幕間①-2 きっと誰もが傷を負っている

「にしても城崎さん、

 その若さで業界に名を轟かせてるなんてすげぇじゃねぇか」


 流れる景色を見るともなしに見ていると、豊永さんが運転席から話しかけてきた。


「そんな大層なものじゃないですよ。

 ……一番大切なものを守れない奴に、名医を名乗る資格なんてない」

「またまた謙遜しちゃって。

 あの国内屈指の医学オーソリティ、加野忠政が、自分と双璧をなす奴だって認めてんだぜ?」


 どうやら後半の言葉は、風にかき消されて届かなかったようだ。

 まあ、そうなるとわかってて小声で呟いたんだけど。


「まだまだですよ僕なんて。医学業界では月並みです」


 加野さんは、日本にとどまらず世界にまで勇名を馳せるスーパードクターだ。


 そんな雲の上の存在と初めて顔を合わせたのは大学四年の夏。

 就職活動に明け暮れる直前のこと。


 コンパでスカウトされたとか、サークルがらみで就職先を得たなんて事例がけっこうあるけど、当時勉学に心血を注いでいた僕にしてみればそんな話は無縁で。


 だから、教授の部屋に呼び出されて加野さんを前にしたときは、なにかの手違いなんじゃないかって思ったけど、加野さんが指名したのは紛れもなく僕で。


『君は誰のためにそこまで頑張るんだ?』


 切り出しの一言で、この人についていきたいと強く思ってしまった。


 目が本物だった。

 加野さんは初対面にもかかわらず、僕の本質を見抜いていたのだ。


 その後、助手にならないかと願ったり叶ったりの提案をされて。

 予定調和の後に、僕は加野さんが主治医を務める国内最高峰の病院に所属することになった。


 あれから三年。

 へまはしてこなかったと思う。


「ネット記事に載るような男が、月並みなわけあるか」


 はははと、豊永さんは楽しそうに笑う。

 出会ってから今に至るまで、このひとはずっと楽しそうだ。


「偶然、僕が初めてだっただけのことです」


 成功率10パーセント未満だろうが、手術を成功させるのは医師として当然のこと。例え未知の難病が相手だろうと、さじを投げることは許されない。


「だとしても、自分の名前が全土に知れ渡るんだぜ? 悪評じゃなくて、誉れ高い事実がよ。

 いやぁ、俺も生きた足跡を残したいもんだねぇ~。……あ、けど悪行を働いちまったら、一生もんの烙印に早変わりするのか。そいつは面倒だな」

「褒めるのか貶すのか、はっきりしてくださいよ」

「なぁに、悪さしなけりゃ問題ねぇさ。

 大丈夫だよ、城崎さんは評判に違うようなことを絶対にしない。

 そいつがどんな奴かは目を見ればわかる。あんたは根っからの善人だ」

「……買い被りすぎですよ」


 違いますよ。僕はからっぽの人間なんです。

 善も悪もない空白だから、純白だと錯覚してるんです。


 なんて反論をしようものなら、場の空気が悪くなること間違いなしだったので、喉元まででかかった本音は胸の内に閉じ込めておくことにした。


 幸せが幸せを連鎖的に呼ぶように、不幸もまた連鎖的に不幸を呼ぶ。

 懊悩するのは自分ひとりでいい。

 憐れんでもらったところで、直接の解決にはならないのだから。


「……下手だな。嘘つくの」


 ここまでの上機嫌な口調とは打って変わった低い声。


「知ってるか城崎さん。視線や仕草は口よりも緊密に心と繋がってるんだぜ」


 バックミラー越しに、鋭い視線が向けられる。


「嫁さん亡くしてまだ一ヶ月ちょいなんだろ? 

 強がらなくていい。つらいなら無理に笑顔を繕わなくていいんだ」


 驚くようなことではなかった。

 妻の死は病棟内では周知の情報。そんな職場の誰もが知る情報を加野さんが認知していないはずもなく、彼の口を経由して豊永さんにまで情報が伝わっていてもなんらおかしくない。


 それに、本当は最初から気づいていた。

 でなければ、僕のことを重症だ、なんて言うはずがないから。


「……無理なんて、してませんよ。感情に正直にしています」

「そうやって見栄張っちまうんだよぁ。心に穴が空いた奴は決まって」


 少しの逡巡もなく、豊永さんは被せるように言った。


「今のあんたはさ、一年前の俺と同じだよ」

「同じ?」

「ああ。俺もさ、一年前に娘を亡くしたんだ」


 返す言葉が見つからず、僕は口を半開きにしたまま呆然とすることしかできない。


 彼も似た境遇にあるのかという驚き。可哀想だという同情。

 どうしてそのことを話題に上げたのかという疑問。


 感情がいくつも湧き上がるも、声にはならない。


「16歳の娘だった。

 生まれつき体が弱くて、走ることもままならないほどに脆弱な子だった。

 それでもあの子は毎日笑顔を振り撒いてて、生まれたことを後悔してなくて、俺と嫁にいつもありがとうありがとうって……そんな優しい子だった。

 元から寿命は長くないって宣告されてたけどよ、だからって親に先立つのはあんまりだと思わねぇか?」


 声が震えている。それでも豊永さんは続ける。


「残された方がつらいよな。

 いっそ一緒に逝けたらって、あの時は俺も本気で思ったよ」


 そんな過去、誰だって打ち明けたくないと思う。

 悩みを打ち明けるのは、打ち明けることで解決の目処が立つからであって、変わらない過去は、口にしたところで古傷に塩を塗るような自傷行為でしかない。


 それでも豊永さんが言葉を紡いでくれたのは、僕のためだろう。


 自分も同じ境遇にいた。けれど立ち直れた。

 だからお前も元気出せって。


 そう遠回しに鼓舞してくれているのだろう。


「ありがとうございます」

「現実から逃げんなよ? そんなことしたって誰も喜ばねぇんだから」

「はい」

「っし到着だ。ま、どうしようもなくなったら、俺なり島の奴等なりに相談すりゃいい。この島の連中はいいやつばっかだ。きっと親身になって話を聞いてくれるよ」


 自然豊かな孤島に温情をもった人々。

 たしかにこの場所は、僕のリハビリにもってこいの場所なのかも知れない。

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