第8話 なにごとも、
「そうそう、出来るじゃないか安城!」
チューニングが終わり、各パートごとで基礎練に入る。ほのかはほのかで基礎練をしながら菫のサポートに回り、やよいは他の新入部員のサポートに回るため席を空けている。
『基礎練大事』
「それは分かりマスが……」
『これをしないと楽器を吹く者としてめっちゃ白い目で見られるよ』
「それも分かりマスが! 距離が! 近い!」
菫の真隣で楽譜を見ながら、オーボエの音に変換して一緒に吹いているほのか。彼女も音感持ちであり、クラリネットの音を聞けばオーボエでいうどこの音かなどは簡単に分かるものの、あえて初心者の目線で一緒に練習しようという彼女の計らいでもある。
『ここのドって、ピアノで言うシ♭? ド?』
「クラリネットの「ド」は基準の音だから、「シ♭」だよ、箕輪。そうか、オーボエはフルートと同じ
神埜の言葉にこくこくと頷くほのか。「つ、つぇー管って、なんデスか……?」と頭がパンク状態な菫に「そうか、まだ説明していなかったね。と、その説明をする前に」と白いチョークを取って黒板に書き始める。
五つの横線を書き、綺麗なト音記号を黒板に描く。そして何やら形の崩れた丸を線の間や線に重なるように、はたまた線の上にまで書き始める。
「吹奏楽には一般的な音階がある。ピアノの実音で「シ♭」「ド」「レ」「ミ♭」「ファ」「ソ」「ラ」「シ♭」が使われるんだ。これを「
「ええと、小さい頃ニ……」
「そうか。だったら「変ロ長調」と言った方が分かりやすいかな?」
「……!」
「お、反応がいい。じゃあこれをふまえて、まず管楽器っていうのは、楽器によって出る音の高さがほとんど違ってくるのは分かるかい?」
「それは分かりマス。ピアノは結構高いところまで出た記憶が……」
ピアノは一般的に約七オクターブ分出る。それは菫もほのかも分かっている事だった。
「そう、賢いねぇ。だけど私達クラリネット奏者はピアノと違って、「ド」を基準にするのは同じだけど、ピアノで言うとそれは「シ♭」の音に当たるんだ。こういう楽器のことを「
『私も最初は疑問でした。クラパートがなんで「ド」って言ってるのに、実音は「シ♭」なのか……』
「音感持ちはみんなそういうんだ。だから違和感があるんだろうね。
さて、ここで問題です」
カリカリと黒板に「オーボエ」「ホルン」「アルトサックス」「クラリネット」と書いていく神埜。
「この中で仲間はずれな管楽器はどれかな? あ、箕輪は答えないように」
(バレたか……。)
「仲間はずれ?」
菫は首を傾げる。そうしてうんうんと悩みだし、やがて頭から湯気が出始める。
「人って湯気が出るんだねぇ。面白い面白い」
「えーっと……んん……? わ、分かんないデス……」
『難しいよね(棒)』
「あー! 馬鹿にしてマスね!?」
『www』
黒板に文字を書いていく神埜。それぞれの名前の下に「C」「F」「Es」「B♭」と書き「それじゃあ答え合わせだ」とくるっと振り向く。
「答えは全部仲間外れ。オーボエは
「全部違うノ……」
『ということはだよ菫、全部基準の音が違うってことだよ』
「その通り、箕輪。クラリネットは「ド」を吹くと「シ♭」の音が出る。さて安城、ここでまた問題。オーボエが「ド」の音を吹くと、なんの音が出る? 箕輪、ヒントは教えないように」
(ちっ、バレてたか……。)
「え、ええと、
神埜が神妙な顔をする。カチ、カチ、カチ、と時計の音が響く。少し静寂が続き「なぁ鬼塚」と静寂の間に戻ってきたやよいを呼ぶ。
「ただい……え、なに?」
「安城はやっぱり天才だぞ!」
「え?」
『天才』
「え? え?」
「その通りだ安城、
赤いチョークでCの下に「ド」と書き、「じゃあ、
「
「やっぱり天才だ! 鬼塚、ありがとう!」
「私は天才を拾ってきちゃったか……!」
(菫を
ほのかは呆れていたが、次々と答えていく菫に内心驚いていた。声に出ていないだけで、文字にすればきっと驚きの言葉が連続して出たことだろう。しかしここはグッと抑えて、『菫、他の音階も学んでみよっか』と提案をしてみる。
「がってんデス!」
「気合い十分だねぇ。才能の塊は教えるのが楽でいいわ……」
「そういう神埜は一年生の時、最低音が出なくて泣きそうになってた癖にぃ」
『そうなんですか、鬼塚先輩?』
「そうよ? こいつはね───」
「鬼塚! 余計はことは言わないでくれ!」
赤面しながらやよいの口を塞いで俯く神埜。これは何かあるな、とほのか、菫が同時に思った瞬間「有剛はね、可愛い子なんだよ」と神埜、やよいの背後から声が聞こえる。
「いっ!? そ、その声は
「当たり。そっちは新入生だっけ? 私
伊庭原由貴と名乗ったその女性は、緩くピースを作って指を曲げ伸びさせる。高身長で髪も長く、どことは言わないがでかい。言うなれば、ナイスバディな体型をしていた。制服につけている名札は緑色。ということは、ほのか達の二つ上の三年生ということになる。
「三年生……あ、安城菫デス」
『箕輪ほのかです』
「あぁ、失語症の子?」
『です』
「まぁ、そこら辺はあんまり気にしないわよ。会話が出来ればそれでいいしね〜。
で、有剛、新入部員の教育は進んでる?」
神埜を軽々しく抱き上げ、何も抵抗できない猫状態になってしまった神埜は「進んでますよ、なんせこの新入部員二人は天才ですからぁ」と諦めたように声を上げる。
「天才?」
「メジャーの事がわかる上に、管のそれぞれの基準の実音まで当ててくれるんです。これ程楽な部員が他にいるでしょうか?」
(天才……?)
