第8話 中間試験

 10月にもなると、「○○の秋」とはよくいったもので、なんでも当てはめられるぐらい何事も取り組みやすい気温になるなと感じるぐらい快適な日々を過ごしていた。


「それじゃ、来週から中間試験、頑張れよ」


 担任の中村先生は簡単な励ましの言葉で終礼を締めくくり、放課後となった。

 

 せっかくこんなにいい天気なのに、試験勉強なんてするのはもったいないんじゃないかと思ったけど、すぐに、こんなにいい天気だから勉強するのもありなんじゃないかという気もしてきた。

 

 週末なにしようかと考えつつ、伸びをする。脱力し、机の上に突っ伏すような形で数秒ほど固まっていると、コトコトと足音が近づいてくるのがわかった。


「ゆーくん、土日は暇?」


 由紀の声に反応して顔を上げて振り向くと、目の前に女の子らしい丸く美しい形をした双丘がその存在を主張していた。


「うーん、予定あるかも」


「ないでしょ。」


 ちょうど何するかを考えていたところだったので、予定はあるといっても過言ではない。


「いや、ないでしょ」


「ないです」


 やっぱり過言でした。


「じゃあ、勉強会しようよ。」


「勉強会?」


「勉強会だよ。みんなで集まって勉強するのを勉強会って言うんだよ」


「いや、そのくらいのことはわかるよ。ただ、試験勉強って、集まってやると効率下がるような気がするんだけど。」


「あのね、ゆーくん。私みたいな人はね、まずそういう会でも開かないと、そもそも机に向かうという気にすらならなくなっちゃうんだよ」


「あー、そういうことね。ただ、そう言われても、そうか、としか言えないな」


「ちょっとそれは塩対応すぎませんか?」


 どうしたものか。やはり勉強の秋なのか。


「ちなみに、勉強なわけでしょう、誰か他に来るのか?」


 そう聞くと、由紀はニンマリと笑いかけてくる。


「私と2人きりだよっていったら、どうする?」


 一瞬胸が高鳴るような気がしたが、この言い方だと違うんだろう。からかい上手の福崎さん、といったところか。


「陸の発案?」


 そう聞くと、由紀は「ちぇ、つまんなーい」などとぼやきながら、教室の入り口側で談笑している陸たちの方を見やる。


「発案は手島君らしいの。それで、男子達がやろうっていいだしてさ。わたしはりえも来るならって思ったけど、りえは1人で勉強した方が効率がいいから、参加しないって言ってるんだよね」


「そりゃそうだ。由紀も1人で勉強した方がいいぞ」


 由紀はため息をつき、少し悩むようなそぶりを見せたが、すぐに諦めたようだった。


「ゆーくんがそういうならそうしよっかな。じゃあ、またね。テスト勉強頑張ろうね」


 由紀は別れの挨拶をすると、陸たちの方に戻っていった。そこでなにやら話していたが、由紀が勉強会に参加しない旨を告げたのであろうか、手島ががっくりと肩を落としたようなリアクションをとったかと思うと、一瞬、俺を睨みつけるかのような目で俺を見る。しかし、目が合うとすぐに視線を逸らされた。


 勉強会は中止になったのだろうか。そうだとすると、ちょっと悪いことをしたような気もする。


 まあどうでもいいか、さっさと帰ろう。


 自転車に乗って家路につく。美しい秋の夕暮れの日差しを全身に受けながら自転車をこいでいくと、心地よい風を感じる。


 やはり正解はスポーツの秋だったかもしれない。こんなにいい天気なのに勉強なんてもったいない。


 週末は久々に強度の高いワークアウトをしようと決心して、俺は一段、二段と自転車のギアを上げて家へと向かった。


   ◇


 週が明けて中間試験が始まった。


 最初こそ、西高の試験問題はどんなものだろうかと少しワクワクしたものだったが、やはりというか、特にどうということはなかった。


 あっという間に4日間の試験が終わり、週をまたいで試験の返却が一通り終わったところで、ロングホームルームの時間を使って担任の先生から成績の一覧と順位が個別に配られることになっていた。


 西高では、特に成績上位者が張り出されるようなことはないらしい。個人情報の保護が声高に叫ばれるこのご時世において、成績という個人情報もまた、保護されるべきという考え方なのだろう。つまり、誰かに自分の成績を吹聴しなければ、自分の成績を知っているのは自分と教師だけということになる。はずだったのだが。


