side 杏里 正体その2
「ご注文をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「あ。では干しぶどうのケーキを一つ。杏里はいいですか?」
我に返る。慌てて首を振ると、店員さんは一礼して去っていった。
「頼まなくてよかったんですか、杏里」
平然と美来は言う。まるで、さっきの言葉がなかったみたいに。
二の句が、継げない。それどころか、美来が随分と無表情で変わりがないせいで現実味を感じてしまって。どう見ても冗談じゃない顔だ。
「……あの、今のって」
「え?いや、私だけ頼んでしまったので悪いなと」
「そうじゃなくて!」
「ああ――」
神様の方か、と美来は呟く。
その様子があまりにも当たり前そうで、あたしはちょっと額を抑えた。
かみさま。神様って。一体全体どういう――?
あの、神様?全知全能とか言ったり、神社で祀られたりしてる、あの?
美来は膝の上で拳を握ると、口を開いた。
「神様と言っても、私は手下みたいなものです。願いを叶えられたりするような、大きな力は持ちません。私の役目は託宣をイメージして現実のものにする、というものです」
暫く考え込む。現実離れした話すぎてうまく頭で処理できない。
「えっと……質問があればどうぞ」
考えあぐねるあたしを見かねて美来がそう付け足した。
……もしかして、あたしを幽霊のままここにいさせてるのは美来だったりするのかな。でもまさか、まだ信じるわけにはいかない。正直騙されてるような気もするし。
それに、「神様だからお見通しです」とかなんとか言って、あたしの正体を晒そうとしていることも考えられなくはない。警戒するに越したことはないかな。
とにかくあれだ。質問だ。
「えっと……」
干しぶどうのケーキが運ばれてくる。セットのアイスティーも来て、一気に空気がひんやりとしたような気がした。
「じゃあ、美来にも、神社……みたいなものがあるんですか」
美来が軽く瞬く。
「神社……とか、そんなものはないと思います。ふっと思い出したときに唯一憶えていたのが、自分の正体が神様だってことだったと」
「御神体みたいなものも無いの」
「所詮、私は手下なので」
軽い口調だった。所詮、本当に所詮だから、しょうがないな、みたいな。
空気を変えたくてあたしはまた質問してみる。
「あの、もう一つ。……託宣、って何?」
あたしが言うと、美来は少し不思議そうに首を傾げた。……変な質問だったのかな。彼女が考え込んでいる間に、あたしもレアチーズケーキを頼んでおいた。少しは平常心も戻ってきたように思う。
また沈黙が降りてきてしまった。眉を寄せてじっと考えていた美来は、たどたどしく話を始める。
「……託宣は、本当の――本当に、人間の運命を決める……本物の、神様……から送られてくる、美来に起こることのイメージのことです」
……なんとなくだけど、美来はこれについて上手く説明しにくいんだろうな。なんというか片言だし。
たぶんこのことは、美来にとって当たり前のことなんだ。説明するまでもなく、納得しないと、なんて考えもなく、受け入れて。
存在意義のある彼女が、羨ましくて仕方ないんだ。つまり、美来も――人間じゃないのに。
あたしは、ただ彷徨っているままの幽霊なだけで。
美来は淀みないほどの当たり前を訥々と語る。
「そして、私がその”託宣”というイメージを、改めて想像し直すんです。そうすることで、託宣――イメージ、想像は、現実のことになる」
「えっと、つまり――」
あたしは口元に拳を当てた。
「美来が、人の運命を最終的に決めてるってこと?」
「大まかに言ってしまえば、ですが」
言ってから美来がケーキを一口頬張る。
すい、と逸らされた目に怯えた色が見えた気がして、あたしは小さく首を傾げた。
だけど……本当にわからない。
この人が、神様?
「……信じ、られない」
「……そうだと思います」
あたしはゆっくりと拳を机の上に戻した。
「嘘じゃないよね?」
「こんなことで嘘をついても、得はありませんよ」
……ならば。すかさず、あたしは言ってみる。
「なら、証明してよ。このあと何が起こるのか――当たったら、あたし、信じます」
「――了解です」
呆気なく頷かれ、何だか拍子抜けしてしまう。
美来はふっと真顔になった。あたしはそんな彼女をじっと見つめる。ほんの少し手汗をかいていた。
静寂と周りのざわめきが、あたしを責めてるみたいで。……これは一つの賭けだ。
果たして、なんて言ってくるか。我知らず拳を握りしめる。
ふいに美来の目が遠くなった。
「――十秒後。杏里の頼んだレアチーズケーキが来ます。セットはレモンティー、運んでくるのは女性アルバイト、手を滑らせて机にレモンティーをこぼす。杏里は」
そこで、はっきりとあたしと目がかち合った。
「お詫びにと、小さな苺のタルトをもらうはずです」
一瞬、目眩がした。
あまりにもはっきり、一片も疑わずに美来は言うから……まさか、本当に。
「お待たせいたしました、レアチーズケーキでございます」
心臓が、無いはずなのに止まりそうになった。
美来は、確信した瞳をあたしに向けている――。
「セットのレモンティーです――ああ!」
がしゃん!
「大変申し訳ございません!すぐに代わりを持って参ります!」
「お怪我はございませんか⁉」
倒れて割れたグラスから、夕日を映した海の色をしたレモンティーが流れていく。あたしはその様子を、呆然と見つめる他ない。
……声がぼんやりと遠く聞こえる。顔を上げられない。うっすら分かったのは、レモンティーをこぼした女性と別の人――店長さんかな――が、あたしに頭を下げていたことくらいだ。一瞬恐ろしいまでに静まった店内は、少し眠たげに気怠い騒がしさを取り戻す。
そして、追い打ちをかけてくるように、店の奥からお盆を持った店員さんが歩いてくる……。
「大変申し訳ございません。代わりのレモンティーでございます。それと、こちら――」
まさか。もうあたしは、身動きも取れない。
「苺のミニタルトです。お代は要りませんので……」
意識が、遠のきそうになる。あたしはひゅっと息を呑んだ。……まさか予想はしてたけど。
でも……本当なんだ。
タルトの艶光りする苺から目が離せない。店員さんはもういなくなっている。あたしは美来の方を見たかったけれど、どうしようもなく頭が理解を受け付けなくて、駄目だった。
それでも、無理に剥がした目線は思ったよりもしっかり彼女の目と合ったのだ。
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