第4話「臨死体験」


 ──気が付けば、美しい景色が広がる場所にいた。遠くの山は美しい緑色をしており、目の前には澄んだ川が流れている。不思議なのは、空が妙に明るいことだった。ただ光源たる太陽はどこにもなく、空自体が光っているように見える異質な空間だ。

 周囲をぐるりと見渡しても、建物らしいものは何もない。そこにはただ、美しい自然が溢れているだけだ。


 どこだここ? あれ、僕はさっきまで何をしてたんだっけ。何かとても、途轍もなくしょうもないことをしていた気がするんだけど。


 まぁいい、とにかく歩こう。なぜか歩かなければという気持ちに駆られたその時だ。ふと川の対岸を見ると、誰かが僕に手招きをしているのが見えた。

 あれ、誰だ? 目を凝らしてみると老婆のように見える。しかもどこかで見た気がする。どこで見た人だっけな?


 僕はさらに近づいて見ようと、水に濡れるのも構わず歩を進めた。その川は澄んでいて冷たくて、とても気持ちがいい。海もいいけどやっぱ川だよな。子供の頃の夏休み、祖母の田舎に行って川遊びをするのが好きだったのを思い出す。


 ──あぁそうだ、向こう岸で手を振ってるのはばーちゃんだ! どうして忘れていたんだろう、ばーちゃん! 会いたかった、ばーちゃん! 十年前に亡くなったばーちゃんが向こう岸にいる。僕は嬉しくなって、ざぶざぶと川の中を進んで行く。

 川の中ほどまで行った時、ばーちゃんの手はどうやら手招きではなく「向こうに行け」ってジェスチャをしていることがわかった。どうしてだよ、ばーちゃん。僕はばーちゃんにずっと会いたかったのに!


 とにかく川の向こう岸に行ってみよう。話をすればわかってくれるはずだ。そう思い更に一歩を踏み出した、その瞬間だった。




「おーいポチぃ、もしくはペスぅ。早よ起きぃや、もう昼前やで? ほらぁ!」


 ──。じょぼぼぼという音と共に何かが肌を打つこの感じ……、これは顔に水を掛けられている感覚だ!

 慌てて目を開けると、立夏りっかがとても嬉しそうな顔で、僕に水を掛けているという恐ろしい光景が飛び込んできた。いやなにゆえ? ちょっとマジで意味がわからないんだけど。

 その間にも、鼻の穴やら口の中に水が侵入してくる。当然蒸せ返る僕だが、立夏はそれを見てなお嬉しそうな顔を続けていた。いやヤバいだろコイツ!


「おっ、やっと起きたな? 気分どう?」

「おぼっ、ば、ばめっ、」

「えー? 何言ってるんか聞こえへんで?」

「──やめろ、づったんだぼっ!」

「あぁ、やめてほしかったんか。なんや早よ言いや。てっきりもっと水掛けてほしいんかとおもたやんか」


 立夏はにっこりと笑ったまま、ミネラルウォータの傾きを正す。ちょっとどころか、かなりホラーな絵面である。


「……あのさ、なんでこんなことになっての? マジ意味わからんのだけど」

「あんたが深ぁーく寝とったからやで? 起こすん大変やってんからな、頼むでほんま」


 びっしょびしょになった自分の顔を拭い、僕は周囲を見回してみる。どこだここ? 簡素なホテル……なのだろうか? 近くにベッドが見えるが、僕はどうやらこのクッソ硬いビニールのソファで寝ていたようだ。


「ここどこ?」

「昨日泊まったホテルやん。あんたそっから記憶ないん? ヤバいなぁこれ。ほんまヤバいわ」

「どういう意味だよ?」

「いやさ、昨日関西こっち着いたんがえらい遅い時間やったから、宿取ることにしたやん? ほんでウチの予算もそない潤沢やないし、コスパええとこなんかラブホしかないやん。でもあんたと一緒に泊まるんはほら……、アレやん? 一応、男と女やし。だからやん」

「いやまるで説明になってないワケだが」


 まだ完全に覚醒してないのか、頭の中がぼんやりとしている気がする。それにさっきまで変な夢を見ていた気もするのだ。あれはなんだったんだ。いやそれよりも今の状況、これはどういうことなんだ。何かが引っかかる。


「くそ、まだ頭が上手く回らないな。とにかく立夏と僕は、昨日ここに泊まったってことか?」

「そやで?」

「ちょっと待て。さっきラブホって言わなかった?」

「言うたで?」

「ラブホ?」

「ラブホやで?」

「マジで?」

「マジやで?」


 ……立夏と僕が、ララララブホに!?

