side 美来 海その3

「連れて行きたい場所があるんだ」

 席を立った私達は、蓮水の一言でまた海に向かった。――それすら忘れるほど、私は緊張している。

 とにかく、先程の言葉が耳に染み込んで離れない。思い出すと赤くなりそうだ。

 ……多分、私がそういうのに慣れてないだけ。真っ直ぐにそういう、好、意を、向けられるのは――。

 はっとして緩く首を振る。こうして考えること自体、恥ずかしくて堪らない。忘れよう……忘れたくても忘れられないけれど。

「あの、蓮水」

「ん」

 後ろをついていく私に、蓮水は背中で答える。

「どこに行くんですか?」

「はは、そのままだね」

 蓮水が振り返って笑った。そっぽを向いてみせる。砂浜に出た私達は、人の多くなってきた波打ち際を選んで歩いていく。

「何度も言うけれど、はぐらかさないでください。どこに行くんですか」

「まあ、待ってて。すぐそこだから」

 景色が綺麗なんだ、とも付け加える。私は訝しみながらも、波が踊るぎりぎりのところまで歩いてみた。迎えるように飛沫が上がり、私の靴を濡らす。側を浮き輪が走っていくように見えた。夏である。

 無言のまま、お祭りのような砂浜を歩いていく。次第に、比較的静かなところまでやってきた。殆ど人はいない。

 ふわりと、淡い木の香が滲む涼しい風が吹いた。見ると、砂浜の近くに大きな森がある。

「この森――」

「そ。危ないって言われてるから、殆ど誰も来ないんだ」

 全く涼しい顔でそんな事を言う。

「……だ、駄目ですよ、立入禁止みたいなものでしょう」

「いや、単純に木とかが倒れる可能性があるから危険だって言われてるだけだよ」

「危ないじゃないですか!――あ」

 不意にズボンのポケットに入れたスマホが震えた。「ごめんなさい」と断ってから、画面を開く。

 メールの着信だった。

「メール?」と蓮水が覗き込んでくる。

「あ、ちょっ、駄目ですよ」

 慌てて蓮水とは逆に背を向ける。届いていたのは杏里からの返信だった。

「いや、神木さんメールとかしなさそうだと思っていたから」

「なんの偏見ですか。男友達からだとか思ってないでしょうね、そんなものいませんよ」

「はは、面白いこと言うね」

 振り返った蓮水の顔には、本当に面白がっている笑みが浮かんでいる――全く、本当に、どこまでが本気なのだか。

「大丈夫ですよ、杏里からなので」

「……杏里?――島田さん?」

「はい」

 私は蓮水から視線を外し、画面に目をやる。文面に目を通せば、なんの変哲もない、約束についての返事だった。

「……ちょっと待って」

 ――蓮水?

 私が名前を呼ぼうとした一瞬の隙に、蓮水がぐっと私の腕を掴もうとしていた。

「――っ」

 私はばっと身を引く。ここで触られても、私は蓮水を殺してしまうかもしれない――ふっと、夢の中の白い雲が蘇る。ぞっと恐怖が跳ね上がった。

「っ、ごめんなさい――」

 ……少し、表情に出てしまったかもしれない。

 蓮水も私に触れる直前で、空気を弾いたように手を止めていた。

「……いや、こちらこそ……」

 彼はそう言いつつその手を軽く口に当てる。私と蓮水の間に、冷たい風が強く吹いた。

 布に染みた熱いペンキが滲み出てくるように、じわじわと恐怖が固く閉じた隙間から溢れてくる。

 ――私はこの人をも、死なせてしまうかもしれないのだ。

「島田さん、ね」

 波の音に被せて、蓮水が呟いた。

「……彼女には少し、気をつけた方がいいよ」

「……、はっ?」

 瞬間、頭の奥でちかっと火花が走った。

「どういうことですか」

「神木さんが、危ないかもしれないから」

「……杏里はそんな人じゃ……!」

 叫んで、ふっと、言葉を押し留めてしまう。

 そうだ――杏里は、私の正体を知っているのだ。

 まさか、言いふらして、私を嗤おうとしているとか?そうでなくても悪用するつもりなのかもしれない。しくじっただろうか。もう少し注意深くすればよかったか――瞬きの間にぐるぐると考える。ありえなくは、ない。だけど――

 だけど、私は、杏里の死ぬ理由に興味がある。普通に考えるとおかしいのだろうけど、私としては初めて、他人を知りたいと思った人なのだ。

「心配要らないです。私は、神様なので」

 腹の底から声を出す。思ったよりも落ち着いた声が出た。陽がじりじりと照り、足元を波が湿らせる。

 眩しさに、目が細められた。

「……そうだね。君はこの世界の神様なんだった」

 蓮水が、ふっとそう呟いたのが聞こえた。

「そんなに大きなものではありませんよ」

 言いつつ、蓮水に目を合わせる。花が綻ぶように、とは言い辛いけれど、それでもふわりと、蓮水は笑った。

「大丈夫。神木さんは心配しないで」

 真意が掴めず、足元で綻ぶ波を見詰める。――ああ、どちらにしろ、私はこの人の本心を掴めたことはないんだった。

 スマホをポケットに仕舞う。前を向くと、蓮水は少し悩んだような顔をしていた。

「行きましょうか」

 私が言うと、蓮水は緩く頷く。

「神木さん」

 潮風が私の髪を揺らした。

「……いや、なんでもない」

 行こうか、と言い、蓮水は前を歩き始めた。

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