side1-1 ???
車を降りると、周りの民家と遜色ない茅葺きの家が鎮座していた。
噂には聞いていたけど、加麻鳥島では旅客も自給自足、という話は本当らしい。
豊永さんに先導されて敷居をまたぐと、生活感溢れる家具が僕らを歓迎した。
真新しいキッチン。調度品の拵えられたパントリー。鮮やかな若草色の畳。
畳の上には、ぽつんとちゃぶ台が置かれていて、キッチンには長テーブルと四脚の椅子が備え付けられている。
ついさっきまで誰かが生活していたのではないかと思うほど充溢した設備だ。
日当たり、家財共に文句のつけようがない。
なにより、車の走行音が一切聞こえないのが快適だ。
ただ……。
「調味料は自由に使ってもらって構わない。で、寝具はここな。
お高いマットレスだから、ぐっすり眠れることを保証するぜ」
「……はい」
「鍵はねぇが、心配いらねぇ。この島にいる以上、スリなんてありえないからな。
と、ここまででなにか気になったことはあるか?」
「……いいえ、特には」
平常運転の豊永さんを見るに、つまりはそういうことなのだろう。
「ならよし。にしてもさっきから返事が上の空だが、どうかしたか?」
「……」
並大抵のひとなら心理的瑕疵を疑い、難癖を付けてもおかしくないような状況だけど、僕は平常心を保つことができる。
何故なら、職業柄、科学的に説明できない事態に何度も直面してきたから。
それでも多少の抵抗はあるけど。
「……ひとりで泊まるには大きすぎる家だなと思いまして」
ちらと向けた視線の先。
そこには変わらず……いる。
ちゃぶ台の前で女の子が正座している。
肩下まで伸びた長い髪。身長はかなり低く、高く見積もっても小学生くらい。
涼しげな水色のワンピースを着た少女は、僕を見据えて首を傾げている。
ホームシックの不安は端からなかったけど、退屈と孤独に苛まれて腐ることもまた憂慮せずに済みそうだ。
豊永さんが去った後は、頭を悩ますことになるに違いない。
「まぁ、単身旅行なんて珍し……くもねぇか。毎年この時期は、独り身の旅客がわんさか押し寄せるからな。金がじゃんじゃん増える稼ぎ時だ」
「そういう裏事情は客の前で口にしない方がいいのでは?」
「なぁに、別に隠すことでもないさ。実際、島の収益の七割は言霊祭関連のものなんだ。ま、収入がなくても養鶏だの農業だの漁業だのがあるから、生きることには困らないんだけどよ」
「よく貨幣制度保ててますね」
物々交換だけで商売が成り立ってしまいそうだ。
「じゃ俺は役所に戻るな。
ちなみに向かいが俺んちだから、なんかあったら遠慮なく来な」
超ご近所さんだ。
「ありがとうございます。お裾分け期待してます」
「はは、言っとくが、女房の腕前は天下一品だぞ? 期待して待ってな」
「あ、その、無理しないでくださいね?」
宿泊プランに食事オプションはない。
冗談で言ったつもりが、このままだと瓢箪から駒になってしまいそうだ。
「無理なんかしてねぇさ。
……あいつが料理を3人分作るのはいつものことだからよ」
じゃあまた、と言い残して、豊永さんは家を後にした。
背中を向けたまま、顔をこちらに向けないまま、後ろ手で扉を閉めて……。
「……不意打ちは勘弁してほしいなぁ」
こういうとき、どう反応するのが正解なんだろうか。
おどけて笑い飛ばせばいいのか、相手に合わせて悲しめばいいのか。
後者は簡単にできそうだけど、前者はしばらくできそうになかった。
「……それで、君は誰かな?」
幽霊、あるいは座敷童子と思わしき少女に問いかけるも、反応はない。
こころなしか、首が少し傾いた気がする。
「自分の名前、わかる?」
「……ぉ」
声帯から発せられたとも、息を吸ったとも判断できる微音が漏れ出る。
「ん?」
「……」
「ことば、わかる?」
「……」
「……なるほど。こいつは厄介だ」
一度だけ微かに漏れた音は、どうやら呼吸音だったらしい。
これまで何度も幽霊と意思疎通してきたけど、コミュニケーションが成立しないケースは初めてだ。
当然と言えば当然かも知れない。
僕の所属する医療機関は大病を専門としている。
生まれつき大病に罹っている、なんてことは稀で、患者のほとんどは悪習慣を積み重ねて後天的に発症したひとばかりだ。
つまり、通院者の大多数は意思疎通できるほどに言語能力が発達している。
幽霊とは故人の残滓のようなもの。
だから彼らは基本、他界直前の容姿をしている。内側も外側も共に。
幽霊はおぞましい存在、そんな認識は間違いで、彼らは生前に伝えられなかったこと、つまりは未練があって現世に残留している。
言付けたくて、彼らは人間に接近するのだ。
なのに、心霊特番やミステリー特集なんかで幽霊は有害だ、なんて誤謬を霊媒師が吹き回すから、彼らの願いは叶わない。
遺族に一言伝えたいだけなのに、傷つけようとは少しも思っていないのに、彼らは人間の勝手な妄想で悪に仕立てられている。
少なからず復讐心を滾らせる幽霊もいるんだろうけど、僕は温情をもった幽霊しか見たことがない。
初めて話しかけた時は怖くて怖くて仕方なかったけど、言葉を交える内に彼らも人間であることを知った。
姿形がどうであれ、感情があれば人間と定義して問題ないだろう。
しかし、会話ができないとなると未練の知りようがない。
挨拶回りも兼ねて、昔ここらで事件があったか尋ねてみようか。
いやいや、初日から悪印象を植え付けてどうする。
……しばらく様子を見よう。
もしかしたら、会話できるようになるかも知れないし。
今後の方針が定まったところで、近隣住民への挨拶回りを済ませようと腰を上げると、ぐ~とお腹の鳴る音がした。僕のお腹ではなく、少女のお腹から。
「……まんま」
「しゃ……」
喋った……っ!
しかも喃語。この子、何歳なんだ?
時刻は11時30分。
少し早いが、昼食には悪くない時間だ。
「わかった。少しまってて」
勾配を下った先に無人販売所があったはず。
車越しに見ただけだから曖昧だけど、野菜が幾らか陳列していた記憶がある。
まさか数年後を見据えて暗記した幼児用レシピが役立つ日が来ようとは。
人生なにが起こるかわからないものだ。
蛇足にならなくてよかった。
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