第6話「ラムネ色の花火」


「あっ……んんっ、そこ! あ、気持ち……いいッ! んんぅ!」


 茹だるような熱帯夜、と呼ぶにはいささか涼しげな風が吹く夜。窓の外から流れ込んで来るのはふわりと香る汐風と、そしてかすかな虫の声。老舗の旅館にはばっちりな情緒であるけれど、立夏りっかの色っぽい声が明らかにそれを台無しにしていた。


「はっはっ、あ……んんっ! あ、あかん! と、とろけ……るぅ!」

「うるっせぇな、ワザとだろ立夏! マッサージチェアに座ってなんて声出してんだよ!」

「はぁー、恥ずかしながら二回くらいイッてもたわ」

「聞いてないよ、変態かよお前」

「人類皆変態、って言葉聞いたことない?」

「あるワケない! いや確かに僕も変態だけどな、僕は人に迷惑かけないタイプの変態なんだ。立夏とは違うんだよ。ここは旅館、それも大浴場に近い人の往来が多いとこだぞ? 現に周りの人が眉をひそめてんじゃないか」

「ちょっとしたファンサービスやな! こーんな美少女の喘ぎ声、なかなか聞けるもんとちゃうで?」

「どの立ち位置からの発言なんだよそれ……」


 並んで座っていたマッサージチェアで、僕はやれやれとかぶりを振った。と、同時にぶるぶると頭が震えるのがわかる。確かにすげー気持ちいいマッサージチェアだ。

 しかしコレであんな声を出すなんて、立夏はやっぱりイッ……いやイカれてるとしか言いようがない。もちろんわかっていたけれど。


 昨日の「ドキドキ☆真夏の廃墟ツアー!」は、幽霊がまさかの欠席という消化不良に終わって、僕たちはさらに西へと足を伸ばすことになった。もちろん僕の運転で。

 立夏の次のしたいことは、リア充もびっくりの「海だーっ!」だった。もちろん砂浜ジャンプも込みである。

 立夏はサンダルを脱いで波打ち際で足を濡らし、青春アニメのワンシーンみたいなことをしていた。具体的に言うと、キャッキャ言いながら水を掛け合うアレである。もちろん僕もそれに強制参加だった。二人とも、クソ似合わなかったのは言うまでもない。


 そのあと立夏と僕は、砂浜近くの高級旅館にチェックインすることになった。立夏がいつ予約を入れてたのか知らないが、今夜はそこでゆっくり過ごすというまさにセレブ思考。

 砂浜リア充ジャンプを含めて、今までの「したいこと」とは少し毛色が違って驚いたけれど、立夏はやっぱり立夏である。隙あらば差し込むエロ話。こいつには情緒ってものが決定的に欠けている。


「ふぁー、それにしても気持ちええなぁぁぁぁ。淡路島まで足運んだ甲斐があったわぁぁぁぁ。露天風呂もすっごいよかったしぃぃぃ、マッサージチェアとラムネとかぁぁぁ、最強の組み合わせやんなぁぁぁぁ」

「喋るかマッサージに身を任せるかどっちかにしろよ、聞こえにくい」


 途端に立夏は、ピンと背筋を伸ばして僕を横目で見る。いつものニヤリとした笑みで。


「と言いつつあんた、ちゃっかりウチの胸見てるやん。わかる、わかるでその気持ち。旅館の浴衣ってこう、薄くてピタッとしててシルエット丸わかりで、そこはかとなくエロいよな。まさにジャパニーズ・トラディショナル・エロス! お風呂上がりやとスペック五割増し、卓球なんかやると十割増しや!」

「残念ながら卓球台はないし、それに立夏の胸なんて見てないっての。振動に震えもしない貧しい乳なんて興味ないよ」

「貧しい言うな。前にも言うたけど、これが好きって男も一定数おるんやで。ほんで気ィつけぇよ、浴衣が薄いってことはあんたのアレも丸わかりやからな? いくら小さい言うても、たったらわかるからな?」

「どこ見てんだよ痴女かよたってねーよ!」

「えへへー、あほあほー! 立ったらわかるんは身長や! どこ想像してんねん、やらしいなぁ!」

「浴衣と身長関係ねぇじゃねーか!」


 お腹を抱えて、心底楽しそうに立夏は笑う。僕はそれを無視して、マッサージチェアに身を深く沈めることにする。くそっ、やられた。いややられてないけどなんかやられた気がする。ここは黙っとくのが吉だ。

