第2話「ネタバレ厳禁」
「お、女の子……?」
「女やったら何か不都合でもあるん?」
彼女は脱いだフルフェイスヘルメットの代わりに、黒に染められたカンカン帽を被り直している。しかし夏なのに黒すぎだろ、マジで全身黒じゃないか。喪服のつもりか? いやこれはもう死神レベルだ。不思議と似合っているけれど。
「さってと。ほなそろそろ行こか」
「行くってどこに?」
「小さい店とは言え、強盗したばっかやで。ここにおっても
彼女はなぜか笑顔だった。いやいやなんでその顔? 君が言ったとおり強盗したばっかだぜ? なのにそのマーベラスなスマイルは何?
こんな状況じゃなかったら確かに、一目惚れするくらい彼女の容姿は僕の好みだ。一見して同世代、それか少し下の年齢。黒髪、前髪ぱっつんのショートボブ、華奢で背が低くて、さらには勝気な猫目。そして毛先は「るんっ」て感じのゆるふわパーマがかかってる。これはヤバい。メガネを掛けてないのはせめてもの救いだろう。これでメガネ女子だったらもう「好きです」って言ってる自信がある。いやウソです、ヘタレだからリアルには言えないですすいません。
「どしたん? ぼけーっとして。あ、ウチの中身に見惚れとったとか?」
「ち、違う! 強盗したのになんでそんな落ち着いてんだ、って思ってんだよ!」
「そら覚悟持ってやったからに決まってるやん。わーわー焦っとうヤツは、大した覚悟もないまま強盗したヤツに決まってるわ。ウチはそんなしょーもないヤツやない、ほんまもんの強盗やから」
「いやでも盗んだの僕のマンガだよ? エロマンガだよ? それもかなりガチのだよ?」
「モノは何でもええねん。『強盗した!』って事実が大事やねん。これでウチは『強盗に成功した女』って実績持ちやんか。それは誇れることやん?」
「エロマンガ盗んでどこに誇るんだよ……?」
「……男のクセにピーチクパーチクうっさいなぁ。あんたモテへんやろ? その分やと今まで彼女おったことないな。わかるわ、匂いで」
僕は焦って自分の匂いをくんくん嗅いでみる。うわ、全力で走ったからちょっと汗くさい。一緒に走ってたハズの彼女は汗ひとつかいてない。それにスゲー良い匂い。なんだこの差。格差社会、反対。
「まぁとにかくや。まずはこっから逃げるのが先決。日本の警察はわりと優秀やからなぁ、こんなとこおったらすぐ捕まるわ。でもウチは今、捕まるワケにはいかへんねん。まだまだやらなあかんこと、いっぱいあるからなぁ」
「いっぱい、って何を?」
「落ち着いたらゆーっくり説明したるから安心しぃ。大丈夫、夏が終わるまでには全部終わる思うからさ」
「ちょ、ちょっと待って」
「なんやそれ。しょーもないこと言うSNSの書き出しみたいやな」
「違うって、さっきも言ってたけどそれ何だよ? まるでこの夏、僕は君に全部付き合わなきゃならないみたいじゃないか!」
僕は半ば叫びながらそう言ったのだが、当の彼女はクスリと小さく笑ってるだけだった。カバンの中から僕のマンガ、なつ
「これ読みたいんやろ? あんた、それまで死なれへんのやろ?」
「そ、それをどうする気だよ……」
彼女はマンガのシュリンクを勢いよく破ると、ぱらぱらとページをめくりだした。そして適当なところでピタリと止め、透き通るような美声で臨場感たっぷりな朗読を始める。
『──そんな、やめてよ。こんな真昼間から、ダメだよ……。それに
なななななにを!? コイツ、火の玉ストレートなネタバレを!? ダイレクトすぎる、セルフなドラマCDかよ!? そんな特典は付いてねぇんだよ! しかも適当なところから読みやがって!
『──ダメ、お願い。悠介には絶対、絶対に知られたくない……の。ああッ! バカどこ触って……もう知らないッ! あ、あッ……んんっ!』
や、やめろ。それ以上ネタバレしないでくれ。何のためにネット断ちまでしてこの日に備えたのかわからなくなる!
これ以上はマズい、なつ
──しかし。だがしかし、である。落ち着け、こう言う時こそクールになるんだ。
彼女は女の子だ。しかも見た目(だけ)は僕の理想を具現化したような存在と言っていい。そんな彼女が、なつ
フゥーハハハ、天は我に味方せり! このまま彼女にはエロ朗読を続けてもらい、羞恥の海に溺れてもらおうではないか……!