 いやいや待て待て、そんな一大イベントを僕は終始憶えてないっていうのか? どう考えてもおかしい! だって、女の子(には違いない)とラブホに泊まるなんて初めてのことなんだぞ。なんでカケラも憶えてないんだよ!

 ……いや待てよ。これは何かやらかした気がしないでもない。背筋がゾクリとするのを感じる。


「ええと、ごめん立夏。僕、昨日のことあんまり憶えてないんだけど……、僕なにか失礼なことしちゃったり、した?」

「失礼? いやどうかな、失礼に当たるんかな? うーんでもほら、お互いんとちゃうかなぁ?」


 妙に歯切れが悪い立夏だった。いつもは竹を割ったような、真っ直ぐすぎるわかりやすいヤツなのに。なんだこの微妙な感じは?


「あ、あのさ。僕、昨日の記憶が曖昧で……」

「やっぱり記憶ないん? まぁ、しゃーないか。だってほら、昨日の夜はその……スゴかったから」


 いや何故そこで頬を赤らめる。まさか、まさかとは思うけど……いやマジで? なのに僕は記憶飛ばしてるワケ? ちょっと待てこれは一大事だぞ。とにかく立夏に昨日のことを聞き出さなければ!


「いやあのさ。何があったのか、詳しく説明してくれると助かるんだけど……」

「昨日さ、あんたとここに泊まることになったからその、いろいろ準備せなあかんなーって思ったんよ。ほんでな、ウチがたまたま持ってたアレをな? あんたの飲みもんにコソーっと混ぜてみてん。バッチバチに効くヤツ」


 バチバチに効く……なに? もしかして「バ」から始まる精力剤的な? え、マジで?


「ごめんな、あんな効くと思てなかってん。それをゴリゴリに砕いて粉にしたヤツをさ、ほんのちょろーっと混ぜて飲ましたら、あんた一発で気ィ失ってまうんやもん。やっぱ病院で処方される強力な睡眠薬って、めっちゃスゴいなぁ!」

「え? 睡眠薬?」

「そやで、睡眠薬。あんたに手ぇ出されたらかなわんからなぁ。ほんで、ほんま起きへんから死んだんか思た。ちょっとだけビビったわ、正直言うて」


 ケラケラと笑う立夏に、僕は全く笑えない。そして頭がやっと回り出して思い出す。さっきの夢、あの美しい自然の夢。めちゃちゃ透き通った綺麗な川があったよな? 向こう岸にいたの死んだばーちゃんだったよな?


 ……三途の川じゃねーか!


「いや殺す気か! 渡ったらヤバい川越えるとこだったろ!」

「大丈夫大丈夫、ウチの『したいことリスト』に殺人は入ってへんよ。そやから安心しぃ。ほんで服薬自殺なんか、いざやろ思てもなっかなかできへんから。ま、ええやんええやん。結果あんた、安眠やったワケやし?」

「安眠どころか永眠するとこだったよ!」

「あーもーうっさいなぁ。あんた、小さいこと気にしすぎやねん。こーんな美少女と曲がりなりにもラブホ泊まったんやで? もっと嬉しそうな顔しぃや」

「憶えてねーし曲がりすぎてんだよ! 目標地点と真逆になってるから!」

「ま、とりあえず生きとったからよしとしようや。ほなお腹すいたし、ご飯でも食べに行く準備しよかー。あ、その前にあんた、そこのソファ水浸しやから拭いといてな。ビニールっぽいしそんな染み込んでへんやろ?」