 立夏は珍しく僕の沈黙を追求せずに、ラムネを一口あおると、ぽつりと漏らすように言った。


「……まぁでも、あんたが居てくれてよかったわ。ウチひとりやったらここまで来れんかったやろうし。それに砂浜でのしたいこと、できんかったやろうしなぁ。そやから感謝してるで?」

「なんだよ、似合わないくらい殊勝じゃないか」

「たまには素直なウチもええもんやろ?」

「たまに、じゃなくて初めてだよ。そんな立夏を見るのはな。だから正直、要警戒だ」

「そーんな警戒せんでもええって! ほら、ラムネあげるから!」


 立夏はにこやかに、持っていた飲みかけのラムネを僕に差し出してきた。今さら間接キスとかで騒ぐような歳じゃないけど、何を狙ってるのかは正確に把握せねばならない。ついこの前、ラブホで一服盛られたばかりなのだ。僕に手を出されたくないからという理由で(もちろん僕にその気はない)、立夏は強めの睡眠薬を盛ってくるタイプなのである。

 あの時は、危うく三途の川を渡ってしまうところだったからな。つまりこのラムネにも、何かが入っている可能性は捨てきれない。


「いらんの? ラムネ」

「いや立夏に悪いだろ、僕は新しいの買ってくるよ」

「別になんも悪ないで? だってそれ、飲み終わったカラのビンやし」

「空のビン!?」

「ウチの飲み終わったビン、なんかエロいことに使うんかなーって」

「使うワケないだろ! エロいことってなんだよそれ!?」

「あんたなら、いろいろ使い道を見出しそうやもんな。あんた小学校の時、好きな女の子が飲み終わった牛乳瓶とか狙っとったタイプやろ?」

「そんなわけないだろ! そもそも僕の学校は牛乳パックだよ!」

「ほなストローか。使い終わりのストロー収集……これはヤバいな! ほんまもんの変態やん!」


 ケラケラと立夏は笑う。さすがにそういうベクトルの変態じゃないぞ僕は。むすっと黙る僕を横目に、立夏は楽しそうな声色で続けた。


「でもま、ウチはラムネ好きやなぁ。なんか夏を閉じ込めたようなビンやと思わん? 青くて透き通ってて。ビー玉落としたら、しゅわしゅわ泡が出てきて。飲んだらカラカラおとが鳴って、飲むほどに音が変わっていく。こんな素敵な飲みもん、他にない思うわ」


 へぇ、と僕は感心した。夏を閉じ込めたようなビン。なかなか詩的なセリフじゃないか、と思う。そんなこと言われたら、確かにラムネが飲みたくなってくる。


 改めて考えると、立夏は本当に不思議な女の子だ。出会って三日と経っていないけど、それを感じさせないクロスレンジな近距離感。もともと立夏を知っていたかのように、とても近く感じる女の子。

 でも立夏は、まるで夏の蜃気楼のように捉えどころがない。僕の小さな物差しでは測れない、意味がわからない女の子なのだ。

 それに、そもそも立夏の本当の目的もまだわからない。この夏が終わるまでにしたいことを、ひとつずつやっているのはわかる。でも立夏は、それをやって本当は何がしたいのだろう。何を目指しているのだろう。立夏のそれが、ただの思い出作りだとは思えない。

 立夏の横顔をちらりと覗くと、また至福の表情でマッサージチェアに体を埋めていた。と、急に僕に向き直って立夏は告げる。


「あ、そや忘れとった! そこの展望テラスから、打ち上げ花火見えるらしいで」

「花火? 今日、近くで花火大会でもあんの?」

「いーや、ここは淡路島の高級旅館やからな。旅館がお客さん向けに、毎晩打ち上げ花火あげてるらしいねん。花火大会みたいなでっかい規模とはちゃうけど、でも花火をラムネ片手に眺められるなんか素晴らしいと思わへん? ってワケでポチ、今すぐラムネ二本うてきて。早よ!」

「だからポチじゃないって!」

「ほなペス! 早よ早よ!」


 ペスでもねーっての。僕は苦笑しながら、売店に二本のラムネを求めに向かった。




   ──────────




 墨を撒いたような夜空に、鮮やかな赤い花が咲いた。続けて青、緑と咲く花火。少し遅れて腹に響く重低音が聞こえる。まさに夏という光景だ。それは旅館が独自に用意した、とは思えないほど本格的な打ち上げ花火だった。

