side 美来 海その4
そこは、涼しい風の吹き抜ける、静謐な空間だった。
鳥の鳴く声が聞こえる。周りに鬱蒼と茂った木々の間の石畳を、蓮水は端に寄って歩いた。――私も種類で言えばきっと同じなのだろうけれど、立場は全く違うに決まっているので、蓮水にならって端を歩く。真ん中は、神様の通り道だ。
――ここは、海のすぐそこにひっそりと立っていた神社の境内。
砂浜の一角にこの境内を含んだ森がせり出している。砂に埋れかけた石畳が見えているものの、危険地区としてこの辺りの子どもたちが絶対に入らない場所だ。なんとなく想像もつく。見るからに重々しい石畳に、背後の一切手が加えられていなさそうな森が加わって、どこまでも続きそうに見えるから。幽霊でも出そうなくらい。不安と恐怖が入り混じって。
木漏れ日の中を、私達は無言で歩いて行った。途中、灰色に煤けたような、薄く朱色の残る鳥居ががあったけれど、その下に書かれていたらしい神社の名前はすっかり掠れて全く読めなかった。相当古い神社らしい。一礼してから鳥居をくぐれば、三十段程度の、なかなかきつい石段が見えてくる。折れた枝が無数に散らばる中を跨いで、さっさと階段を上がっていく蓮水のあとに続いた。
「蓮……水」
「どうかした?」
先程ので少し話しかけづらいけれど、口を開く。
「足、速いです」
「はは、神木さんはもっと運動するべきだね」
「倒木も沢山あるじゃないですか。危ないです」
「まあ……多分お年寄りくらいしか知らないだろうから、仕方ないよ。神主さんとかもいないし」
ため息を吐く。少し先にこれまた古い鳥居が見えてきた時点で、どっと疲れが吹き出してきた。
「こんな所、初めて知りましたよ……」
言いながら、最後の一段を登り切る。
「……っ」
息を、呑んでいた。
「ね、綺麗でしょ」
「凄い……」
同じく古びた鳥居の向こうに、小さいながらも堂々と美しい、荘厳な社が建っていたのだ。
そこに辿り着くまでの石畳に幾つか倒木があるのを除けば、ここは背後にそびえる鎮守の森に護られた絶対に誰も汚せない神域のようだった。それくらいに、圧倒される。此処に、居るのだという神様の気品を感じる。生命力……とでも言えるのだろうか。神様には相応しくないかもしれないけれど。
――この地を守り続ける、圧倒的な力と決意を。
暫く見入っていて、蓮水が歩き出したのにも気が付かなかった。走って追いつく。「また転ぶよ」と笑う蓮水は無視だ。
「ほら、思ったよりお社は綺麗でしょ」
「……そうですね」
少し触れたらそれだけで崩れてしまいそうなお賽銭箱と錆びついた鈴以外を見れば、社を形づくる木材なんて新品みたいだった。不思議だ。
またもや現れた倒木だらけの階段を登り、社の屋根の下に立つ。登れないところは、蓮水が手を貸してくれた。ちょうど日除けの長袖で助かったと思う。
「お参りしておこうか」
「はい」
蓮水が鈴を鳴らす。頭上の鈴とこちらを繋ぐ縄は揺らしても切れないのが不思議なくらいだけれど、鈴は多少ざらついてはいるものの低く重厚な音を響かせた。なんとなく、背筋が伸びる。
二人揃い、柏手を打つ。二礼二拍手一礼。軽く息を吐きながら、手を合わせて目を閉じる。
「……」
祈ることなんて、何一つなかった。何も思うことができずに目を開ける。
隣の蓮水は、目を閉じたまま長いこと手を合わせていた。こんな寂れた神社に何をそんなに祈るのだろう。
人間は、わからない。
どうしたらいいのか分からなくて、社の奥を眺める、外界と切り離されたように美しい。私は目を眇める。……何か、中で光ったような……?
