第10話 お茶のお誘い

 文化祭実行委員の顔合わせの翌日。


 昼休みが始まるや否や、俺は茶道部の部室に向かっていた。


 茶道部の部室は学校の校舎と渡り廊下に囲まれた中庭にある平屋の建物内にある。その平屋には女子更衣室が併設されていることと、茶道部の部員に現在男子がいないこともあり、現在、中庭の利用者は女子生徒のみである。明確に決められたルールがあるわけではないが、男子が中庭に入ることは基本的にないため、男子禁制のような雰囲気になっているのだ。


 昇降口のそばにある中庭への出入り口を通る際に、ちらりとあたりを見渡す。


 誰かにどう思われようと気にしない性分ではあるものの、本当に中庭に入っていいものか、もし中庭に入ってのぞきだのセクハラだのと訴えられでもしたら、またしてもよからぬ噂が増えてしまい、最悪また退学につながってしまうのでは、という躊躇ちゅうちょがあった。


 そんなリスクを冒してまで中庭に入ろうとしているのは、とある生徒から、昼休みが始まったらすぐに茶道部の部室に来るようにと頼まれていたからだった。


 一瞬の逡巡の末に、入り口から中庭に足を踏み入れ、平屋に向かってやや足早に歩いていく。


 転校当初は、中庭に入ることなんて一度たりともないだろうと思っていたのに、人生とは分からないものだ。こんなことで人生語っても仕方ないけど。


 昼休み開始直後ということもあり、中庭には人影がない。体育の授業があったとしても更衣室を使うタイミングにはまだ早いし、この時間に茶道部の活動をする人もいない。少なくとも行きは大丈夫そうだ。帰りはどうしたものかと少し怖くなる。


 ほどなくして、平屋の正面にたどり着いた。入り口を間違えると女子更衣室に侵入してしまうことになるので、2, 3度ほどそれが茶道部の入り口であることをしっかり確認してから、ふすまを開けるまえに声をかける。


「四宮、入っても大丈夫?」


 中に四宮がいるかどうか確信はなかったが、四宮が俺よりも先に教室を出ていったのは確認しているので、中にいる可能性は少なくないだろう。


 はたして、扉の向こう側から返事が返ってきた。


「どうぞ」


「失礼します」


 茶道と言えば礼儀作法、と単純な思考ではあるが丁寧にあいさつをして畳の敷き詰められた部室に入る。


 すでに四宮は正座して座っており、手で正面に座るように促されると、礼儀作法の圧力を感じ、考えるよりも先に体が動いて正座で座ることになってしまった。


 正座って苦手なんだよな……


「早かったのね」


「昼休み始まってすぐ、って言われていたからね」


「そう」


 短い会話が途切れ一瞬の静寂が訪れる。


 ふわりとしたピンクブロンドの長髪と、長いまつ毛の下に輝く碧眼、すっと通った鼻筋に陶器のような白い肌。正面に座る四宮は背筋を伸ばし、両手を膝の上に揃えて座っていて、すました顔で俺を見つめていた。その美しい絵画じみた光景を見ていると、つい息をするのも忘れそうになる。


 これはさすがに緊張するな。


 そういえば、なんで俺呼ばれたんだっけ。文実がらみの話ぐらいしか思いつかないけど、わざわざこんなところで話すようなことなのか?


 というか、四宮だんまりしてるけど、これは俺から何か話すべきなんだろうか。いや、待つべきか。


 などと考えながらしばらく様子を見るも、四宮は特に何かを話そうという様子もない。


 気が付けば、四宮と見つめ合ったままの状態で、時間だけが過ぎていた。目の前の美しい光景に時間の感覚も忘れそうになったが、ふと腹の減りを思い出し現実に引き戻され、やむなく俺から話を切り出すことにする。早くお昼ご飯食べたいしね。


「あの、四宮さん?」


 すると、四宮はなぜかすまし顔を崩してぷっと笑い出した。


「どうしたんだ、いきなり笑って」


 四宮は肩を揺らしていたが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「あら、ごめんなさいね。私が黙っていたら、どういう反応をするものかと思っていたのだけど、案外普通だったものだから」


「ああ、そういうことだったのか。普通で悪いね」


「悪いなんてことないわ、面白かったし」


「そう」


 四宮の意外な遊び心にやや驚く。四宮とはちゃんと話をしたことなかったけれど、お茶目な性格なのかな。


 それはそうと、早く本題に入って昼休みの時間の早いうちに話をすませないと、他の女子生徒に中庭から出ていくことを目撃されることになりかねない。のぞきやらセクハラやらで通報されるのは勘弁してほしい。


「それで、何か話があったんじゃないの?」


「ええ、そうだったわ」


 そういうと、ひと呼吸置いて、四宮は続ける。


「山本君、茶道部に入らない?」


「……入らない」


 言葉を失いそうになるのをぐっとこらえ、返事をすると、またしても四宮は表情を崩して笑いだす。


 再び間をおいて落ち着くと、すました顔に戻った。


「ふふ、冗談よ」


「冗談かよ」


 冗談だったのか、あぶないところだった。


「というか、四宮、茶道部だったんだね」


「ええ。そうじゃなきゃ、こんな堂々と茶道部の部室にいられないわ」


「入るって答えてたらどうなってたんだ?」


「それは、入部してもらうということになってたでしょうね」


 え、そうだったの!?


