side 杏里 扉
「着いた」
またもやアリスがいきなり立ち止まったので、あたしはその背中にぶつかりそうになった。
「え……」
辺りを見回す。
言葉が出なかった。
鏡の中に、こんなに広い空間があったなんて。
そこは、端から端すら見渡せない大広間である。
あたしたちが来るまで、そこは完全な静謐で満たされていた。
ランプが一列に垂れ下がった天井には、無数の星のような点が光のように描かれている。大広間と言えど、長いながい廊下のようで、壁には大小様々な扉がこれまた終わりの見えないくらいにずらりと並んでいて。
――これって。
「『不思議の国のアリス』の、大広間?」
「ご明察。そのとおりだよ』
うわあ、と声を上げてしまう。すごいよ、あたし、実物なんて初めて見た!
……まあふつう、見られるわけもないんだけどね。
「……でもさ。ここって鏡の中だよね?なんで不思議の国にあるものがここに」
「不思議の国と鏡の中は、軽くだけどつながってるの」
「え……」
「軽く、だから。完璧につながってはいないんだけどね。潮の満ち引きで砂浜の道ができることがあるでしょ?あれと同じ原理で、運次第なんだよ。今回私達は運が良かったね」
両方のアリスが同時にそう微笑む。
「そうなんだ……」
あたしは天井を眺めつつ、少しだけ歩いてみた。かつ、かつ、と足音が反響して大きく返ってくる。
鏡の中って、なんだか色んなものが恐ろしく感じられる。人もモノも動物も、迂闊に触れてはいけないような。
「これはね」
ふと見ると、いつの間にかアリスたちが横に並んでいた。アリスはふたりともあたしと同じように頭上を見上げたまま続ける。
「〈世界〉をあらわしてる、って言われているの」
「世界?」
「それで、この大量にある扉は、そこに来た”システム”以外の人につながる記憶を一つひとつ閉じ込めたもの――だそうよ」
「つながる」――少しだけはっとしてアリスの方を見ると、あたしに近い方のアリスの手に金色の小さな鍵が握られているのが分かった。一体いつの間に。アリスはゆっくりと微笑む。
「そう、つながる。理想とか過去とか前世とか。あの童話の場合は、理想か望みだったのかもしれないね。噴水のあるトランプの女王の庭は。まあ、昔は今みたいに確立されてないあやふやな場所だったから、ほんとにそうかはわかんないけど」
「はあ……」
一気に話されて分かんなくなる。顔をしかめて考え込む私に、両方のアリスが悪戯っぽくにやっと笑った。
「杏里もさ。行ってみる?」
――どきりと、何かが転がりだすように思えた。
「あたしも――」唾を飲む。「入れるの?」
「勿論。鍵さえあればね」
ほらこれ、と言われて、手の中の鍵があたしに差し出される。……え、ちょっとまってこれ、あたしの――過去?
それが見られるなら、あたし、自分の本当の正体が、分かるかもしれないってことだ――!
白兎が足元でぐるりと辺りを見回す。
「この中に、ひとつだけ、その鍵合う扉ある。それが、今の自分に必要な事柄」
「この人、兎になると上手く喋れなくなるみたいなんだよね」と、アリスが兎を撫でながら言う。
「でも、そういうこと。二度もここに来られた人はいないけど、その時どきに必要な場面を見せるみたいだよ。――ああでも、杏里の場合は幽霊だから死ぬ前の話とかかもしれないわね」
あたしはまた唾を飲む。
「分かってくれた?」
「――うん。あたし、行くよ」
「それじゃ、行ってらっしゃい」
アリスが両方とも、手を振ってくれていた。
あたしは頷くと、手始めに近くの扉に鍵を差してみた。
運良くすぐに開いたので、あたしは扉を開けて一歩踏み出す――と。
「えっ」
そこに、地面はなかった。
「――あああああ⁉」
あたし、今、
落ちてる――!
自分探しのアリスたち 七々瀬霖雨 @tamayura-murasaki-0310
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