side 杏里 もうひとり

「……えっと、一応確認するけど、それって……あの」

 昼食をとるべく、立ち寄ったフードコートの中。

「……言いたいことは分かります」

「……取り乱してごめん。あの、えっと」

 あたしは、ペンダントについて言い出せないでいる。――もしも、あたしの予想と違ったら、相当恥ずかしい話――というか、もうあたし本当に地縛霊にでもなってしまいそうだ。恥ずかしくて動きたくない!……みたいなかんじで。

 それに、美来があれについてどれだけ知っているのかわからない。あれが”体を維持する”ためにあるのだと知っていたなら?

 ――あたしの正体も、ばれているかもしれないのだ。

 先に口を開いたのは未来だった。ペンダントを颯爽と外し、あたしに差し出しながら。

「<アリス>――ですよね」

「……やっぱり、そう、だよね」

 言われてしまった。腹を決め、確認する。

「ということはつまり、美来がもうひとりの――」

「もうひとりのアリス、ですね」

 あたしははーっと息を吐いて、ぬるい水をちびちびと啜る。やっぱりそうだ。……美来は。

 アリスを知ってて、もしかすると――鏡の向こうについても、知ってるかもしれない。

「これは、杏里のものなんですよね。もしも会えたなら、返しておけと言われていて」

 カーディガンで隠したあたしの手に、ペンダントが乗せられる。鎖がしゃらと音を立てた。

 ああ、ようやく返ってきた。なにか温かいものが駆け巡って、消えていたあたしの手に肌の色が戻ってくる。袖をちょっと引っ張って確認すれば、ちゃんとあたしの手には指先があった。ほっとして、ペンダントを握りしめる。

 ……てことは、あたしが消えることもなくなったのかな。

「ありがとう」

「あの、私も一つ確認したいんですけど、杏里は”異世界に行けるアリス”ってことでいい?」

 ん、とあたしは顔を上げる。――鏡を通れること?そんなの、聞いたことないんだけどな。

「えっと――初めて聞いた」

 美来がひとつ頷く。

「アリスが言ってたんです――私は”未来を知るアリス”で、もうひとりが”異世界に行けるアリス”だと」

「……未来を知る、っていうのは、神様としてってことかな」

「おそらく」

 目線をテーブルの上に彷徨わせる。あたしは――、……なぜ鏡を通れて、何者かなんて、言える訳がない。

「……あのね、美来」

「はい」

 美来はあたしを見ている。――大丈夫、未来を知ってるからって、あたしの正体に勘付いている素振りはないんだから。

「あたし――じつは、鏡の中に、行けるんです」

 一息に言い切って、あたしはかすかに目を瞑った。汗がこめかみをつうと流れる。

 ――何でって、訊かれたらどうしよう。

 これは賭けだ。あたしの正体に切り込まれるか、それとも放っておいてくれるか。

 あたしは意気地もなんにもない。……美来みたいに、自分のことを話す、なんて無理だ。

 幽霊って。

 そう言って。

 傷付くのは、絶対に嫌。

「――そうか、それで異世界――なのか」

 目を開く。あたしは小さく頷いた。また賭けに勝てたようだ。あたしは案外賭けには強いのかもしれない。

 このまま……このままこの話は終わりにしたい。あたしは話を進めた。

「美来はさ、鏡の中に入ったこととかある?」

「ありません」

「だよね」

「ああ……でも、アリスは鏡の中に入っていったかな」

「アリスが!本当に?」

「はい。あ――それと、白兎も」

「白兎!」

 あたしは思わず声を上げる。美来もあたしと同じものを見てたんだ。しかも、鏡の中に入っていった――アリスと白兎、やっぱり鏡の中に住んでる人たちなのかな。

 カフェオレを上品に飲む美来を眺める。鏡の向こうでは、もうこんな光景を見ることはできないのだ。美来が――死んで、いるから。

 伝えるべきかどうか、迷っている。――でも、誰だって、自分が死ぬ未来なんて教えてもらいたくないよね?

 そこで、はっとあたしは違和感を抱く。

 あたしが今、このペンダントを取り戻したなら、鏡の向こうの――あたしが消えてしまっている世界は、未来じゃないんじゃないの?

 どういうことだ。あたしはずっと、あの世界は未来だと思って調べていたのに。あたしがペンダントを取り返すことは、不測の事態だったとか?次にあっちへ行ったらなにか変化があるのだろうか。

「……美来さ、あたしたちが何で”アリス”って言われるのか分かる?」

 いいや、今はとにかくアリスのことだ。まさか――まさか、初めて交流を持った人――いや、神様が、あたしの探そうとしていた”アリス”だなんて。

 美来が緩く息を吐く気配がした。

「関係あるか分からないんですが。アリスが、今は異常事態だとは言っていましたよ。今は、だから――そうだ、アリスが二人現れてもおかしくない、と」

 喉の奥が熱くなった。「異常……事態」

「はい」

 ふいに、前回アリスが去り際に言ったことを思い出した。――関係があったりするのかな。

「それってやっぱり、……やばいんだよね?」

「よく分かりませんが、おそらく」

 あたしは目を伏せる。アリスがいればもう少し理解できたかな……まあ、ここに呼ぶなんてできっこないだろうけど。

 あたしたちが”アリス”と呼ばれるのにも訳はあるんだろう。できれば事情も知らないあたしを選んでほしくはなかったけどな。

 異常事態、とあたしは小さく呟き直す。

「あたし今、一応向こうの世界を調べてるんだよ。ありすにもそっちで会ったの」

「本当ですか」

 美来が少しだけ目を見開く。

「あたし、向こうでアリスを調べてみようと思う」

 思い切って、あたしは言ってみた。

「今のところ、鏡の中がどんな世界なのかも分かってないんだ。だから、それの調査ついでにアリスも調べてみる。同じ”アリス”なんだから、少し協力してみない?」

「協力……」

 美来が目を眇める。

「あたしが調べて、美来がそれをつなぎ合わせる――そんな感じで」

「……何で私が?」

 不思議そうに首を傾げられ、あたしはずっこけそうになった。

「だって美来、あたしより頭良いでしょ」

 そうなんだ。この神様、この前の期末テストで軒並み一位を獲りまくったのだ。いくら神様とはいえ、その辺手を抜いてくれないと困る。

「……私なんかで、大丈夫でしょうか」

「大丈夫も何も、あたしには味方が美来しかいないんだから、信じるしかないでしょ」

 そう言って、あたしは笑ってみせる。これは結局、あたしの本心なのだ。

 そう、あたしはこの人を、信じなければ。

 突然、呆気にとられていた美来がくしゃりと笑った。照れたみたいな笑顔だった。

「それなら、私も何か調べられたら調べますね」

「うん。じゃあ、随時報告ってことで」

 あたしが言うと、美来は笑って頷く。

「はい」

 照れると言うよりは、どこか嬉しそうだった。

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