十九回目の夏

太田肇

第1話

バスを降りると遠くに背が高い雲が見えた。湿った風が吹く。お日様の匂いとも、雨上がりの匂いとも、形容されるあの匂いがする。故郷を離れて、初めてこの町で夏を迎えようとしていた。私は夏が好きだ。あの何とも言えない儚さがたまらなく愛おしいのだ。


 バス停から右手の方にしばらく歩くと四条大橋があり、そこから鴨川が見えた。所々に段差があり、水飛沫が白色の線を川の中に作り出していた。土手には多く人が腰を下ろしていた。不思議なことに、皆等間隔で座っていた。この土手は鴨川と浅い小川に挟まれていて、小川にはいくつもの柱が建てられていて、その上には店のテラスが並んでいた。京都では川床と呼ばれるらしい。


 私は一枚だけ写真を撮った。この瞬間を記録しておかなければならないと思った。きっとこの町に住みなれてしまったら、この感動も次第に薄れて、この橋の上からの景色を見たとしても何も感じなくなってしまうだろう。


景色を眺めていると彼が話しかけてきた。


「京都の生活には慣れたかい」

「それなりには。まだ引っ越してきて一ヵ月なのでわからないことの方が多いですが」

「きっと大丈夫。そのうち慣れるさ。俺もそうだったからね」


 一人暮らしというものは私にとって辛いものだった。親元を離れてすべて自分一人で生活することがこんなにも大変だとは思わなかった。家に帰っても誰もいない淋しさが何度も私を打ちのめした。家族がいることのありがたさを身に染みて感じた。


「ここ、なかなかいいところだろ」

「ええ。気に入りました。つくづくこの町にきて良かったと思います」

「俺もよくここに来て散歩をするんだ。川の流れる音が嫌なことを浄化してくれる」


 彼はそう言って笑った。


「私も今度からそうします。家からもそう遠くないですから」

「そのうちばったり会うかもしれないね」


 ふと私は彼のほうを見た。少し高めの欄干に頬杖をつく彼の眼には川の景色など疾うに映っていなかった。彼の瞳に反射しているのは群青の空に浮かぶ見慣れた私の顔だけであった。


 もうすぐ十九回目の夏がくる。

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十九回目の夏 太田肇 @o-ta

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