「山本、学年トップか。さすがだな」


 ざわ……と教室にどよめきがおこる。あろうことか担任の中村先生は、俺にテスト結果を手渡す際、あまりに余計な一言をぼそっと漏らしたのだった。


 抗議したい気分だったが、そんなことをしても仕方がないとすぐに悟り、「ども」と軽く返事をして、テスト結果のプリントを受け取ってから自席に戻る。そして、俺の後ろの席、出欠番号最後尾の横田くんがプリントを受け取ると、中村先生は短いねぎらいの言葉をかけ、すぐに放課後となった。


「ゆーくん、学年トップだったの?」


 由紀はロングホームルームが終わるとすぐにトコトコと寄ってきて、予想通りの質問をしてきた。どう反応するのがいいか迷いつつ、嫌味にならないように言葉を選ぶ。


「おかげさまで」


「なにそれ、そんなこと思ってないでしょう。というか、むしろ勉強会断ったじゃない」


 由紀は頬を膨らませて怒ったような仕草を見せるが、本気で怒っているわけではないだろう。本気で怒っているときに頬を膨らませるような人はいないと思う。ただ、勉強会を断った件に関しては、なんだかんだでまだ根に持っているようだ。


「悪かったよ。次回は参加しようかな。」


 よく考える前に言葉が出てしまった。由紀を不機嫌にさせるのは俺の精神衛生上よろしくないと長い付き合いで身に染みているので、つい条件反射的に機嫌を取るようなことを言ってしまった。


「ほんと?じゃあ、約束だよ。じゃあ、私部活行くから、またね」


「いってらっしゃい」


 由紀を見送り、さて俺も帰るか、と帰り支度をしていると、突然なにやら気味の悪い空気を感じた。


 ひそひそと話す声、時々感じる視線。最初は学年トップという結果に対する反応かと思っていたが、どうもそれだけではない雰囲気がある。ヒヤリとした感覚を覚える。それは、数か月前に海王高校で感じたものに似ているような気がした。


 違和感の正体が分からないままではあったが、気にしても仕方がないので、さっさと帰ることにした。


 教室を出ると、異様な空気から解放されて安堵する。開けられた窓から風が吹き込んでくる。秋風は徐々に心地の良い涼しいものから、ひんやりと感じるような冷たい風に変わりつつあった。


   ◇


 翌朝、いつも通り自転車に乗って学校へと向かう。朝の秋風は一段と冷たいものに感じられた。


 教室に入ると、いつもの朝とは明らかに違う剣吞な雰囲気に包まれていた。教室に入るまですっかり忘れていた、昨日感じた嫌な空気が、より一段と重たくなったような感覚となって昨日の出来事を想起させた。


 ちらちらと感じる視線。ひそひそと話すような声。


 別に気にしなければどうということはないけど、なんだか気になる。


 俺は自席にすわると、後ろを振り向いて横田君に話しかけた。


「横田君、おはよう」


 横田君は、一瞬困ったような表情を浮かべたような気がしたが、すぐに挨拶を返してくれた。


「山本君、おはよう」


「なんか、今日の教室の空気、いつもと違くない?」


 そう聞くと、横田君は今度こそ困ったような表情になり、お茶を濁す。


「うーん、そうかなぁ。よくわかんないや」


 そういう横田君があまりにも困ったような顔をしているので、これ以上追及するのも悪い気がして、「そっか」と話を切り上げて、自分の机へと向き直った。


 身の入らない1限から4限までの時間をやり過ごし、昼休み。


 ふとスマホを覗くと、彰浩から「昼一緒に食べようぜ」という短いメッセージが届いていた。


 彰浩とは、気が向いた時にどちらともなく誘い、学食で一緒にお昼を食べている。今日もその気が向いた時なのだろうと、学食で彰浩と雑談をしながら学食のうどんをすする。


「勇作はトップか、さすがだな」


「彰浩は2位か?」


「いや、残念ながら、3位だったんだ。勇作に負けるのはもう割り切っているけど、勇作以外の誰かに負けたのは悔しいな。期末ではもっと勉強しないと。」


 彰浩は本当に悔しそうに、一瞬右手に持っているお箸をぎゅっと握りしめたかと思うと、「そういえば」、と姿勢を改めた。彰浩の表情はやや硬い。


「どうした?」


 俺が続きを促すと、彰浩は少し思い悩むようなそぶりを見せ、数秒、間をおいてから話し始めた。


「今日誘ったのは、ちょっと気になっていることがあったからなんだ。」


「気になっていること?」


「勇作の噂が教室で耳に入ったんだ」


「俺が学年トップだったって話か?」


「いや、違う。いや、それもある」


 どっちだよ。


「それもあるんだけど、実は……」


 彰浩はまたしても数秒の間をおいた


「勇作が転校した理由が、海王でいじめ問題を起こして退学になったからだって噂が広まっているみたいなんだ」


 俺は言葉を失ってしまった。




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