「フッ、フフフ……。いいぜ続けろよ。これはどっちが先に折れるかの勝負だ。僕は自他共に認める変態だからな、羞恥心なんて言葉は小学校に置いてきた。だが君はどうかな? 君が先に恥ずかしくなるか、僕がネタバレに耐えられなくなるか、これはそういう勝負だ! 覚悟はいいんだろうな!」
彼女もこの戦いのレギュレーションを理解したのだろう。赤い唇を歪ませて、不敵に笑う。そして。
『──この度は拙作【夏が終わるまでにしたい10のこと・最終巻】をお買い上げいただき、誠にありがとうございます。これは商業誌で初めて連載した思い入れのある作品で、私のしたいことを全てブチ込んでグツグツ煮立てたフォンドボーも裸足で逃げ出す限界濃縮した作品です。ところで裸足っていいですよね。裸足って凄く隙があると思いませんか? 裸足って、裸体を構成するパーツには違いないのですが羞恥の対象としては見落とされがちで、つまり何が言いたいのかというとですね、』
「やややややめてくれ! 最終巻の後書きだけはやめてくれ! そのページは僕に効く。お願いだ、何でもする、何でもするから!」
「……はっ、情けないなぁ。自分から勝負持ちかけといて、一撃KOかいな。ま、後書きやなくて普通のページでもウチの勝ちは見えとったけどな?」
「なんだと……?」
「羞恥心なんか、ウチは幼稚園の砂場に埋めてきたわ。あんたとは覚悟がちゃうねん、覚悟が。さってと、あんた確かに言うたなぁ? 何でもするって。それ、ウチがあんたに何してもええってことやで?」
ぐ、と思わず奥歯を噛み締めた。クソッ、負けは負けだがあれは酷くないか? 後書きなんて思いっきりレギュレーション違反じゃないか!
しかし、レギュレーションに則っていたとしても勝ちの目は薄かった気がするのも確かだ。彼女には本当に羞恥心というものがないのだろう。僕にもないからわかる。あれは嘘偽りのない目だと。
と、いうことはだ。彼女はかなりの危険人物だということが導き出される。若い女の子なのに、羞恥心がカケラもないのは狂気という他ない。
「これでハッキリしたなぁ。ウチが上であんたが下や。水は下から上には流れへん。それとおんなじや。これは自然の摂理やからなぁ?」
この女の子とこれ以上関わるのはとんでもなくヤバい気がする。まだ彼女の名前さえ知らないし、さらには間違いなく強盗なのだ。歴とした犯罪者。他にどんなことを隠してたっておかしくない。ヤバい筋の人間なのかもしれない。本能が告げている。この子と関わってはならないと。
僕は彼女を、強い視線で睨みつけた。どうする、どうするのが正解だ? 勝負に負けたのは確かだ。なけなしのプライドもブチ折られている。だが誇りを命には代えられない。
限定版を諦めて逃げ出すか? 確かにこの際、通常版でもいい。特典ブルーレイは付かないけど。
僕はちらりと後方に視線を這わせる。大丈夫だ、障害はないし警察が迫っている気配もない。行くなら今しかない!
ゆっくりと視線を彼女に戻す。彼女は僕の視線を鼻で笑うようにして、再びパラパラとページをめくりだした。
『──オレ、この旅をしてよかったと思う。自分にとって誰が一番大切か、本当の意味でわかったと思うから。ここまで来るのは正直しんどかったし、色々、本当に色々あったけどさ。でもよかったよ。本当のお前を、そして自分を知ることができたから。だからさ、』
「何でもします喜んでしますどんなことだってしますだからその部分のネタバレだけはマジで後生ですから! それ最終ページ近くだよね? クライマックスだよね? 残り数ページじゃね? もうやめてくださいお願いします」
「ほなこれで決まったな。これからあんたは、ウチの人質やなくて下僕やから。ご主人様には絶対服従やで?」
「下僕……?」
「えらい嬉しそうやんか」
「嬉しくねぇよ!」
僕は諦めて項垂れた。完全に負けだ。あのマンガが彼女の手の中にある限り、僕は彼女に逆らえない。特典ブルーレイは確かに惜しいし、あれを手に入れないと、なつ
「……君は僕に何をさせたいんだよ? 何をやったらそのマンガを返してくれるんだ?」
「あんた、あの本屋で言うてたよな。このマンガを読み終えたら死んでもええって。あれ本気なん?」
「まぁな。本当にそれが、僕の生きる意味だったんだ。僕はクソみたいな生活を送ってる。薄給のフリーターで、君の言うように彼女もいたことがないし、友達も家族ももういない。何のために生きてんだ? って自問する時もあった。それを救ってくれたのがそのマンガだ」
「ふうん。このエロマンガが?」
「そうだよ悪いかよ! 文句なら読んでから言え!」
「読んだわウチも。読んだからこんなことしてんねん」
「──は? それってどういう、」
「ファンとはちゃうで。けど正直、感銘は受けた。そやからウチも、この夏が終わるまでにしたいことしよ
どういう意味だ? この夏が終わるまでに、したいことをしようと思った、だって?
「この物語の第一話でヒロインが言うやろ。『本当に死ぬ気になれば、何でもできるはず』やって。それを試してんねん。ウチも生まれ変わりたいねん」
ヒロインは確かに、第一話でそう独白する。それがこの物語のフックだ。本当に死ぬ気になって、ヒロインは自分の殻を破って新しい自分になろうとする。なつ10は、そんなキャラクタの成長物語でもあるのだ。もちろんベースはガチエロマンガだけどな。
「ウチがあんたを気に入ったのは、この物語を知ってるヤツやったからや。ほんま笑いそうになったわ。運命って意外なとこに転がってるもんやな、って」
「やっぱり君も、この物語を……?」
「ウチの『この夏が終わるまでにしたいこと』は半分以上終わった。『強盗を成功させる』ってのもそのひとつ。そやからあんた、ウチを
彼女は僕に向けて、不敵に笑う。例の赤い唇を、ニイッと歪ませて。
「ウチの名前は
立夏はもう一度笑った。それは本当に、何も怖くないという余裕を持った笑みで。
僕はそれに心を奪われた。自分の全部を持って行かれた気がした。
──僕と立夏の夏は。まさに今、始まった。
【続】
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