side2-1 白浜結月
コンコンと扉を叩く音が聞こえる。
続けて「起きてますかー」と間延びした女の子の声が聞こえてきた。
隣で昏々と寝付く少女に布団を掛け直し、寝惚け眼を擦りながら壁時計を見やると、短針は5と6の間にあった。
「……」
寝惚けているのかと思い、再度目を擦って時計を見据えるも時刻は変わらず。
「寝てるんですかー? もしもーし」
集金……なんて延滞に延滞を重ねた受診料の支払いじゃあるまいし。
島民から恨みを買うようなことをした覚えもない。
とすれば、この非常識な時間帯の訪問が島の常識なのだろうか。
とりあえず、顔を出してみる。
「あ、やっと出た」
扉の先には、スポーツウェアを着たポニーテールの女の子がいた。
額は汗で滲み、腰に巻かれたランニングポーチからはスポーツボトルがひょっこり頭を出している。
ランニングでもしていたのだろうか。
その予測は半分正解で半分間違っていた。
「新聞お届けです」
なるほど、新聞配達。
見れば彼女の背後には自転車があり、前かごには新聞紙がこんもりと入れられている。早朝からご苦労なことだ。
「ありがとう。この島だと新聞は手渡しなの?」
「ううん、普通は郵便ポストに投函するよ」
てっきり島特有の習わしかと思っていたけど、そうでもないらしい。
ならどうして僕には手渡しなのだろう。
ポストは玄関から少し歩いた先に設置されてるんだけど。
「ところでお兄さん、なにかわたしにしてもらいたいことはないかな?」
老若男女問わず、島民との会話中は人心地つく間がない。
「なにもないよ。
あと、そういう誤解されかねない言葉は自重した方が身のためだよ」
僕の助言など柳に風。彼女はえーと鼻白む。
「肩たたきでも、ご飯作りでもなんでもいいんだよー?」
ハウスキーパーにでもなりたいのだろうか。
「することがないなら勉強しよう。培った知識は裏切らないよ」
「夏休みに勉強って……同情しちゃうなぁ」
憐れむようなまなざしを向けてくる。
彼女がなにを思っているのかわかってしまったから、僕は軽く補足説明を加える。
「勘違いしてるようだけど、図書館にひとりで通ってたわけじゃないからね」
「え、図書館デートしてたの?」
偶然だろうが、その言葉は的を射ていた。
というより、思考が一足飛びしすぎではないだろうか。
妙な沈黙を挟みながらも僕は続ける。
「……君にはそういう相手いないの?」
「あはは、つぐつぐ嘘つくの下手っぴ!」
「つぐつぐ……」
そんなあだ名で呼ばれたのは初めてだ。
腹を抱えて笑いこける彼女はとても楽しそうで、年下の女の子にからかわれてるというのに嫌な気持ちはまるでしない。
笑顔ほど見ていて胸がすくものはない。
収入はともかく、労働環境がどうかと問われたら苦笑いで流すしかない医師という職業を続けられるのは、患者の笑顔があるからだ。
誰かの笑顔のために自分は働いているのだと思えば、残業でも休日出勤でも耐え凌ぐことができる。
心が健康なら、人間大抵のことは我慢できてしまうものだ。
「僕の名前って、島の全員に知れ渡ってるの?」
「ん。そりゃ、ネット記事に載るような有名人を知らないはずないよ」
「答えになってないなぁ……」
やはり、島民の誰もが僕を知っていると見て間違いなさそうだ。
小さな島だ。
ひとりが情報を得れば、その情報は瞬く間に島内で伝播するのだろう。
良い悪いにかかかわらず。
「それで君は?」
今更ながらに誰何すると、彼女は自分を指さして小首を傾げた。
「わたし? んー、わたしみたいな芥子粒がアッキーに上申していいのかな」
「主語のおかげで敬語が機能してないよ。
つぐつぐだのアッキーだの、せめて呼称は統一しようよ」
「あ、怒らないんだ?」
「こんな些細なことで怒ったりしないよ。それで君の名前は?」
おかしい。
コミュニケーションってこんなに難しかっただろうか。
またも唐変木なことを言い出すのではないかと身構えるけど、ようやく彼女はその気になったらしい。
こほんとわざとらしく咳払いをすると、彼女は勝ち気な笑みを浮かべた。
「人呼んで、万の遣いの
「あぁパシリね」
「ちょっとちょっと、なんでそんな可哀想な目で見るかなぁ!?」
古くからの風習が根付く島だ。きっと僕の知らないしがらみがあって、彼女の一族はなんらかの事情で差別を受けて……。
奉仕精神の裏には、踏み込んではいけない闇深き歴史があるようだ。
「大変だったね」
優しく微笑んで僕は言う。
「なにが!? 全部、お小遣い稼ぎでやってることなんだけど!?」
「そう……身の皮を剥ぐ思いで暮らしてるんだね」
「いやいや……ちょっと晃丞さん、妄想で自己完結しないでよぉ!」
「と、これがさっきまで僕が君にされていた仕打ちだ」
「意趣返しだった!?」
「会話はキャッチボールが基本だよ。わかった?」
「でもわたし、カットボールとナックルボールしか……」
どこまで拗けてるんだよ。
「わかった?」
営業スマイルで圧力をかける。社会で培ったスキルは伊達じゃない。
好機はないと悟ったらしく、彼女はぷくっと頬を膨らませる。
「……むぅ、大人の力を乱用するとは。とんだ鬼畜……鬼ぃさんだなぁ」
おにいの部分が『鬼ぃ』と聞こえたのは、たぶん気のせいだろう。
「子供の将来のためなら、悪役だって喜んで買うよ」
「この見透かされた感じがなんだかなぁ……」
煮え切らない表情で、彼女は悔しそうに呟く。
人生経験の差だ。こればかりは歳月をかけて培う他ない。
「それにしても晃丞さん、話して見ると評判とは別人だね」
そう声を弾ませる彼女から、言いくるめられたことに対して後を引いた気配は感じられない。
なんという切り替えの早さ。僕も見習いたい。
「そうなの?」
「うん。ダウナーで根暗で陰気っていうのが昨日集めた情報」
疫病神じゃないか。
「否定はしないけど、ダウナーだけで十分じゃない?」
「うん。残りのふたつはわたしが恣意的に付け足したからね」
「何故に?」
「目には目を。歯には歯を。意趣返しには意趣返しだよ!」
「こうやって復讐は連鎖してくんだなぁ」
争いの真理に到達してしまった。
え、わたしが悪いの? と雄弁に物語る憂いだ顔つきで首を傾げた結月は、突然膝を打って身を翻した。
「いっけない、まだ配達の途中だった! じゃね、晃丞さん!」
「気を付けて配達するんだよ」
「うん! また明日!」
手を振りながら颯爽と駆けていき、瞬く間に結月の姿は見えなくなる。
「……また明日、か」
僕はポストじゃないんだけどなぁ。
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