「いやお前がやったんだろが!」


 と言いつつ拭いてしまうのが僕の甘いところである。しかし……いくら本人曰く少量とは言え、クスリなんか盛るか普通? こんなの未必の故意じゃねーか。可愛い見た目に騙されると痛い目を見そうだ。いやもう何度か見てるけど。


 よくよく考えれば、立夏と知り合ってまだ二日目。立夏は「クスリを盛った」というけれど、本当に盛られたのかどうかもわからない、そんな立夏との微妙な距離感。誰かとなかなか仲良くなれない僕からすると、正直立夏との距離を測りかねている節がある。


 立夏の本当の気持ちも、そして狙いもまるで見えてこないのだ。立夏はあといくつか、この夏が終わるまでにしたいことがあると言っていたが、どうにもその場のノリでそれを決めているようにしか見えない。

 それに、だからと言って降りるワケにもいかないのだ。僕が死んでも読みたい例のマンガ「夏が終わるまでにしたい10のこと最終巻・初回限定受注生産版」は、いまだ立夏の手の中にある。アレだけは絶対に取り返す、と改めて自分の目標を明確にする。ほんと、立夏には流されてばかりなのだけど。


「で、拭けた?」

「拭けたよ、なんとかな」

「いやでもほんま焦ったで。何しても起きへんし呼吸も浅かったし、もうコレは最悪、白雪姫メソッドしかないかなおもたもん。でもキスなんか死んでもしたないし、『あ、そや! 水責め忘れとったわ!』って思い出したからよかったけどさぁ」

「こっちはよくねーよ! 死んでもキスしたくないとかオーバーキルすぎんだろ!」

「まぁまぁ落ち着きぃや。とりあえず美味しいもんでお腹いっぱいにしてさ、嫌なことは忘れよ?」

「僕に嫌なことしてんのは立夏だからな!」


 と、僕は叫ぶのだが。立夏はどこ吹く風といった様子。少しくらいは申し訳なく思えよな。


「まぁ悪かったって。お詫びにウチがブランチ奢ったるから。あ、いま思てんけどさぁ、ブランチって言葉もなかなかエロい響きが……」

「そのくだりはもういいって」

「なぁんや残念。ま、ええわ。ほないこか。ご飯食べながら今日の夜の作戦会議しよ」

「夜? そもそも何しに立夏の地元に来たんだっけ」

「昨日の夜、列車ん中で言うたやん。最恐心霊スポットでガチ肝試しやって」

「あれマジだったの? ていうか僕、ついさっき心霊体験した気がすんだけど……」


 間違いなくばーちゃんとの再会 in 三途の川だった。ばーちゃんに守ってもらわなかったらマジて永眠するとこだったぜ。


「でも立夏、なんで心霊スポットなんか行きたいんだ? ああいうの、遊びで行くとヤバいってよく聞くけど」

「遊びやない、本気や!」

「いやそういうことじゃねーよ。目的はなんなのか、って聞いてんだよ。わざわざリスク背負って霊に勝負挑む意味なんてあんのか、って話だよ」

「そんなもん決まってるやろ? 心霊とか悪霊とか、所詮もう生きてへんヘタレどもが好き勝手騒いどうだけやん。そやからウチは知らしめたいねん。死んでもええことなんかない、生きてることこそが尊いってな。これは亡者と生者の命を賭けた戦争や!」


 立夏は強い意志を持った眼差しを僕に向ける。いやだからって、わざわざ幽霊にケンカ売りに行く必要なくね? 


「いやでもさ、物理攻撃が効かなそうな幽霊とどうやって戦うつもりだ? もし幽霊がいたとして、だけどさ」

「フッフフフ、そのへんは大丈夫や。ちゃあんと秘策は用意しとる。とっておきのヤツをな……!」


 ニチャア、とした笑みを浮かべる立夏。その秘策とやらが何なのかわからないが、きっとコレはアレだ。

 新しい武器を得たので、早くそれの試し撃ちがしたい人間の深い業そのものである。


 結局、生きてる人間の方が怖い理論は多分正しい。立夏のエグめの笑顔が、僕にそう告げていた。



【続】

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