして」
「もう疲れたの?」
「あついから歩きたくない」
「なるほど。なら少し休憩しようか」
「うん」
言われた通り、一休みできる場所にたどりつくまで彼女をおぶることにする。
左右には民家、正面には陽光を反射する海がある。
坂道を下り、海を左手にしばらく平坦な道を歩いた先にある山に足を踏み入れようと計画していたけど、頓挫、とまではいかずとも、時間がかなり後ろ倒しになることは確実だろう。
茂みの影を目前に、近くに自販機はないかと方々を見回して気づいた。
当然だけど、彼女の足下から影は伸びていなかった。
× × ×
10分ほどの小休憩を挟んで散歩を再開する。
まるで重さを感じない少女をおぶり、陽炎で揺らぐアスファルトの上を歩く。
休んだはいいけど、構図は休憩前から変化なし。
一体、なんのための休息だったんだか……。
都市部は日射が建造物でいい塩梅に遮られているけど、人工物がほとんどないこの島では、自然の恵みを良く悪くも享受することになる。
しかしひとと建物が稠密にひしめき合う都市部と違い、この島は圧倒的に人口密度が低い。
そのため、熱がわだかまることなく潮風にさらわれていくので、位置的にはこちらの方が赤道に近いにもかかわらず、アメニティに優れている……と、昨日の散歩中に結論づけた。
暇を持て余した人間というのは、往々にして無駄な考察を立てたがるものだ。
昨日は鼻を刺すような潮風が染みたけど、慣れてしまえばさしたる問題ではない。
「お山いくの?」
気づけば山は目前。
吹き抜ける潮風が心地良い。
額に汗が滲んでいるのに、不快感や苛立ちはまるで湧き上がってこない。
「そうだよ。軽い下調べにきたんだ」
加麻鳥島の代名詞〝言霊祭〟は、例年この山の中腹部で執り行われている。
開催までまだ10日以上の猶予があるとはいえ、水面下では着々と準備が進められているに違いない。
そう目星をつけた僕は、微力ながら力になれないだろうかと思い、この場所を目指していた。
部外者の介入はお断りだと門前払いされたらそれまでだけど。
山の手前まで歩くと、木製の階段が設備されていた。
丸太を幾らか組み合わせて作られた簡素な階段。
おそらく腹部まで続いているのだろうけど、頂上は見えない。
土を踏みしめる感触を味わいながら、階段を一段一段、上っていく。
「大丈夫? 暑くない?」
「おなかすいた」
「えぇ、もう?」
腕時計を確認すると、まだ10時手前だ。
彼女の代謝のよさに感心しつつ、空腹で癇癪を起こされても困るので少し歩調を上げる。
歩いても歩いても、視界に入るのは同じ風景。
変わらない景色に、知らずの内に神隠しに遭っているのではないか、なんて根も葉もない非現実的な憶測がもたげるも。
「あ」
どうやら順当な経路を辿っていたようだ。
傾斜の途絶えた先から、話し声が聞こえてくる。
さらに歩調を上げて階段を駆け上がると、無数の島民が忙しく作業していた。
「ん。城崎さんじゃないか」
眼前を通りかかり誰よりも早く僕を発見したのは、偶然にも豊永さんだった。
「こんな場所までハイキングか?」
「そんなところです。
言霊祭の会場がどんなものか見たくて、散歩がてら覗きに来ました」
「はは、裏方は視察しないのが暗黙の了解だろ? しかしまぁ、ここまで来るのは大変だったろ。いい歳なんだから、疼痛も視野に入れないとな」
「疼痛?」
ラストスパートの反動で息が上がってはいるけど、それだけを根拠に疼痛だと指摘するのには違和感を覚えた。
「ん。違うのか?」
「ちなみに、豊永さんはどうしてそう思われたんですか?」
謎かけみたいになってしまった。
けれど、こうすれば肯定にも否定にも逃げられて一石二鳥だ。
「どうしてって、そりゃ地蔵を背負うような体勢でいるからだよ」
なるほど、認識の齟齬か。
僕以外には少女が見えないことをうっかり忘れていた。
「強がるには無理がありましたか」
愛想笑いを浮かべると、背後の彼女が「あ、お肉くれたひと」と好意的な反応を示した。
「はは、医者っつっても普遍の理には太刀打ちできないんだな」
「背徳行為は医学界でもタブー視されてますから」
ひとりくらい僕の他に少女を認識できるひとがいるのではないかと周囲に目を配るけど、島民は決まってあたたかい眼差しを向けるばかり。
神聖視されるこの地に来れば事態が進展するかもしれない、と密かに雀の涙ほどの期待を抱いていたけど、やはり芳しい成果は得られなかった。
人生、大体こんなものだ。
「パパ、あれなに?」
そう言う彼女が指差すのは本殿だ。近くに摂社や末社はない。
風雅な本殿に鳥居に社務所。
簡素な神社だ。加麻鳥神社と言うらしい。
「……」
「パパ?」
「神様が祀られてるんだよ」
声を潜めて口早に呟く。
「ん。なんか言ったか?」
「い、いえいえなにもっ」
さて、これから公の場で少女と会話するときはどうしたものか。
無視を貫くのは気が引けるし、かと言って独り言が激しい癇癪餅だと認知されても困る。
「部外者に長居されても迷惑ですよね。ここらでお暇させていただきます」
人目をはばかってコミュニケーションをとっていこう。
方針が固まったところで、次にすべきはこのことを少女に伝えることだ。
指針を共有しないことには始まらない。
家でゆっくり話すため、踵を返したのだけど。
「まぁ待ちなって」
踏み出すより早く、豊永さんが僕の首に腕を絡めてくる。
「どうしましたか?」
首を巡らすと、豊永さんの腕が少女の体を貫通していた。
なんともグロテスクな光景……。
「今はちょうど一番暑い時間帯だ。焼き鳥でも食いながら、涼を取っていきな」
そのまま宴会が催される未来が見えた。
「貴重な食料をいただくだなんてとんでもない。
ただでさえ、夕飯をご馳走になっているのに」
少女を気にかけながら無礼講なんてとんでもない。
とてもじゃないが精神がもたない。
けれど、豊永さんの膂力が緩まることはなく。
「客人をもてなすのは当然のことだろ? ささ、こっちだ」
「あ、ちょっと……」
「若いの連れてきたぞ~!」
懐かしい感覚だ。
職に就いて初めて迎えた週末も、こんな風に加野さんに飲み屋に連れて行かれたっけ? あれからもう三年も経ったんだなぁ。
……なんて感慨に浸ってる場合じゃない。
どうしよう、もう逃げられそうにない。
「いいにおいがする~」
気楽な彼女とは裏腹に、僕の額には冷たい汗が浮かんでいた。
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