side3-1 紗英

 離乳食を買えば確実だったんじゃないか? 

 そう思ったときには後の祭りで、ハンバーグの上にチーズを載せ終えたところだった。


 戸棚からプレートを取り出し、煮込みハンバーグに付け合わせのにんじんを添えてメインディッシュの完成。

 そこにレンチンご飯とほうれん草のごま和えを加えれば、ハンバーグ定食1人前の出来上がりだ。


 最初は簡単にチャーハンで済ませようと思ったけど、煌びやかな調理器具に触発されて気がつくとハンバーグを作っていた。


 ダマスカス包丁に、ダイヤモンドコート加工されたフライパン。

 ここまで大層な調度品が揃っていては、お粗末な一品を作るのが憚られる。


 一流を用いた以上は、一流を提供しなくてはならない。

 加野さんの教えのひとつだ。


 ひき肉は専売所で売られていたものだ。

 野菜だけかと思っていたら、思いの外なんでも揃っていて、つい大量の食材を買い込んでしまった。


 料金はガラス瓶に入れておいたけど、あんな無防備な状態なのにすりの被害に遭ったりしないのだろうか。都会なら間違いなくいちころだ。


 立地条件が最高で、マットレスは最高級で、加えて器具も一流。


 ここまでされては、宿泊宿提供以外ノータッチでも文句を言えまい。

 これで1泊3000円なのだから驚きだ。


 贔屓目なしに、この宿は一度宿泊した五つ星ホテルと大差ないように思う。

 費用は十倍近くの差があるけど。


 調理器具を水に浸し、出来たての料理を少女の元に運ぶ。


「お待たせ。ハンバーグだけど食べられるかな?」


 首を横に振られたら……その時はその時だ。


「すきー」


 そんな僕の懸念に反して好意的な反応をすると、少女はやにわにフォークをハンバーグに突き刺して、あろうことかそのまま口に運び始めた。

 ノーカットのハンバーグを。


「まったまった!」


 いけない、そこまで配慮が回っていなかった。


 僕の慌てように驚いたのか、少女は手の動きをぴたと止める。


 重力のままに滴り落ちるデミグラスソース。

 その先には空色のワンピースがあって……。


「……すり抜けないんだ」


 手を握ってハンバーグをプレートに戻し、フォークで細かく切り分けながら状況を冷静に分析する。


 幽霊との会話スキルに関しては一日の長があるものの、それ以外のことはからっきしだ。だからこうして少女が食器に触れられるのが当然なのか、異常なのか。

 鑑みようにもそもそも前例がないので、判別のしようがない。


 しかし彼女が何者であろうと、最終目的が成仏であることには変わりない。


 まずは地道に情報を集めるのが得策だろう。何事も基盤を固めることが大切だ。


「これでよしっと。熱いから気をつけるんだよ」

「いたたきます」


 舌足らずな合掌だ。愛くるしい姿に、頬が自然と緩んでしまう。


「いただきます」


 少女に倣って僕も合掌し、自分の昼食に箸をつける。


 うん、我ながら上出来だ。嗜好品が一流なことも相俟って、以前作ったときよりも美味しくできてる気がする。


「おいしー」


 目の前のお客さんの笑顔もまた、相乗効果の一端なのかも知れない。


 少女が食事を終えるのを待ち、食器を洗って戸棚に収納したところで島の散策と挨拶回りに向かうことにした。


 年端もいかない子をひとりで放置するのはどうかと思ったけど、そうこう悩んでいる内に少女はすうすう寝息を立て始めた。

 お腹いっぱい食べて昼寝する。子供の専売特許だ。


 冷房を起動し、お腹に布団をかける。これで熱中症と腹痛の心配はないだろう。 


 しかし脱水症状が懸念されるから、30分を目処に一度は戻ってこないと。

 なんて少し過保護すぎるかな。

 

「はぁ……」


 どうしてこうなったのだろう。これではまるで、赤児の子守を任された父親だ。


 縁もゆかりもないし、そもそもこの世の者ではないのだから、放っておいてもさしたる問題はないんだろうけど。しかし、それは人倫にもとる行為ではないか、なんて後ろ髪を引かれる思いが芽生えるものだから、そんなもやもやを相殺するには世話を焼くしかないわけで……。


