parapluie 傘

@k-yumeji

第1話 

2010年私、大森静香(おおもり しずか)はリビングの椅子に座り新聞を開いていた。

(5月10日か。明日で53歳になる、時は風のようだと誰かが言っていたけれど、過ぎてしまうと本当にそうだと思う。)


紙面を目で追っているとパタパタとスリッパをならして2階から人世(ひとよ)が降りてきた。

私の一人娘である。

20歳の大学生だが、私から見るとまるで中学生のようだ。だがこの幼顔が19の時に投稿した小説が本になり、新人賞なるものを頂いているのだ。


私はその方面は疎くてよく分からないが人頃は賑わっていた。そこで終わるのかと思っていたが、未だに編集者から依頼がくるのだからたいしたものだと親ながら思う。


その娘が私の前に立ち

「ねぇ、母。お願いがあるの」

と言った。

「お願い?何?」

「母の若い頃のことを教えてほしいの。私聞いたことないなぁと思って。たとえば父とどんな風に知り合ったとかさ。」

「いやぁ恥ずかしいわよ」

突然のことで仰け反ってしまった。

「分かった。じゃぁ話さなくていいから書いてみてよ。時間がかかってもいいから。」

「さては貴方小説のネタにするつもりでしょ。」

「まぁそれもあるけど、両親の馴れ初めを知らないのもね。」

「うーん、分かったけど、知っての通り貴方のように上手く書けないわよ。箇条書きでもよければいいけど。」

「いいよ、いいよ、お願い。」

眉を寄せる私に飛びつくようにハグをして、娘は再び階段を上がっていった。


あの子に昔のことを語るのは初めてである。

家は複雑であったからこの話題はさけてきたかもしれない。

しかし、昨年母もなくなり心の整理をするためにもいいかもわからない。


主人を深く意識した事柄。

あの衝撃的な真実も、今となればシネマを見るように客観視出来る。


今から30年前の5月の朝、私、旧姓沢井静香(さわいしずか)23歳は重い目を開けた。

その日は仕事も休みであった。

芸大を卒業してある会社の宣伝部に就職して1年になった。

仕事も家族も何一つ不服がない毎日を暮らしていた。

私の家族は父修三と母静代、弟学の4人暮らしである。

修三は30代で会社を立ち上げた。人に恵まれたのか10年もしない間に東京に本社、神戸に支社と工場もある。社員は400人近くになっていた。


その父が55歳の誕生日が終わり、5日後に入院したのであった。信じられなかった。あんなにおいしそうにケーキをほおばっていたのに。

でもそういえば、好きなワインが届いていたのに開けていなかった。

なぜ気づかなかったのか、のぞいた鏡に何度も問いかけていた。


ベットの脇にある時計に手を伸ばした。

(8時か。もう少ししたらご飯よと言うママの声が聞こえる頃だわ)

布団を抱えたまま左右に体を動かしていた。

10分経って

(あれどうしたのかしら、もしかしたらもう病院へ行ったのかな それにしても早すぎる)

パジャマ代わりのトレーナーの上からガウンをまとい階段を降りていった。

リビングのドアを開けたが母はいなかった。

わりと大きな大理石風なテーブルの上に2つのお皿にスクランブルエッグと野菜とパンが乗っていた。

1つのお皿の下には封筒らしきものが見えた。


「あねご起きてるの」

学の声がした。

声は2階からのようであったが振り向けば、私の背後に立っていた。

「ねぇもうそろそろ、そのあねごと呼ぶのは止めてよ」

「分かった。んじゃ、ねぇねにすっか!」

「御姉様とお呼び」

「お父様、お母様、御姉様ってか。まぁパパ、ママよかいいか。」

「うっさい」

そう言ってから、156センチの身長しかない私は背伸びをした。それから

175センチの学の頭に右手でつくったげんこつをくらわした。

「ばーか。やだ!ふざけてる場合じゃないのよ、ママ出かけたみたいだけれど、ほら封筒、メモ書きではない、これって手紙だよね。何か嫌な気がするのよ、、、」

学に言うと開けてみてと言うので、封を切り手紙を取り出した。


母の綺麗な字を久しぶりに眺めた。

母は字だけではなく容姿も美しい人である。

とても50歳にはみえず、10歳も15歳も若く見えている。学生時代母が学校に来ることが本当に嬉しかった。


「早く読んでよ」

学に諭されて早口で音読した。

「静香さん、私は実家に帰ります。パパと学をお願いします。落ち着いたらこちらから連絡します。」

(静香、さん?)

いつもは静香と呼ぶのになにか違和感があった。

それにこんなのメモ書きで良いのではないか。下を見つめたままの私に

「えー、父さん入院中だよね!それにどうすんの俺のメシ」

学が頭を抱える格好で言った。

「うっさいね、とりあえず朝ごはんをその口に入れておきなさいよ」そう促しながら

(本当にこんな時に実家に行かないといけない訳っていったいなに)

私はワサワサと近づくえたいの知れない思いに下唇をかんだ。


9時前に家を出て父のもとへ急いだ。

父に知らせなくては。

いや、入院中の人に知らせるべきではないのではないか。

行き交う思いに答えが出ないまま、最寄り駅に到着した。


病院へ着き父のネームプレートのある部屋をノックした。

「はい」

やや低めの声がした。

寝ていなくて良かったと思いドアを開いた。

「パパ、大丈夫?」

「ああ、来てくれたのか。静香1人か?」

「うん、今日は1人。夜は学も来るかも分からないけれど」

やはり母の事を伝えることにした。

暫く来なければきっと聞かれるに違いないのだ。

「パパ、こんな時にごめんね。実は、、、ママがおばあちゃん家に暫く居るそうなの、パパが大変な時に行かなくてもと思うけれど、きっとそれなりの事情があるのかも、、、後でおばあちゃんに電話してみるね」

困り顔で父に告げると、父の顔が明らかに曇った。

「あぁ、、、いいんだよ。それには理由があるんだ。パパが悪いんだよ、ママには悪い事をした。いや、ママだけはない静香にもだ。謝りたい、、、けれど、誤っても許しては貰えないだろうな、、、」

黄疸が出ているのか、黄ばんだ病人顔が更に青く影をおとした。


「いったい何があったの。私ももう大人だから大丈夫よ。何だか分からないけど、抱えていないで話してみて、、、」

「ママには手紙を書いたんだ。そして昨日手渡した。それが家出の理由だと思う」

「えっ!そうなの、、、」


父は一点を見つめていた。まるでそこに吸い込まれてしまうのではないかと思うように、体を丸めて正気が失われて見えた。

そしてかすれた声で呟くように言った。

「本当に、、、全て私が悪いのだ、、、」


「パパ。分からないわ、、、私に分かるように説明して」

言い終わらないうちに父は咳き込んで吐血した。


「パパ、パパ!」

慌ててナースコールをした。

すぐに病室には、医師や看護師がやって来た。

私は部屋の外に追いやられた。


しばらくして父が薬を点滴した後に、寝息をたてたのをみとどけて、1階にあるコーヒーショップに席を取った。

(いったい何があったのであろうか。父は何を言いたかったのか。母へ手渡された手紙にはいったいなにが書かれていた?

母がこんな時に病院にも来ない理由。思い当たるとすれば、やはりあの事であろうか。)


私はコーヒーカップを眺めていた。

コーヒーの香りが11歳の自分を連れて来た。

あの女(ひと)の家でもこの香りがしていた。




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