第51話 血濡れの薔薇、徒花

 カーミラ・エッツオの傭兵になるまでの人生は傍から見ればとても満たされていたものであっただろう。

 父親はガスア帝国の軍部の要職であり所謂エリートであった。

 士官学校でも優秀な成績で卒業したカーミラは誰もが注目していた。

 家柄・知能・容姿・MT操縦技術全てにおいて優秀な彼女が心に抱いていたのは何とも言えない『虚無感』であった。

 このまま自分は『当たり前』のように出世し、『当たり前』のようによく知らない自分より地位が高い人間と結婚し、『当たり前』のように死んでいく。

 それの何が気に食わないのか?

 それはカーミラ本人にすら分からないが兎に角これから通っていくであろう『当たり前』を考えれば考えるほど彼女の虚無感は大きくなっていった。

 無論カーミラはこの虚無感が贅沢なものであることは十分に理解していた。

 世界から見たら彼女の『当たり前』は高水準でありそれを羨ましがる人間は掃いて捨てることなど考えるまでもなかった。

 だが、それでも、カーミラはその『当たり前』を享受することは出来なかった。

 故にある戦場において生まれ育った祖国から背を向け脱走したのである。

 全く後悔が無かったかと彼女に問うことがあったならば、そうでもないと薄い笑みを浮かべながら答えるだろう。

 いい思い出ばかりでは無いとはいえ心を込めて育ててくれた両親や期待をしてくれた人たち全てを裏切ったのだから。

 脱走した以降の家の様子を彼女は調べていない。

 没落したかも知れないし何なら両親とも亡くなっているかも知れない。

 心配ではあるがその資格すら無いと彼女自身が感じていた。

 兎も角にも彼女はガスア帝国を抜け傭兵となった。

 傭兵を選んだのは生き残る自信がある事もその要因の一つではあるが最も大きいのは世界中を飛び回れるからである。

 自分の『虚無感』は何処から来るのか?どうして自分は『当たり前』を受け入れられなかったのか?様々な国、様々な人に出会えば理解できるのではないか、と思ったからだ。

 だが様々な国、様々な人に出会い得た答えは自分が戦場にて興奮する異端児であるという事実である。

 だがその事実を彼女は抵抗無く受け入れた。

 その答えを否定する材料も無ければこれを事実とするならば『当たり前』を受け入れられなかったのも理解できたから。

 だがそれと同時に自分の『虚無感』は満たされないと理解した。

 彼女の『虚無感』を埋めるには自分が満足できるだけの相手が必要である。

 だが何もかも高水準以上に出来てしまう彼女を満足させる相手には出会えなかった。

 彼女が自分の信条に合わないユースティア解放戦線のテロ行為の依頼を受けたのは半ばヤケを起こしての事だった。

 テロとなれば国も本気を出し鎮圧するであろう。

 上手く行けば満足いく相手にも出会えるかも知れないと。

 結果としてそのヤケは成功した。

 最新鋭機に乗った自分と同じかそれ以上の力量を持っているかも知れない人物と漸く出会えたのだ。

 ユーリ・アカバ。

 別名カサンドラの英雄、噂話としては聞いていたが尾ひれが付いてるものだと思っていたし既に軍には所属していないらしいのであまり気にはしていなかったがそれが間違いだと思い知らされた。

