第14話 由紀

「おい、なに笑ってんだよ」


 彰浩が怪訝そうな顔で問う。


 真剣な空気だったのに俺が吹き出してしまい、やや不謹慎ともいえる態度だったが、張り詰めていた空気が少し弛緩した。


「ごめんよ、なんか、おかしくて」


「何がおかしんだよ」


 彰浩はさらに問いかけてくるが、「の会社が」なんてしょうもないギャグを頭の中で反芻していたら吹き出してしまったなんでいえるわけもなく、なんと取り繕ったものかと頭を回転させようとしたところで、由紀が口を開いた。


「ゆーくん、まさか……」


 まさか、何なんだろう。それこそまさかとは思うけど、俺がそんなしょうもないギャグを考えていたなんて見抜いたわけじゃないよね?まあ、仮にそうだったとしても、そんなこと、この空気の中で、由紀から言い出すようなことはあるまい。


「まさか、何かしら?」


 由紀の続けようとした言葉が気になったのか、四宮が問いかけるが、由紀はきまりの悪い微笑をたたえながらお茶を濁すだけだった。


「あはは、なんでもないよ」


 由紀が何を言いかけたのかは俺も気になるところだが、なんとなくこのまま真実を闇に葬ったままにしておいた方がいい気がした。


「いや、今となっては俺にとってどうでもいいことばっかりだったからね。そういう噂が流れていること自体、気にしていないし」


 そう、実際に俺にとってはどうでもいいことだった。だけど、少し気になる点があるとすれば、俺と距離が近い人たちが、間接的に被害を被ったり、不快な思いをしていたりしないか、という点であった。例えば、彰浩までいじめで問題を起こして退学になった、みたいな根も葉もない噂が立つような事態だ。だからだろうか、どうでもいいと思いつつも、教室の悪意の漂う空気を気持ちの悪いと感じ、避けるように文実に入ったりしてしまった。


 願わくば、そのような巻き込みの発生していないことを祈り、確認の意図を込めて「気にしていない」と言ったつもりだった。しかし、残念なことに、由紀がそんなことはない、と言わんばかりに首を横に大きく振った。


「どうでもよくないよ」


 由紀の口調はいつもより強かった。その強い口調に戸惑い、一同は固まる。


「私は嫌だよ、ゆーくんがそうやって悪口言われているの聞くの」


 由紀はまっすぐに俺の目を見て言葉を続けていた。


「周りがなんて言おうとお構いなしに自分の道を行くゆーくん、私はかっこいいと思うよ。教室の人達がそんな噂話でざわついていても、言い訳、というか、この場合は弁明っていうのかな?そういうことをする素振りも見せず、いつもと変わらずに堂々としているところは、ゆーくんの強いところだなって思うし、それもまた美徳なんじゃないかとさえ思う。けど……」


 けど、といったことろで由紀は言葉をいったん切る。言葉には次第に感情が強くのせられ、瞳を潤ませながら話す由紀を前に、俺はもちろんのことながら、彰浩も四宮も言葉を失っていた。


 痛いところを突かれたな。


「だけど、私にとってはどうでもよくないの。ゆーくんの噂話を耳にするたびに、私は、ゆーくんはそんな人じゃないって、理恵や陸君達には強く言ったけど、私だけじゃクラス皆の考えを変えたりとか、面白がって噂話したりしてるのを止めるなんて、できなかった」


 由紀は再び言葉を切る。


 俺はというと、由紀がそんなこと考えてそんな行動していたとはつゆ知らず、そうだったの?という驚きのまなざしを四宮に向ける。四宮は俺が顔を向けた意図を察したのか、無言で頷いて応えてくれた。ややハイコンテクストなやり取りだったが、彰浩も、俺と四宮の視線のやり取りの趣旨を完全に理解したかのように頷いていた。


「でもね、だからといって、ゆーくんに何か変わってほしいとか、弁明してほしいとかって言ってるわけでもないの。どうしたらいいのか分からない。っていうか、当事者のゆーくんがいいって言ってるのに、私が何かしようとしてるってのも、変な話だね。何がしたいのかもわからなくなっちゃった」


 由紀は、いつの間にか瞳から垂れ始めていた涙をぬぐいながらそう言うと、照れくさそうに微笑んだ。


 この件に関しては、由紀にはちゃんと話しておきたかったと思いつつ、気づいたら今日までなんらアクションを起こすことなく過ごしてきた。しかし、こうやって悲しい思いをさせていたのかと気付かされると、後悔の念が押し寄せてきていた。


 とはいっても、何かができるわけでもない。とはいえ、ここで今さら、俺にとってはどうでもいいから、なんて重ねて言うようなことはできそうになかったので、つい、気恥ずかしいことを口走ってしまう。


「俺は、そうやって理解してくれている人がいるってだけで十分だよ。由紀がそうやって、俺がそんな人じゃないって皆に言ってくれてたのも、すっごく嬉しいよ。ありがとう」


 なんか、少しクサい言い方になってしまったかも、っと心配したが、どうやらそれは無用の心配だったようで、由紀は満面の笑みで「うん」と答えてくれた。


 一方、彰浩と四宮を見やると、2人はなんだか少し居心地悪そうな表情で俯いていた。こんなむずがゆい会話をこの距離で聞かされて、たまったもんじゃないのかもしれない、などと他人事のように考えそうになったが、すぐにその当事者が自分であることを思い出し、いまだ満面の笑みを浮かべている由紀をよそに気恥ずかしさが押し寄せ、心の中で悶絶することなってしまった。

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ディアスポラ高校生 えいじぇい @masataso

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