第二章 なつこだち

side 杏里 勝手

 まだ七月中旬に入ったばかりなのに、蝉ってこんなにうるさかったかな。幽霊にはあんまり温度とかは関係ないけど、こればっかりは我慢できない。あたしは一人涼しい顔を取り繕って神木さんの背中をさり気なく探す。もちろん、彼女と話したあともずっと賭けは続けていて、今の所全勝だ。あたし、ポーカーフェイス上手いのかもしれない。

 ずっとつけていたペンダントの重みがないのにも随分慣れてきた。今のところ、特に生活には支障もない。まだ人間にもあたしの姿は見えているみたいだ。

 思い返すと、あたしが初めてペンダントを見たのは高一のときかな。ふっと気付いたら首にかかってて、当たり前のようにその存在意義を知っていた。青い宝石みたいな部分を、一度日にかざしたことも覚えている。もしかしたら、あの中にはなにか液体が入ってるかもしれないんだよな。傾けたとき、小さな気泡が動いて見えたんだ。

 ――だけど、もう確かめられないかもしれない。鏡の中に落としたんだしな。あれから、あたしは何度か鏡の中に入ってみたのだ。もちろん家で――やっぱり、あちらの世界ではあたしはいないことになってるらしい。あれは未来の世界なのかな。今のあたしにはペンダントもなくて、存在すら証明できないのかもしれないんだから……いつかあんなふうに鏡にも映らなくなって、物もすり抜ける幽霊になってしまうんだろうか。

 その時、二つに結ばれた黒髪の女の子が目に入った。あの人、いつも長袖だし見つけやすいんだよね。

 走っていこうとして――隣りにいた人影が目に入る。……あれ、誰?……蓮水くん?

 すると、神木さんが彼の肩を叩いた。驚いて、あたしは思わず声を出してしまう。

「神木さん⁉」

 は、と口を押さえた。

 時すでに遅し――二人が、そろりと、あたしを振り返った。

「ああ、島田さん、お早う」

 先に声を出したのは蓮水くんだった。

 ……びっくり、してるんだけど。だって神木さんが誰かと登校してるの初めて見たんだよ?よりにもよって、今まで人と関わってるとこなんてほぼ見たことのない蓮水くんと。彼はああ見えて裏で女子に人気がある。無愛想なのがクールなんだとか。よく分からない。

「おおおお早う、え、ふ、二人、どうしたの?」

 声が震えてしまった。やばい。なんだろうこの空気は。神木さんが小さく額を押さえる。

 そして、その横で蓮水くんがこともなげに言った。

「ああ……見られたから言うとね、僕ら、付き合うことになったんだ」

「え」

「付き合うとは言ってないっ、友達からって」

「ほぼ同じ意味だよ」

 神木さんが顔をしかめる。……付き合う?いや、もっと理解できない。なに、どういうこと?

「えっと……どういう?」

 思わず口を挟んだ。神木さんは少しだけ困ったように眉を寄せてあたしを見る。観念したように、これまで二人の間にあったことを軽く教えてくれた。

 ……それは、何とも。痛い。

「そっか。おめでとう、神木さん」

「おめでとうと言われるようなことでは……」

「ううん。喜ばしいよ」

 そう偽って、あたしは笑みを浮かべた。

 悲しかった。――二人は、付き合いたてのカップルそのもの、みたいなんだ。

 ――納得なんか、できない。

 神木さん、馬っ鹿みたいって言ったくせに。

 感じるのは、憤りで――。

 分かってる。自分勝手だって。解ってるんだけど。でも、小さな怒りは消えてくれない。

 ――抜け駆けじゃないの。神木さんは皆と同じような”普通”な恋愛をして。人間らしく生きて。元々ひとりのあたしだけど、本当に一人になっちゃうんだ。

 悲しいんじゃない。――悔しい。悔しくてたまらない。

 あんなに、あたしと同じように人間関係もほぼなかったのに。急にそんな風になっちゃうの?

 これが人間なら、どうしたらいいのか分からない。こんな汚い思い、ばれたくなくてさらに笑顔を作った。

「お幸せに。じゃあ、あとでね」

 あたしはお辞儀をして走り出した。六月の、あのバスでの会話は――告白されたから、なの?

 あたしも利用されただけ?

 ともかく、鏡の向こうに行こうと思った。あそこは多分、未来の世界だから。

 二人がどうなるのか、知ってやりたい。

 ――逃げたい。一秒も隣りにいたくない。

 七月の始め、ぽっかりと青い空が浮かんでいた。

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