 いつからこんなお節介になったんだろう僕は。

 自覚がある時点で天然の性向ではない。


 この世話焼き体質は誰かに触発されて後天的に生まれたもので……。


「……いつまで引きずるんだよ」


 仮に自分がもうひとりいようものなら、哄笑を浴びせていたことだろう。

 事あるごとに彼女の面影を思い浮かべてしまう自分に嫌気が差す。


 1ヶ月以上経った。

 香典返しを終えて、忌明けを迎えて……。


 けれども、僕はまだ前を向いて歩き出せない。

 それほどまでに彼女は大切な存在だった。かけがえのない存在だった。


 僕のすべてだった。


 名医の肩書きが欲しくて医者を志したわけじゃない。

 ただひとり、宮森日葵みやもりひまりの病を完治させたくて、僕は医者になった。


 なのに僕は、彼女の容態の悪化に気づくことができなくて。

 訃報を耳にしたのは、2時間に及ぶ患者の悪性腫瘍切除手術を終えてからのことだった。


 彼女が今際の際に立ったその時、僕は彼女に声をかけることも、彼女の声を聞くこともできなかった。

 当然だ。寄り添うことさえできていなかったのだから。


 どんな大病も治してきた。一度として手術に失敗したことはない。

 なのに……それなのに。


「あ、いたいた」


 一番大切なものだけは、守れなかった。


「きの……おじさん大丈夫?」


 気遣わしげな声で我に返るなり、視界に靄がかかっていることに気づいた。


 いけない。道中で、僕は涙ぐんでいたようだ。


「……はい。お気遣いありがとうございます」

「……はは、参ったなこりゃあ」


 どこか噛み合わない会話。

 顔を上げるも、視界がぼやけて相手の顔を認識できない。


「見てわからない? わたし、女子高生だよ? 

 年下相手に敬語はないよおじさん」


 瞳に溜まった涙を拭うと、困ったように笑うセミロングの女性が映った。

 いや、女性ではなく女の子か。

 たしかに、顔にはまだあどけなさが残っているように感じられる。


「どしたのおじさん? 悩みごとなら紗英さえちゃんが聞くよ?」


 彼女は紗英というようだ。


「……なんでもない。潮風が染みただけだよ」

「いやいや無理があるって。

 ……あぁ、どうりで見ない顔だと思ったら、おじさん資金源だね」

「大方間違ってないけど、旅客って訂正した方がいいんじゃないの?」


 豊永さんといい紗英といい、思ったことをストレートに言葉にするのは島民の性向なのだろうか。

 ぱちぱちと目を瞬かせると、紗英は上機嫌に僕の顔を覗き込んでくる。


「おじさんいくつ?」


 またも会話が噛み合わない。


「……今年で27」

「わたしは17! 下一桁が同じだから、実質同い年だね!」

「いやいや、そうはならないでしょ。10年は大差だよ」

「そうかな? 世界史的には鼻差だと思うんだけど」


 なんとも大局的な捉え方だ。

 豊永さんにも独善的な気風の影があったけど、この子に比べれば可愛いものだ。


 奇特。

 そんな言葉が似合う、ちょっと……いや、かなり変わった女の子というのが今のところの印象。


「ところでおじさん、名前は?」


 それは年齢よりも先に聞くべきことでは?


「城崎晃丞」

「職業は?」

「医者」

「年齢は?」

「今さっき教えたよ」

「ははは、そうだったそうだった。じゃわたしはこれで」


 突然会話を切り上げると、紗英はぶんぶん手を振って海のある方角へ駆けていった。


 台風みたいな子だ。こちらの情報提示量に対し、得たものは名前だけ、というなんとも不釣り合いな交流。この島では淡白な交流が好まれるのだろうか。


 まぁ、島のことも彼女のことも、おいおい知っていけばいい。


 家を出てまだ10分。

 挨拶回りをする前に、数少ない店の位置の把握に努めるとしよう。


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