「でも、あなた入る気ないでしょう?」

 

「そうだね」


「本田君からのあれだけ熱心なサッカー部の勧誘も断ってるぐらいだし、部活をやるつもりはないんでしょう」


「ま、そんなところ」


 陸からは熱心にサッカー部への勧誘を受けていたのは四宮も知っていたらしい。そして、部活をやるつもりもないことも。


 転校して1か月以上が経ち、こうやって俺のことを理解してくれるクラスメイトが増えるのは悪い気がしない。


 海王テニス部での妬みやら僻みやら人間の醜い何やらかの末の退学事件のせいで部活が心底嫌いになってしまったことが、部活に入る気になれない理由だというところまでは理解されなくてもいいけれど。


「ただ、何かを競い合う部活ってのが合わないなってだけで、茶道とか、競い合うものじゃないなら、ありな気もする」


 ふと本音が漏れてしまった。


「そうなのね」

 

 四宮はそう言うと、手を顎にあてて、何かを考えるような様子で俯いてしまった。何事かを悩んでいるようにも見える。


 というか、さすがにそろそろ本題に入らないと。


「それで、何か話があったんじゃないの?」


「ええ、そうだったわ」


 俺の言葉に、四宮は、はっと顔を上げて答える。既視感を覚えるやり取りだ。ただ、四宮の続けた言葉は、先ほどまでのお茶目な内容とは程遠いものだった。


「山本君、何かよからぬ噂が立っているみたいだけれど」


「ああ、そのことか」


 ついため息が出てしまう。


 すると、四宮はやや慌てたように付け足した。


「待って。私はあんな噂、信じてないわ」


「信じてないの?」

 

「ええ。だって、あなたがイジメをするメリットなんてなければ、そういう性格でもないじゃない」


「……驚いた」


 つい言葉に出てしまったが、これは驚いた。まさかクラスメイトの中に、そんな考えをもっている人がいるとは考えもしていなかった。しかも、幼馴染の由紀なら分かるが、四宮が、である。


「ちなみに、性格はおいといて、メリットってどういうこと?」


「なに、言わせたいの?」


「えっと、普通に気になるんだけど」


「成績も学年どころか全国トップクラスで、運動神経も抜群なあなたが、誰かをイジメたりまでして優越感やら虚栄心やらを満たす必要がないでしょう、と私にヨイショさせたいのかしら?」


「ええっと……いえ、もう大丈夫です」


 なんだか聞いててこそばゆくなってきた。四宮の中での俺の評価ってそんな感じだったのか。あんまり期待値を上げられても困る。


「ふふ、冗談よ」


「冗談かよ」


 四宮ってやっぱお茶目なんだな。


「それに、あなたは成績がどうとか運動神経がどうとかを抜きにしても、虚栄心のようなものはまるで感じられない性格をしてそうだもの」


「それは、そうかも」


 四宮が思った以上に俺のことを理解してくれているみたいで、嬉しいような気恥ずかしいような気持になる。


 それにしても、よく分かってくれているな。由紀からなんか聞いたのだろうか。退学に関する話は由紀にもまだ話してないんだけど。


「俺のこと、よく見てるんだね」


「別に。私から学年トップを奪った山本君が、そんな人だと思いたくないってだけなのかもしれないわね。」


 つい自意識過剰なことを言ってしまい、気持ち悪がられるかと思ったが、返答は意外なものだった。


 四宮の目にめらめらとしたものを一瞬感じた。なんだかんだで学年トップとしてのプライドや負けず嫌いな気持ちもあったのだろうか。


 考えてみれば、四宮が俺のことを理解してくれている一方で、俺は四宮のことをほとんど分かっていない、ということに気付いた。


 気付いたからどう、というわけではないけど。


「それじゃ、今日はそれを確認したかったってことだね」


「ええ。こんな話、教室ではしづらいもの。あなたもなぜか弁明する意思はないようだから、教室ではその意思を尊重させてもらうけれど」


 弁明する意思も何も、どうでもよすぎて弁明するという発想すらなかった、というのは黙っておいたほうが良さそうだ。


「教室か。どちらにしても今さら感がなぁ。まあ、考えておくよ」


 本当は考えるつもりもないのに適当なことを言って、それじゃ、と席を立ちかけると、四宮は手でそれを制した。


「まだ何かあったの?」


「ここは茶道部よ。お茶の用意をしているの、飲んでいってもらえる?」


 四宮は柔らかな微笑みをうかべながらお茶に誘ってきた。


 茶道部よ、という言葉には、言外に、茶道部の活動とも関係なく中庭に入ったということになれば大変なことになるという脅しめいたものを感じた。


 そうなると、茶道部に入らないか?というお誘いを断ったのはまずかったのではないか、と少し身震いするような気持になる。腹の減りを感じつつも、俺はついにお茶の誘いを断ることができなった。


「はい、喜んで」


 居酒屋の返事みたいになりつつ、居住まいを正す。


 茶室には静謐せいひつな時間が流れ始めた。

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