第2話

12年前の夏休み

母が弟を連れて実家の祖父の見舞いに行った、夏の日。


親戚の家に行こうかと、父から言われて着いて行った家。

大田区にある我が家から父の車に乗って、、、。

私は忙しい父とドライブが出来て、それだけでまいあがっていたっけ。

車の窓から、オレンジ色の中でぼっこんと生まれたような夕日が、少しずつ下って行くのを目を細めて眺めていた。


そこは埼玉の川越であった。

旧家が並ぶ商店街を抜け、細い路地にはいった。

8階建ての白いマンションの駐車場に車は止まり、私達はエレベーターで3階まで上がった。

父は310のインターフォンを押した。

私は中田ももよと書かれた表札を見つめていた。

「はーい。いらっしゃい」

そう言ってドアを開いたのは、30代位の女性であった。

洗練された美しさではないが、色白で目鼻立ちがはっきりした細身の人であった。

「どうぞ、どうぞ」

と招かれ中に入ると、リビング中央に4人がけのテーブルセットがあった。

そしてそこにはすでに1人の少女が座っていた。


4歳か5歳位いにみえた。

ショートの髪にウサギのパーツが付いたヘアークリップを付けていた。

そのウサギのように、白い肌と黒い大きな瞳が印象を強めていた。

気を取られている私にあの人が声をかけた。


「あなたが静香ちゃんね。初めまして、私中田ももよ。あの子は桜。宜しくね。」

ワンテンポ遅れて私は挨拶をした。

「は、はい。静香です宜しくお願いします」

座っていた少女もペコリと頭を下げた。

あの人は顔を覗き込むように言った。

「今ね、丁度すき焼きが出来たところなの。一緒に食べてね、今日は美味しく出来たと思うわ」


それを聞いて内心困った。

(初めて来た家で食事をするなんて、、、それも皆で箸を入れて食べるすき焼き、、、このひとに悪気がないのは分かっていた。子供だしおそらくすき焼きは好きに違いない。そんなふうに思ったのであろう。けれども、、、。

母はそうゆう事には厳しかったのだ。


私がうつむいていると父が言った。

「おっ!すき焼きだって、やったな静香。好きだもんなすき焼き。家に帰っても何もないぞ。いただいちゃおうよ、なっ」

父の対面もあるであろうと思い頷いた。

父は私が困っていたのが分かっていたのか

4人が掛けのテーブルに甘じょっぱい湯気が登り、ご飯茶碗に白米がつがれた時、あのひとに声を掛けた。

「少し深めの茶碗、貰えるかなっ」

その茶碗を手にすると

「ごめんね、先に少し貰うよ」

と言うなり具材を少しづつ入れて渡してくれた。

嬉しかったと同時に親戚とはいえお客であるはずの者が、住人より先にこんな事をしてもよいものなのか。

この家にとっての父の存在は、、、

それとも父が単なる礼儀知らずなだけなのであろうか。子供ながらに思っていた。


ももよという人の顔をうかがうとニコニコして

「どんどん食べてね。食べ盛りでしょ。家の子なんて3杯位はいくわよ」

と桜という娘を見て笑った。


食事を終えると、あの人は娘に向かい私と遊ぶように促した。

桜は初めて会ったのに屈託もなく話しかけ微笑んだ。綺麗な服を着たバービー人形に帽子を被らせて[可愛いいでしょ」

と言った。人見知りの強い私は

「うん」

と言い、コクりと頷くのがせいいっぱいであった。そんなやり取りをしながら、ぼつぼつと会話をすすめて20分も遊んだ時であった。

「お父ちゃん、それ取って」

桜という子が父に向かい話し掛けたのである。

(えっ!今何て言った)

心の中であの子が言った言葉を反復した。


確かに言った。お父ちゃんと!


その後の事をまったく覚えていなかった。

あんなにそれまでは1つ1つ鮮明に覚えていたのに、、、本当に覚えていなかった。自分が何を言ったのか、何をしたか、他の皆が何を言い。どんな顔をしていたのか。

覚えているのは父が上着を着て

「そろそろ帰るよ」

と言った事。

父より先に玄関に行き、靴を履いてドアを開けた事であった。

父は少し慌てた素振りで

「じゃ、またね」

と言ってドアを閉めた。


私達は車に乗り、父はエンジンをかけた。

私がかもしだす車の中での重い空気を、父は何とか変えようとして、軽やかなカラオケを流したり、話掛けてきたりしたが、私は外を見つめたまま影絵のように息もひそめて座っていた。

父はきっと私がショックを受けた事は分かっていたに違いない。

しかしそこには触れようとしなかった。

でもあの時もしも私が

あの子は何でパパの事をお父ちゃんと呼んだのかと尋ねたら、静香の妹なんだよ。と答えたのではないか。そう思えた。


だから聞かなかった、、、聞けなかったのである、、、。


家に帰ると母はもう帰宅していた。

今日の事は話せない、話してはいけない。その方が良いに決まっていると思った。

だから「お帰り、何処に行っていたの?パパとのデート楽しかった?」

そう母が言った時

「ご飯食べた。宿題やらないと」

言ってから階段を駆け上がった。


(母は知っているであろうか、あの人達の事。私とあの子は似ていない、もしかしたら本当に親戚でパパは父親代わりなのかも。

でも似てない兄弟はいる。私と弟だって余り似ていない気がするし、、、違う、ちがう、きっと親戚だわ)

呪文のように繰り返し、深いところの自分に言い聞かせていた。

その日は本当に長い夜であった。

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