窓辺の本

牛尾 仁成

窓辺の本

 子供の頃から待つことには慣れていた。


 一人の時間が多かったから、時間の潰し方は心得ている。


 何かに没頭することが、時間を潰すのには打ってつけだ。


 だから、あの人を待つこともそれほど苦では無かった。


 サイドテーブルに本が積みあがっていく。読破した本は結構な数になった。まだ結婚して一年だというのに、随分と家を空けている。任地が遠いせいで移動に時間がかかるらしい。


 寝室の窓を開け放つと、門扉に続く道が見える。


 何か思う所があったわけではない。ただ、単純に日当たりと見晴らしがいいから、そこに椅子と机を移動させた。


 窓から吹き込む風が気持ちよく、庭先の花の香りがふわりとたちこめているのがわかった。


 ティーカップのお茶が無くなる頃に、また本を一冊読み終える。


 今日も道の上に人影は無い。


 季節がめぐり、ひょっこりと顔を出してはくだらない土産話を面白おかしく語っていった。


 何の意味があるのだろう、と思ったことがある。面白くも無いし、私の興味を惹くような話でもなかった。ただ無駄な時間が過ぎていく、それだけの時間。


 そんな無駄に意味を見出し始めている自分がいることに気づいたのは、読んだ本で部屋が一杯になる頃だった。


 ああ、そうか。無駄であるから意味があるのか。無駄、という意味に価値を見出せばそれは無価値ではない。無用の用、という言葉を何かの本で見かけたのを思い出した。


 何も変わらない、つまらない日常を私はただ死ぬまで生きていくのだと思っていたが、どうやら人生とはそれほど単純なものでもないらしい。


 ヒラヒラと降り積もる雪の中を、家へと向かってくる人影を見ながら、そんなことを想った。


 窓辺に置かれた本はすっかりと色あせてしまった。あの人にもらった銀細工のしおりが、日の光を返してキラリと光っている。本のページをめくることはもう無い。夕闇に沈む道の上をゾロゾロとたくさんの人が歩いて来た時から、私は本を読むことを止めてしまった。


 私の人生は、このままつまらなく何事も起こらず遠く過ぎ去っていく、とそう思っていた。人並み、という言葉が的確かはわからないが、幸せというものも感じられた。苦しい時も、それなりに味わってきた。寂しさや悲しさが、この身を嵐のように蹂躙することも一度や二度ではない。


 本に書かれている物語とはやはり違う。舞い上がる様な興奮や、胸を締め付けられたりする悲しさは人生にはない。それよりずっと、重く苦々しい責任や決して色あせない黄金の日々があるくらいだ。


 人の人生は本のようには運ばない。待ち人が来ないというのなら、本を読んでもその面影さえも揺らがないというのなら、こちらから行くぐらいの気概を持たなくてはならない。


 私という人間に素晴らしい日々をくれた人へ、このぐらい報いてもバチは当たらないだろう。


 


 

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窓辺の本 牛尾 仁成 @hitonariushio

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