「天才……?」
いや、むしろ変人のような気もするが……という思考は片隅に追いやり、『コントラバスあるんですね』とほのかがタブレットを見せる。
「ん? あるよ。もう君たちの同期に任せちゃったけどね〜」
「同期?」
「あれ、知らない?
『おそらく別クラスかと』
由貴が端末から写真を漁り「これこれ」と見せてくる。そこには桃色の髪の毛をした背の小さい女の子が立っていた。カメラ目線なところを見ると、恐らくいい意味での盗撮だろう。コントラバスと体格を見比べてみると、彼女がコントラバスに操られているような状態にも見えかねない。それほど小さかった。
「一番上のコード届くかな? と思ったらもうなんのそのよ〜、手が大きいから余裕で届いちゃってねぇ〜。教えなくても一人で勝手に基礎練してるの。経験者かな?」
「経験者だと思うんですよねそれは……」
やよいが真顔で答えたのを見て「やっぱそうかな、そんな気はしてたんだよね〜」とマイペースに答える由貴。
『……菫、休憩の時に覗いてみる?』
「行きたいデス!」
「その休憩、取れるかな?」
「ヴッ! それは反対!」
『オーバーワーク反対!』
ずいずいと距離を詰めて猛抗議する新入部員二人の圧に押され、「冗談だよ、冗談」と神埜が両手のひらを二人に見せて降参の意を示す。
「よし安城、他の音階も学んでみようか。ついでに箕輪、復習がてらサポートに回って欲しい」
『はぁい』
「吹奏楽はなにごとも、基礎が大事。はっきりわかんだね」
神埜がゴソゴソとカバンから五線譜ノートを取り出し、数枚ちぎって二人に渡す。でたこれ、と中学の頃の記憶を思い出したほのかが懐かしい思いに浸りながらト音記号を書いている横で、「こんなノートあったんデスね……」と、菫は逆に初めて見るようだった。
「んーじゃあ、中本連れてくるよ。せっかくなら、新入部員三人で学んだ方がコスパいいっしょ? 音階やコードは有剛よりも私の方が得意だから、ついでに由貴様が教えてしんぜよう」
『ありがたきお言葉』
「感謝しかないデス」
「こればかりは安城の言葉に同意……」
サラッと音階知識のことを見抜かれている、と神埜は思ったが、正論は正論なので何も言わないことにしたのだった。美Aを出ていく由貴を見送り、はぁぁぁとでかいため息をついて神埜、やよいが腰を抜かしたように崩れる。「わァ……」と菫が何やら反応しがたい声を上げたところで「いやね、あの人すごい人なんだよ」と机に身体を預けていた神埜がむくりと顔を上げる。
(伊庭原、伊庭原……んん? どこかで聞いたことがあるような?)
「どういうことデスか?」
「いやもうほんと……。箕輪、君は二年前のソロアンコンにいただろう? 私は知っているんだ、君が全国でゴールドを取っていたことをね!」
「え、全国ゴールドはやばいよ」
『はい、確かにソロで出てました』
「その時の全国銀賞、誰だったか覚えているかい?」
(銀賞……銀賞……。)
ほのかは当時の記憶を必死に思い出そうとする。当時、ほのかはオーボエ一つで全国大会に出場しており、結果はゴールド金賞。輝かしい成績を収めたその後ろにいたのは誰だっただろうか。
「……ぁ」
ほのかの喉から小さく声が出る。そうだ思い出した。銀賞にいたのは───、
『…………伊庭原由貴』
「……え!? エェーッ!?」
「そうなんだよ。伊庭原先輩って全国銀賞の人なんだよ」
『やばい思い出しちゃった、確かにいたわ……やばいやざい』
「驚きのあまり誤字してル!?」
そのタイミングで、百羽を連れた由貴が帰ってきて「お、なにごと?」と若干引き気味で言われてしまったのだった。
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