一瞬、目を見開いた私と目が合う。はっとした。
――鏡だ。
蟬が鳴いていた。汗が、頬から滴り落ちる。
ふっと、蓮水の瞼が開いた。何も言わず一礼するので、私も慌てて礼をする。
顔を上げると、蓮水は今立っていた所に腰掛けていた。
「蓮水?」
「こっち。座れば?」
「普通、そんな座るものですか」
文句を言いつつ、私は蓮水の隣に座る。ぎりぎり真ん中は避けているつもりだ。……こういう場合、同じ神様として怒ったほうがいいのだろうか。
「神木さん?またそんな難しい顔して」
「怒られますよ」
「ああ、――神様に?大丈夫、こっちにも神様はいるからね」
「私も巻き込むつもりですかっ」
「現に座っちゃってるくせに」
蓮水が笑う。つられて、私も笑ってしまった。自分でも少し驚く。
――こんなに自然に笑えるなんて。
「でもね。ここから見ると、すごく綺麗なんだよ。多分神様に見えるようにこの位置にしたんだろうね」
ほら、と蓮水が正面を指さした。
そして、見えたのは――白い波だ。先程歩いたあの青い海。木漏れ日を透かして煌めく波は、木々の間を縫って私の目に真っ直ぐ飛び込んでくる。
……なんでここは、こんなにも綺麗なんだろう。
「よく、こんな場所に気付けましたね……」
「それでさ、神木さん」
ふっと蓮水の方を見ると、目が悪戯っぽく光っていた。何故か嫌な予感がする。
「こんなことをしていたら、神様に怒られる?」
「いや……知りません、けれど」
「だったら、代わりにこの神社綺麗にしようか」
「……は?」
素直に、口をぽかんと開けてしまった。
「……今、何をすると?」
「んん、まあ、元々お社は綺麗だからね……この倒木を片付けるとか、そういったことかな?と言うか、それくらいしかできないけど」
「いや、なかなか大変じゃないですかそれ?」
蓮水はまたくすくすと笑い出す。――さては、と私は一つ思いついた。
「……もしかして、私と関係あったりしますか、ここって」
蓮水がじっと私を見詰める。思わず身を固くした。
「……やっぱり、だね」
蓮水がつと私から目をそらす。
「――はい?」
「神木さんの望みは何?」
「――生きるこ……な、何でですか」
口走ってしまった。自分で口に拳を当てる。
……こんなこと、誰にも解ってほしくない、のに。
鳥が目の前を飛んでいった。潮風がふわりと香る。諦めたことは、言いたくなかった。
――生きること、なんて。
「だったら、そういうの、ちょっと控えてみたら」
蓮水はもう一度こちらを向いて、微笑んだ。
「理由は、特にないよ。強いて言えば楽しそうだからかな」
「……はあ」
「もし神木さんが人間みたいに生きたいと思ってるなら、到底意味のなさそうなことに熱中してみるのも体験すればいいと思うよ」
「まあ、僕の単なる意見なだけなんだけど」と、蓮水が立ち上がって言う。私は、思わずぼんやりとその姿を目で追っていた。気が付かないうちに。
「それで、どう?神木さん的には」
蓮水はやっぱり微笑んでいて、変わらず目には悪戯っぽい光が宿っていて。
たぶん、だからだ。風に乗るように立ち上がってしまったのは。
笑って、言ってしまったのは。
「付き合いますよ、蓮水」
蓮水もにっと笑った。
「よし、じゃあ、始めよっか」
頷く。遠い昔のように、心を踊らせて。
風が吹いた。目を閉じると、緑色。鮮やかに浮かび上がる緑色である。
「青嵐、だね」
蓮水がふっとそう言った。
「あおあらし?」
「こういう、爽やかな風のことだよ。初夏に吹くんだって」
「そうなんですね」
初夏。
響きが心地よくて、すこし笑ってしまう。私は口の中で、あおあらし、と繰り返した。
すこしくらいは、私も人間に近づいて、生きていると胸を張って言えるようになれるだろうか。
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