 僕はそれを、展望テラスに備え付けられたデッキチェアから眺める。もちろんラムネを片手にだ。確かにめちゃくちゃ贅沢な時間だと言えるだろう。


「うーん、やっぱりええなぁ。これぞ贅沢な夏! って感じやわぁ」

「これ、マジで旅館が用意してんの? こっちではメジャーなのか?」

「どうやろな? ウチだってこんな高級旅館、泊まるん初めてやし、ようわからんけどすごい花火やなぁ」

「ふうん、確かにすごい旅館だな」

「今日でウチは、したいことだいぶ終わったわ。海ではしゃぐ、旅館でゆっくりする、ほんで打ち上げ花火を見る。一日でここまでできるとは、さすが淡路島や!」


 色とりどりに打ち上がる花火に、立夏は目を大きく開けて見入っている。花火が開くたびに、立夏の瞳がその色に染まる。赤、青、黄色。緑に紫。立夏はぱちぱちと拍手をしながら、僕に問う。


「関西ではあんま馴染みないんやけど、あんたんとこでは花火が開く時に『たまやー』とか言うん?」

「話には聞いたことあるけど、実際誰かが言ってるのは見たことないな」

「ふうん、やっぱりな。そら『タマやー!』とか言うてたら完全にヤバいヤツやもんな。そんなん聞いたら『サオやー!』って返さなあかんなるよな?」

「ならねーよ! だからそのくだりはもういいって!」

「なぁんや残念。第二回エロ響く言葉選手権の開催、ウチは心待ちにしてるで?」

「しなくていいし二度と開催されないから」


 立夏は笑った。つられて僕も笑う。

 不思議な時間だった。立夏と居て、こんなに落ち着いている時間は初めてかも知れない。だから僕は、立夏に聞くことにした。


「なぁ、立夏」

「んー? なに?」

「立夏の『したいこと』ってあといくつあるんだ? 強盗に肝試し、海に花火に旅館泊。初めて会った時、したいことは半分以上終わった、って言ってたよな?」

「そんなん言うたかなぁ」

「言ってたよ。確かに言ってた。したいことが十個だったならもう終わりじゃないのか?」

「終わってほしいん?」

「そりゃ、まぁな。早くマンガの最終巻、読みたいし」


 自分でも歯切れの悪い返しだと思った。

 まだまだ浅い付き合いだけど。傍若無人で頭がイカれてるとしか思えない立夏だけど。


 でも夏が終わるまでは、一緒にいてもいいんじゃないか。僕はいつの間にか、そう思うようになっていたのだ。


「……あんた今、夏が終わるまではウチと一緒でもええかな、とか思ってるやろ?」

「お、思ってねーよ! 早く僕は読みたいんだよ、なつ10てんの最終巻を!」

「ふうん? ほんまかぁ?」


 覗き込むようにして、僕を笑う立夏。僕は思わず、視線を海の向こうへと向ける。その時、一際大きな花火が開いた。


 ──それは夏を思わせる、青くて大きなラムネ色の花火。締めに相応しい、美しい牡丹花火だ。

 立夏はゆっくりと消えていくその花火を見ながら僕にポツリと言う。まるで独り言を言うような声で。


「でも、そやな。いつまでもあんたを縛るんは確かにようないかもしれへん。ウチに残された時間も、そないに多くない。あんたとこうやってアホ言うてんのが楽しくて、つい忘れとったわ」

「何だよ急に? 残された時間? いきなり何言ってんだよ、立夏」

「言うたまんまの意味やで。他に意味なんかない。あんたとこうしておれるんも、残り少なくなってきた、ってことや」


 クスリと笑う立夏は、いつものような笑みではなくて。どこか諦めたような、それは悲しい笑顔で。だから僕は慌てて言葉を返す。まるで立夏が、ここからいなくなってしまうと感じたから。


「待てよ立夏、いきなり意味がわならない。どういうことなんだ? 残り少ないって何がだ? なんでそんな──、悲しい顔をしてんだよ」

 

 立夏はそれには答えずに。


「次で最後や」


 と、小さく言って。そして言葉を続ける。


「ウチの最後の『したいこと』、それはな」


 いつものように唇をニイッと歪ませて。

 そして、夏を思わせる爽やかな顔で言った。



「──あんたを、救いたいねん」





【続】

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