 だが彼に目を付けたのは自分が負けたからでは無い、自分が物心ついた頃から持っていた『虚無感』。

 それを埋めるのは彼だと負けた瞬間に理解したのだ。

 その時からまるで恋する乙女の如く、そして彼が絵本のように迎えに白馬に乗って来た王子様の如くに感じた。

 紆余曲折あり彼を助けたこともあるが、今この地でお互いの生死を掛けた最後の決闘デートをしている最中、彼女はとても満たされていた。

 最早あの気に食わない依頼主も、敵を多く倒せという依頼も、この戦いの意義も彼女には関係ない。

 この時間がいつまでも続けばいいのにとさえ思ってしまう。

 だがそんな彼女の幸福ともいえる時間は願いとは裏腹に終わりの時が近づこうとしていた。


 《少尉、大丈夫ですか。》

 「ハァハァ、少なくとも怪我はないぞ。」

 無論アイギスが質問しているのはユーリの怪我の有る無しではない。

 それはアイギスが一番理解している。

 質問しているのは彼の集中力、精神的なものである。

 ある程度ならアイギスにも集中力の乱れなどは測定できるが精神的なものは測定出来かねるのである。

 ユーリがカーミラと戦ってかなりの時間が経っている。

 体力的なものもそうであるが精神力の消耗がかなり多かった。

 「大分消耗してそうね、休憩でもする?膝枕してあげましょうか?」

 「フン、魅力的なお誘いだが同じぐらい疲労している女性に無理させる気は無いからな。」

 カーミラがユーリを揶揄からかうように通信するがその彼女の肩も上下に動いていた。

 「…何なら決着は後日にしようかしら?」

 「随分な言いようだな。まるで決着を着けたくないようだぞ。」

 「…そうね、その通りよ。」

 「?」

 カーミラの返答を疑問に思っているとカーミラは髪をかき上げながら何かをこらえる様に語る。

 「初めてなのよ、穴が埋まる様な感覚は。貴方と戦っている時だけ埋まる穴。貴方を倒してこのまま永遠に穴が空き続くのであれば耐えられないほどの。」

 ユーリにはカーミラが何を言いたいのかは理解できなかったが、その言葉を止める事もしなかった。

 彼女にとっては大切なことだと直感出来たからだ。

 「もう嫌なのよ、誰にも理解してもらえないこの穴が埋まらないのは。だからお願い。ここで切り上げましょう。」

 ユーリにとってそれは悪くない話である。

 今なら余力がある内に皆の下に行ける。

 何かしらのジャミングが使われて通信が出来ない以上、向こうにも何かあったと考えるべきだろう。

 通常であれば受け入れるべき話である。

 「…俺にはあんたが抱えているものは分からない。だから言い出したあんたが止めると言うなら俺に異論は無い。」

 だがユーリは素直に受け入れることはしなかった。

 「だがこれだけは分かるぞカーミラ・エッツオ。この先何度繰り返そうとあんたが決着をつけようとしない限りその穴が埋まる事は無い。」

 「…どうして?」

 心底分からないと言った顔でユーリを見るカーミラ。

 その顔はまるで幼い少女のようであった。

 「理由はどうあれ満たされないモノっていうのは人間誰しも抱えてるものだと思う。だけどそれから目を逸らした所でいい事は無いぞ。無いなりに生きていくのかそれとも埋める為に努力するのかは人それぞれだろうがな。」

 「……。」

 「で、どうするカーミラ・エッツオ。このまま中途半端にし続けるのか、それとも決着をつけるのか、何にしろ決める事が出来るのはカーミラ・エッツオあんた一人だけだ。」

 忙しなく騒がしい戦場の中でそこだけがしばらくの間沈黙していた。

 やがてカーミラは大剣を正面に構えチェーンソーを最大起動した。

 「ごめんなさい、これで最後にするわ。」

 「そうか。じゃあこっちも全霊で返す!」

 右手に実体剣コンゴウ、左手にビームサーベルを展開し一目瞭然に突撃体勢に入る。

 それに呼応し迎撃する体制をとるカーミラ。

 どう決着が付くかは決まった、後はどちらが生き残るかである。

 「すまん、アイギス。」

 ここで何も言わずにいたアイギスに声を掛ける。

 《…言いたいことは多々ありますが生き残った後にします。》

 「生き残る保証は無いぞ。」

 《生き残りますよ、少尉ですから。》

 その言葉には何の疑いも無かった。

 AIが言うような理論整然とした言葉では無いがこちらの方がユーリ的には気分が上がった。

 それを分かって言っているのであればアイギスもだいぶ自分の事を理解しているなと笑みが出てきた。

 「良し!じゃ行くか!」


 その言葉の数秒後、ユーリのファフニールは光の如く突進した。

 常人であればそのスピードについてこれず切り裂かれたことであろう。

 だがカーミラはその突進に最適なタイミングでカウンターを合わせ切りつける。

 ユーリはそれをコンゴウで受けながら更に突進し肩のビーム砲を撃つ。

 それを顔体のフレームに掠りながら紙一重で回避したカーミラは左手で予備の実体のダガーでコックピットを狙い振り上げる。

 そのダガーを持っていた左手ごとビームサーベルで切断する。

 だが逸らした大剣を翻し胴体と左手を切り裂こうとするカーミラ。

 ビームサーベルを手放し最小限で回避する。

 左手は掠る程度の損傷だったがサーベルは両断されてしまう。

 残っているコンゴウは既に刃こぼれしているが構わなかった。

 コンゴウを両手で持ち直しカーミラ機を切り上げる。

 一方カーミラもユーリ機を両断するため大剣を振り下ろす。

 一瞬MT同士が交差しまた沈黙が流れる。

 やがてカーミラが口を開く、その口調は今までで一番穏やかで落ち着いていた。

 「決着…ついたわね…。」

 それに対するユーリの口調も落ち着いていた。



 「ああ、…俺の…勝ちだ。」

 ユーリがそう言うとユーリのファフニールの右肩が火を噴く。

 そしてカーミラのファフニールは切り裂かれた右手と胴体のように地に落ちていった。

 ユーリ・アカバとカーミラ・エッツオ。

 三度に渡り戦い、一度は共に戦ったこの縁はユーリ・アカバの勝利という形で断ち切られたのであった。

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